カッパ島の決斗 其之伍
「さすが谷先生、その通りです。そうなれば、あの傲慢の権化みたいな土方も、先生との立ち合いを断れないと思うんです」
「よろしい!その話、乗った!ソレガシが首尾よく勝利を納めたら、あとは頼みますよ。沖田殿」
「ええ勿論!是非あの男をギャフンと言わせてください!応援してます!」
目的を遂げて揚々引き上げようとする沖田の袖を、三十郎が引っ張った。
「あ、沖田殿!ちょっと!感謝いたしますぞ。この勝負が片付けば、嫁取りの件、ソレガシ相応しい候補を、熟考しておきましょう」
沖田は、なんとか笑顔を作り、頭を下げた。
「あ、そうすか。どーも。よろしくお願いしゃっす」
沖田が土手に駆け戻ってくるなり、土方はその襟首を掴んだ。
「てかおまえ、ちゃんと納得させたんだろうな?」
充分に焚きつけてきた沖田は、満面の笑みでうなずいた。
「ええ、バッチリ。穏便に話をつけてきましたから。ほら、次ですよ」
「谷三十郎、松原忠治、前へ」
審判を務める島田魁が、二人の名を告げた。
「大丈夫なんですか?」
河合耆三郎が、心配そうに三十郎の顔を覗き込む。
菊も、その隣でうなずいた。
「まあ、見ておきたまえ、お菊さん」
三十郎はニタリと笑い、菊の肩を叩いて前に進み出た。
「ヤツは、そこそこ名の知れてる流派の高弟らしい。しかも専門は敵の懐に入らねば何も出来ん柔術だ。シメシメ」
ネームバリューのある相手を倒して、この機会に名を売るつもりらしい。
松原忠治と対峙した三十郎は、慇懃に礼をしてから正眼に構えた。
「小坊主…もとい、忠太郎殿、そなたに恨みはないが、くじ運がなかったと諦めてくれ」
長身の三十郎は、自然、見下ろすような形になり、単純な松原は簡単に挑発に乗ってしまった。
「あー!おまえケンカ売っとるなあ!」
「とんでもない。さあ、かかってらっしゃい」
「コロスー!!!」
「はじめ」の声は、松原の気合いに掻き消された。
島田が手を上げると同時に、松原が襲いかかる。
が、次の瞬間。
「てぇい!てい!」
パン!パーン!と、乾いた音が響いた。
三十郎は、軽やかに松原の左に踏み込み、
同時に脳天へ一発、
更に、胴へ一発入れて、
身体を入れ替えた。
「いでっ!」
松原の膝が、カクリと折れる。
永倉新八が、原田左之助に軽く肘鉄を入れた。
「話が違うじゃないか。長男も腕は悪くない」
「ああ、アレで道場剣法は、なかなかのもんなんだ。だが、どっちにしろ根が賤しすぎて、実戦では使えん」
「ま、まっちゃん!」
松原の弟子、三次と六郎が駆け寄った。
「ま、まだじゃー。ワシはまだ負けてへんど〜!!」
不屈の闘争心を見せたが、
松原はそのまま目を白黒させて大の字に倒れた。
谷三十郎は、土方に向かって高笑いした。
「フハハ!ソレガシにかかればご覧の通り!
不逞浪士の十人やそこらなど倒すのは造作もない。
ただし!重要なのは、そこじゃありませんぞ。
もうお分かりと思うが、ソレガシが浪士組に加われば、
武士の誇りや品位、そういった形のない財産を、
他の隊士たちに与えてやれるでしょう」
明らかに土方への当て付けだったが、意外にも土方は、敬意を示すように頭を低くして三十郎に歩み寄った。
「そう願うね。確かに、谷先生の立ち合いには、一種の風格があった」
「ご理解頂けて、祝着にござる。では土方殿、約束通り、次はお相手願え…」
と、土方は、人差し指を立てて、三十郎の言葉を遮った。
「実はついこないだも、そのブシノホコリとかいうのを汚した奴がいてね。そいつのハラワタで、会所の畳を汚しちまったばかりなんだ。いちいち腹を切らせてちゃ、畳代も馬鹿にならんが、わかるだろ?会津中将(松平容保)の名前に泥を塗ることも出来ん。悩ましいところさ」
「土方副長、そう、脅さなくても」
島田魁が嗜めたが、土方は、なおも三十郎に顔を近づけて口をへの字に曲げてみせた。
「ああ、そうそう、申し出は光栄だ。ブシノホコリを賭けて、お相手仕ろう」
殺気に満ちた眼が、ギラリと光り、
三十郎は、その圧力に黙りこんだ。
そして、
躊躇いなく掌を返した。
「土方殿は、浪士組の副長であらせられましたかー。では若鶴ちゃんは、お譲りするより他なさそうですなあ」
この厚顔無恥な、もとい、強靭な精神力こそ、彼の最も秀でた資質かもしれない。
「太夫はモノじゃねえ、譲るの譲らないの、それは本人が自分の意思で決めることだ」
土方が、松原忠治の落とした竹刀を拾い上げようとした。
その刹那。
「アホかー!まだ勝負はついてへんわい!さっきの説明、聞いとらんかったんかい!上級者は三本勝負じゃー!」
松原が跳び起きて叫んだ。
三次と六郎が飛び退く。
「うわー!生き返りよった!」
三十郎は、島田の顔を見た。
「え!そうなの?」
島田は慌てふためいたが、松原は、すでに臨戦態勢に入っている。
「あ、いや?そう!そ、そう言えば、そう云うようなことを言ってたような!」
松原が、頭上で六角棒をブンブン回すのを見て、
三十郎も、再び正眼に構え直した。
「なれば、仕方ない。だが、ソレガシに虚仮威しは通用しませんよ」
「死にさらせボケー!」
松原は、いきなり六角棒を投げつけた。
「うわー!」
三十郎は自分めがけて一直線に飛んでくる棒を、
すんでのところで叩き落とした。
しかし、その時すでに、松原は猪のような勢いで間を詰めている。
腰めがけて強烈なタックルをブチかまし、
そのまま、三十郎を引き倒した。
気がつけば、三十郎は仰向けに寝転んで、空を眺めていた。
胸板を松原に片膝で踏みつけられて、身動きすらできない。
「もう一回やったってもええけど、次は遠慮せんからなあ!降参するなら今やど!ケケケ!」




