カッパ島の決斗 其之壱
堂島川にある中州の西端に、合羽島と呼ばれる地区があった。
時刻は四つ半(11:00am)。
沖田総司一行は、船大工が集まるこの界隈を抜け、川下の方向に進んでいく。
工場の軒先では、船大工が船室の破風に鉋をかけたり、柱のようなものの継手を加工したり、忙しく働いている。
近藤勇は、道々その様子を眺めながら、山南敬介に胸中を打ち明けた。
「山南さん、私は天保山で見た黒船が頭から離れない。秋山様の話ではペリー艦隊の旗艦はアレと同じ蒸気外輪船で、しかも右舷、左舷、甲板には砲門がズラリと並んでいるらしい。装備はケタ違いだ。そんなモノにどうやって立ち向かおうというのか…我々はこんなことをやっていていいんだろうか」
山南敬介は少し考えて、いつもの優しい笑みを浮かべた。
「アレを目の当たりにした隊士たちの感想は…大方似たようなものでしょう。私自身、その疑問に満足な答えを見出せないでいる。ですが、思うに…外国と砲火を交えるか否かは、政の領分だ。ただ私に言えるのは、結局のところ、世界を動かすのは蒸気機関でも、新式の銃や砲門でもなく、人だということです。我々に足りない部分を補う同志が一人増えれば、我々にとってその力は一人分以上の価値を持つでしょう。また、その逆も然りです」
「…」
近藤には、山南の言わんとしている事が分かったが、今は何も答えようがなかった。
「脱走した奴らをひっ捕まえて罰するのは、別に悪いことじゃない」
近藤が口に出来なかった言葉を吐き捨てたのは土方だった。
彼は山南の険しい視線を、挑発的な目で受け止めた。
「着きましたよ。あそこ」
二人の緊迫した空気を知ってか知らずか、沖田が呑気な声を上げた。
一行は、中州の突端にある河原に辿り着き、浪士たちはそこに集められていた。
「いい場所でしょ?」
沖田は、その景観を誇るように掌を水平にグルリと回した。
川を隔てて西岸には、田植えをして間もない水田が広がり、東側には蔵屋敷の屋根が連なるのが見える。
下流には、その両岸をつなぐ船津橋が架かっており、
その向こうに、小さな桟橋があった。
往き来する樽廻船や菱垣廻船の曳き波が、彼らの居る中州の河原に打ち寄せている。
「あの食い詰め浪人の中に、そんな値打ちもんがいるとは思えねえがな」
土方が、山南の戒めを皮肉くった。
沖田は、それを黙殺して満足げにうなずく。
「おー、意外と集まったな」
70から80人ほどはいるだろうか。
しかし、その半分は、大工やヒマな町人などの野次馬だ。
群衆を見た隊士の佐々木蔵之介は、蒼ざめて沖田の肩を揺さぶった。
「不味いですって!こんな大っぴらにやっちゃ!」
「なんで?」
「なんでって…つまり、この辺りは明石屋一家の縄張りみたいなもんで…あ、ちょっと!」
沖田は、最後まで聞かずに行ってしまった。
同じく平隊士の中村金吾が、どこかの船が打ち捨てた穴の空いた長持(木箱)を持ってきて、集まった浪士たちの前にドンと据えた。
「沖田さん!」
これで準備が整ったという風に、沖田を呼ぶ。
沖田総司、登壇。
「どうもどうも、えー、お集まりの皆さん。お忙しい中、ふるってご応募いただき、ありがとうございます。わたくし、浪士組副長助勤の沖田総司と申します」
どこで手に入れたのか、軍配を手に沖田はうやうやしくお辞儀した。
騒めいていた浪士たちが、沖田の声に耳を傾けようと少し静かになった。
「前置きが長げーよ!こんなとこに来てる奴らが、お忙しいわけねえだろ!」
背中から野次を飛ばしたのは、原田左之助だった。
「こらあ!失礼やろ!」
聴衆がその野次に応じる。
「えーさて。本日は不肖ながら、このわたくしが、皆さんの立ち合いを取り仕切らせていただきます。
と、その前にですね、江戸市ヶ谷で天然理心流試衛館道場の塾頭を勤める、わたくし自ら、武術に必要な心得を5つ!皆さんに伝授したいと思います。
つまり、この5つが皆さんの技量を見定める上での基準になるので、よく聴いておくように!」
浪士たちの前に並んでいる藤堂平助が、渋い顔で原田左之助をつついた。
「なんか、上から行きますねえ?」
「まずひとつめは、剣捌き。これは流派を問わず、実戦重視で判断いたします。
次に!足捌き。これも道場剣法では意味がないので、敢えて今回は足場の悪い河川敷で立ち合ってもらいます」
原田が深くうなずく。
「確かに、身内が聞いててもムカつくな」
「それから…えー…体捌き!これはまあ、えと、アレです」
「アレってなんやねん!」
応募者から、また鋭い野次が飛ぶ。
沖田は子供のように軍配をブンブン振り回した。
「うるさいなあ!もう!思い出すから、ちょっと黙ってて!あ~の、踏み切りとか、受け流しとか、そういうアレですよ!」
近藤勇ほか、幹部たちは河原に降りる緩やかな土手に陣取り、気の荒い応募者達と沖田の間抜けなやり取りを見下ろしている。
「あいつ、もう怪しくなってきたぜ?」
土方歳三が、意地悪く笑った。
天才肌の沖田は、あれこれと理屈で身体を動かすタイプではなかったから、体系的な知識に乏しく、そもそも選んだお題目に無理があった。
「あと、えー、えーと、なんだっけな、あそうそう!手綱捌き!
あ!でもアレか。これも今日は馬がいないんで、アレだな!
で、最後はー、えー、あれ?なんだっけか、4つだったかな?」
あくまでマイペースの沖田だったが、大坂の観衆は手厳しい。
「手綱捌きは剣法と関係ないやろ!」
「あとなんや?ナニ捌きやねん?」
「えー…あー…うー…」
オーディエンスは追求の手を緩めなかった。
「早よせんかいボケ!わしらかて暇ちゃうねん!」
「早よ!ナニ捌き?」
「あのー、えーと、ホラ!アレ!大岡裁き?」
「……」
河原が一瞬静まり返ったのち、怒れる群衆は沸騰した。
「なんっじゃそら!説明せえ!」
「どーゆーこっちゃ大岡裁きて!」
「ダレがナニを裁くんじゃドアホ!」
「ひっこめボケナスー!」
罵詈雑言が飛び交う。
それどころか、河原の石くれや流木まで飛んできたので、沖田は慌てて身をかがめた。
「うわっと!と、とにかく、選抜は勝ち抜き戦で行いますから!コレ見てコレ!」
沖田は懐から出した紙をヒラヒラと掲げてみせると、
不貞腐れて即席の演壇を降りた。
「今回の応募者は質が悪い」
「聞こえとるねん!シバくぞコラ!」




