表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
幕末カタナ・ガール  作者: 子父澤 緊
下坂之章
249/404

Don Quijote Pt.1

同日の朝に話は戻る。

大坂、八軒家船着場(はっけんやふなつきば)


中沢琴は、清河八郎の死に打ちひしがれてばかりもいられなかった。

なぜなら、それは同時に、京における活動のパトロンを失ったことを意味していたからだ。

渡されていた資金も底をつき始めている。


琴は浪士組に先んじてひとり京へ戻ろうと、桟橋(さんばし)近くで三十石船(さんじっこくせん)上り便(のぼりびん)を待つ人々の列にいた。

大坂に借金問題を残している阿部慎蔵は置き去りである。


川の流れに逆らって進む上り船は、「引き人」と呼ばれる人夫がつなで舟を引くため、下り船の倍以上の運賃を取られるうえ、時間もかかる。

それでも船を選んだのは、男物の着替えや刀など、普通の女性には必要のない大荷物のせいだった。

背負子しょいこに大きな行李こうり銅乱どうらん(革製のかばん)を載せ、その上に竿袋さおぶくろを寝かしてしばり付けてある。

もちろん、その中に隠しているのは刀だ。

しかも、肩紐(かたひも)(かすり)小袖(こそで)に食い込むせいで、胸が強調される。

琴の容姿では男達が放っておくわけがない。


振り分けを持った浪人や、ふんどし姿の荷揚げ人足、(タスキ)掛けの船頭らがチラチラと好色な視線を送っている。


「娘さん、そねえいかい(大きい)荷物背負(しょ)いきるかね」

たった今、京から到着した船から降りてきた旅装のサムライ達が、さっそく琴を取り巻いた。みな若い。

「これはなんかいや?」

一人が竿袋さおぶくろに興味を示したので、琴は反射的に身を引いた。

「継ぎ竿です」

「ほう、ワシも子供ん頃は、よう阿武川あぶがわ山女魚ヤマメを釣って、へてから焼いて食ったもんじゃ。船まで持っちゃるけえ、貸しんさい」

男が伸ばした腕を琴は振り払った。

「触らないで!」

「なんね!あんた、なんか隠しつろう?いったい何処(どこ)においでてかね」

男はムッとして詰問きつもん口調になった。

中でもタチの悪そうな男が近づいてきて琴のたもとのぞき込む。

「確かに怪しいな。このデカい胸の中も調べなきゃな」

その下卑(げび)た笑顔には確かに見覚えがあった。


「太田、中野、三戸谷!めんかね」

一団の首領格(しゅりょうかく)(おぼ)しき体格のいい男が声を荒げた。

この面長の顔も知っている。

中村半次郎と伏見の飯屋めしやに入ったとき、清河八郎暗殺の密談をしていた。

忘れもしない 、

練兵館当主、二代目斉藤弥九郎だ。

琴は全身の血が沸騰ふっとうするのを感じた。


制止の声が少しでも遅ければ、琴はこのゴロツキの腕をひねり上げていただろう。

「お嬢さん、申し訳ないね。悪気はなかったんだ」

斉藤はさすがに名のある武芸者らしく、丁重に頭を下げた。

「…」

琴は無言のまま、ゆっくりと肩から荷物を降ろし、

まだ間近にある三戸谷一馬(ゴロツキ)の顔にささやいた。

「思い出した。あなた、仏生寺弥助に金魚のフンみたいにくっ付いていた人ね」

「なに?!」

三戸谷は顔色を変えて、腰に手をやったが、

差してあるはずの(もの)がない。


そして脇腹に強烈な鈍痛どんつうを感じた。


「お、おまえ…」

見れば、目の前の若い娘の手に、自分の刀が握られている。

「殺しても良かったが…峰打みねうちだから死にはしない」


貴様キサマ!」

最初に刀を抜いたのは、

仏生寺のもう一人の取り巻き、高部弥三雄だった。


琴は高部が振りかぶると同時に、横になぎ払い、

刀を叩き落とした。

「おまえの顔も知っているぞ」

徒手としゅを上げたままの間抜けな姿をさらす相手の肋骨ろっこつに、

また容赦ようしゃなく刀のみねを打ち付ける。

「…ぐ!」

高部は激痛にそのままひざをついて倒れ込んだ。


斉藤弥九郎の門徒もんと達は唖然あぜんとしてその場に立ち尽くした。


残りは8人。

琴は素早く数と位置を確認した。

もちろん彼らは仏生寺のような無法者ではないが、

琴は我を失っていた。


斉藤はゆっくりと刀を抜いた。

「わけが分からないが…相手をしなければ収まらないようだな」


「そういうことだ」

琴の目は怒りに燃えていた。

稲妻いなづまのような速さで間合いを詰め、

ほとんど予備動作なしで袈裟懸けさがけに斬りさげる。


しかし

斉藤は眼前でそれを受け止め、

力ずくで鍔迫つばぜり合いを制してね返した。


「驚いたな…。しかし、いかんせん女の力で私は倒せんぞ」


くらいは桃井、技は千葉、力は斉藤」

加藤田神陰流かとうだしんかげりゅうの達人、松崎浪四郎をして、

江戸剣術界で三本の指に入ると言わしめた彼もまた天才だった。


船着き場にいた人々は悲鳴を上げ、蜘蛛くもの子を散らすように逃げ出し、

それでも興味を抑えきれず、遠くから様子をうかがっている。


一間いっけん退いた琴は、まだ激しい憎悪ぞうおをたぎらせた眼で斉藤をにらみつけていた。

「清河をったのはおまえか」

押し殺すように言うなり、

宙を舞った。


そのまま斉藤の上空で身体を前方に一回転しながら、

体操の選手がひねりを加えるように、

身体ごと刀を振るう。


天を向いた琴の爪先つまさきは、二間半にけんはん(4.5M)の高さにも達していた。

練兵館の門徒もんとたちは、まるで人外じんがいのような動き、その流麗な美しさに、

事態の深刻さも忘れ、一瞬目を奪われた。


斉藤の背後、肩から背中にかけて

やいばが真上から降りかかる。


だが、

カタナは斉藤の振り分けを切り裂いたところで、

鋭い金属音を発してはじき返された。


「ちっ!…鎖帷子(くさりかたびら)か。なぜそんなものを着込んでいる」


斉藤は背中に残る衝撃しょうげきを感じながら、

今見たものが信じられないという風に目を見開いている。


利根宝神流奥義とねほうしんりゅうおうぎ天駆飛斬(てんぐとびきり)


生きている人間で、その技を目の当たりにしたのは、

ここに居合わせた人々だけかもしれない。


「娘、い…いったい、なんという流派だ?」

「貴様が知る必要はない」


「おのれ!」

斉藤は振り向きざま刀をいだが、

琴は真後ろに飛び退き、

そして、そのまま走り去った。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
cont_access.php?citi_cont_id=929024445&size=135
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ