今弁慶、徘徊御免 其之伍
「ギ、ギャーッ!」
強面の松原忠司を見ただけで、河合耆三郎はまた外に飛び出した。
菊の相手に忙しい永倉は、突然やってきた浪士を、無意識に視界の外へ追いやった。
松原は、永倉の前に回り込んで、覗き込むように顔を近づけた。
「あんたが局長さんけ?」
永倉はまた顔を逸らした。
「ごめんなさぁい、あいにく局長は不在で」
後ろからついてきた三次と六郎が、心底ホッとした表情で松原の肩に手を置いた。
「よかったー。局長さん居らん言うたはるわ。まっちゃん、しゃあないさけ、今日は帰ろか?」
松原は、二人を乱暴に振り払った。
「うるさい!ほな、局長やのうてもええ、ワシ、浪士組の責任者と話があるねん」
永倉は、松原の顔を数秒間じっと眺め、
「ホントごめんなさぁい。うち、坊主と生モノは扱ってないんですよお。ん?坊主?」
とここで、ようやく島田魁の言葉を思い出したらしい。
「愛次郎!座布団!」
「はい」
「蔵之介!お茶!」
「はいはい」
「柳太郎、鶴屋八幡のお饅頭をお出しして」
「は、はい?」
「金吾!肩もみ!客じゃねえ!俺だ」
「なんでやねん!」
「…おめえ、大坂に来て腕をあげたな」
といった、面白くもない小芝居を見せられた後、松原は諸手を挙げて出迎えられた。
「大将、聞いてまっせ?」
「…え?なにを?」
さすがの松原も、手のひらを返したようなこの歓待には警戒したが、根が単純な男である。
「お強いんですってね?」
この一言で、簡単に気を許した。
「…わ、わかる?ゆうとくけどワシ、そこそこ強いよ?」
「そほんな、ご謙遜を~。そのゴリゴリの坊主頭、どう見ても、豪傑でしょお?ささ、こちら受付になっております」
永倉は、松原の頭を撫でまわした。
「なんでこう、トントン拍子に話が進むねん」
六郎が、気味悪そうに三次に耳打ちする。
松原は、おだてられて怪しむ気配もない。
「ちょ、ちょ、ちょ、困るなあ、だいたい、ワシとこの道場は順調にいっとおし、徒党組むのは嫌いやねん」
三次と六郎は絶句した。
「よお言うわ…」
「ワシは、ただコイツらを引率して来ただけやねんから。あ、コイツら、デキは良うないけど、一応ワシの弟子ね」
「みなさん、お強そうで!じゃあ、ともかく堂島川でやってる選考の試合だけでも、顔出していきませんか?お弟子さんもご一緒に」
「キキキ、見たい?ワシの強いとこ?」
「新八、見たぁ~い。えーと、じゃあまず、こちらにお名前をと」
佐々木愛次郎は、松原の書くヘタクソな字を覗き込で、顎をさすった。
「へえ。柔術ですか」
「ワシ、天神真楊流を極めちゃってるからね」
「天神真楊流の免許皆伝ですか。そいつはすごい」
自身も柔術を能くする愛次郎は素直に感心した。
天神真楊流柔術は、現代柔道のルーツとも言われるメジャー流派である。
「そやけど、もう教わることもないし、北辰心要流ちゅー道場を作ってみたんよ」
「看板書くとき、”真楊流”の漢字難しいんで、そこは変えたんですわ」
六郎がこっそり補足した。
勧められるまま、身上書を書きながら、松原は何を思い出したのか、一人ほくそ笑んでいる。
「ケケケ、泥坊主が、ザマァみさらせ」
愛次郎と蔵之介が気味悪がっているのを見て、三次が事情を説明した
「こう見えて、このひと”あの”物外和尚の弟子なんですわ」
愛次郎が、目を輝かせた。
「物外と言えば、有名な拳骨和尚ですよね。てことは、不遷流も納められたんですか」
曹洞宗の僧侶、武田物外は、不遷流柔術の開祖で、幕末には齢七十にして勤王のため精力的に奔走した豪傑である。
別名を、泥仏庵とも称した。
「ドアホ!あんな泥坊主に教えられたことなんか、一つもないわい!ワシがあまりに強いんで、あいつが便乗して師匠面しとるだけじゃ!」
怪力僧として日本各地に逸話を残す「拳骨和尚」物外と「徘徊御免」松原忠司の接点がどこにあったかは定かでない。
「なにやら複雑な師弟関係がありそうですな」
有名人の名を聴きつけた谷三十郎が、話に加わろうと、さも感慨深げにうなずいて見せる。
「単純な話ですわ。あの和尚、かなりええ歳なんやけど、死ぬほど強いから、松ちゃん、頭上がらんのです。しょっちゅう叱られてますねん」
三次が、永倉に耳打ちした。
「黙ってえ!おまえら、さっきからしょーもないチャチャばっかり入れやがって!死にたいんかボケー!」
「あーっ!ま、まっちゃん、なんで勝手にワシらの名前まで書いてんねん?!」
三次が、芳名録をひったくってワナワナ震えだした。
「こいつら、柳田三次郎と菅野六郎ゆうてな。半人前やけど、二人合わせたらサブロクのカブやから、縁起だけはええんや」
松原は聞く耳を持たず、勝手に紹介をはじめた。
三次と六郎はゲンナリして肩を落とす。
「もう、なに言うてんのかワケわからんわ…」
「そやけど、松っちゃんも足したらブタやで…」
「ねえ、この人たち、なに話してるか分かる?」
さすがの永倉も当惑して、菊に尋ねると、河合耆三郎がおずおずと説明を買ってでた。
「”おいちょかぶ”は花札の点数の合計を競う遊びなんですが、下一桁が9(カブ)になると、一番強いんです」
「それくらい知ってるよ」
「つまりですね、松は一月を表す札で、1点。3と6と1を足すと10で、すなわちブタ(0点)になるわけです」
河合は、手のひらに指で数字を書いてみせる。
松原がうなずいた。
「そういうこっちゃ…ん?お前ら、まだウジウジ言うとんのかー!」
「そやけど、めちゃめちゃやんけ」
「おまえらの言い分は、聞いてへんのじゃー!ワシが入る言うたら、お前らも入らんかい!!!!」
三次と六郎の抗議は、理不尽に却下された。
「さあ、それでは、我々も参りましょうか」
何故か、谷三十郎が場を仕切り始め、地元の佐々木蔵之介と佐々木愛次郎の先導で、全員連れだって堂島川に向かうことになった。
皆がゾロゾロと会所を出てゆく中、河合耆三郎が、中村金吾の袖を引っ張った。
「あのーワタクシは、どうすれば…?」
「興味があるなら、ついてくれば?」
「妹にも、付いて来てもらってよろしいでしょうか?」
「もう好きにしなよ…」
中村は宙をにらんで、頭を振った。
サムライと、坊主と、商人と、町娘。
なんとも珍妙な行列が出来上がり、なにわ筋を道行く人々も、次々と足を止めて振り返る。
列の一番後ろで、永倉新八が柳田三次郎の脇腹を突き、松原の坊主頭を顎で指した。
「そういえばさあ、あの人、なんで有名なんだっけ?」
「ゆ、有名?」
三次と六郎は顔を見合わせた。
「ま、まあ根は憎めん人なんで、町内では人気ありますけど…」
「はあ?よくわかんねえなあ」
たしかにこの後、松原忠司は、壬生村で浪士組の心証を改善するために一役買うことになるのだった。
※因みに、冒頭登場する「加島屋」は、現在でも同じ場所に大同生命保険本社ビルとして存在し、朝ドラのモデルにもなりました。




