今弁慶、徘徊御免 其之肆
「あ、永倉さん、お帰りなさい。首尾はどう…?」
蔵之介は、永倉が一人でションボリと帰ってくると高を括っていたので、
小紋姿の若い女にべったり寄り添っての凱旋に、言葉を失った。
「…ねえねえ、お菊ちゃん。歳は?お菊ちゃんの好きな食べ物は?お菊ちゃんの趣味は?」
蔵之介の眼に、心なしか、お菊ちゃんは迷惑そうに見えたが。
「お!永倉、ええところに」
島田が両手を広げて駆け寄るのを、永倉は撥ねつけた。
「な~んだよ!お前ら、気が利かねえったらねえなあ!見りゃ分かんだろ?俺ぁ今、取り込み中なのーっ!」
「もう!いい加減にしてください!」
突然、菊が大声を張り上げた。
島田や蔵之介、中村らも驚いて、菊の顔を凝視している。
「いいですか?私は!人妻です!」
菊はきっぱりと言い切った。
「ひ、人妻か…」
永倉は、ガクリと項垂れた。
「ええ。これでも大坂平野『八百源』の嫁です。さあ、会所に着きましたよ!早くその島田様を紹介してください!」
菊は、死者に鞭打つくらいのつもりでピシリと言い切ったが、考えが甘かった。
うつむいた永倉の顔には、ニタリと気味の悪い笑みが浮かんでいる。
「なんつーか、人妻って響きが、こう、ヤラシくて…ん~、いいんじゃなぁい?」
「ど、どう言えば、分かってくれるんですか!」
島田が、色ボケの永倉を押し退け、おずおずと申し出た。
「あの~、御新造さん、島田はわたしですが…今ちょっと取り込み中で…」
菊はすがるように、島田の手を取った。
「島田様!実はわたくし…」
言いかけたところで、またもや永倉が出しゃばって、二人の手を断ち切った。
「いや、言わないで!分かってます!お菊ちゃんは、助けを求めにここにきた!ね!そうでしょ?」
「はあ、まあ、助けと申しますか…」
菊がチラチラと後ろを気にしているのを見て、永倉は、視線の先を目で追った。
「ははあ、あの、物陰からこっちを見てる怪しい男、アレですな?アレに付きまとわれて困っている。そうなんだね?なんてイヤラシい!あの目つき!変態丸出し!」
「あれは兄です」
永倉はむせて咳き込んだ。
「ゲホッゴホッ!でもよく見ると、なかなか利発そうな青年じゃないか、なあ島田?」
「いいんです。兄はああいう感じなので、そういうの、慣れてますから。実は隊士を募集していると伺いまして」
「え!なに?入りたいの?お菊ちゃんが??…いや〜でも女の子ってのはどっかなあ?可愛いから、許しちゃおっかなあ」
「私はただの付き添いで、入るのは兄です」
「あ、やっぱり?」
永倉はまた、熱意を失った。
「それはいいとして、さっきから気になってたんだけど、なんで兄上は、ずっとあそこに立っておられるのかしら」
「呼んだ方がいいでしょうか?」
「うん。そりゃね、その方がいいだろうね」
菊は、外の耆三郎に向かって手招きした。
島田は、二人ののんびりした遣り取りに苛立って、永倉に掴みかかった。
「永倉!それどころじゃねゃあで!さっきござった破戒僧は、どえりゃあ大物だてえ!」
「痛い痛い!だれそれ?てか、何しゃべってんの?」
「ほうだわ、おみゃ居らんかったがね。俺は、近藤さん達にちゃっと報告してくるもんで、坊主頭の男が戻ってきたら、おみゃあ必ず捕まえて、河川敷に連れて来りゃあせ!」
捲し立てる島田に怯えながら、耆三郎がソロリソロリと入って来る。
「すみません。兄は人見知りが酷くて」
「んで、お兄さん。きみ、剣の方は使えるの?」
なにしろ、河合耆三郎はヒョロリと冴えない男だったが、一応腰には刀を差している。
永倉は、菊の顔を立てて、いかにも気乗りしない様子で訊ねた。
「ハ!ワ、ワタクシでしょうか?いえ、そちらの腕前は、それなり…いえ、控えめに申しまして下の上と言ったところでしょうか…」
「じゃダメ」
「兄さん!」
「永倉!聞いとるがや?」
菊と島田が同時に叫ぶ。
会所の中は混乱を極めていた。
「あ?なに?坊主がどうしたって?」
「そうだがや!見た目は、ヤサグレ坊主だわ。けんど、必ず貴重な戦力になるはずだで」
「わかったわかった」
永倉は、血走った眼で迫る島田魁を、なんとか押しとどめた。
「こうしちゃおれん!永倉、頼んだがね!」
島田は、三十郎と河合を突き飛ばす様にして会所を飛び出し、砂煙をあげて、河川敷の方へ走って行った。
「けど、そんなスゲエ奴が、ウチなんかに来るもんかねえ?」
永倉は、誰に聞くともなくそう言うと、
菊と申し合わせたように谷三十郎の顔をじっと眺めた。
「…今の大きい人はどちらへ?」
三十郎は、二人の視線をものともせず、泰然と蔵之介に尋ねた。
「はあ、いま堂島川で、幹部が入隊希望者の選考試合をやってるはずなんですよ」
「なるほど、先ほど皆さん連れ立って出ていかれたのは、そういう訳ですな。では、芳名録に名前を書いた以上、武術指南候補のソレガシが行かないことには、始まりますまい」
「え!え?そうなんすか?」
扱いに困った蔵之介と中村金吾から、救いを求めるように顔を見られても、永倉はただ肩をすくめて見せるだけだった。
「そこの、気の弱そうなキミ」
三十郎は、盆を持って突っ立っていた馬詰柳太朗を指し、
「案内したまえ」
と命じた。
「え?わたしですか?」
馬詰もオロオロして、永倉にすがる様な視線を送る。
永倉は、少し考えてからおもむろに膝を叩いた。
「確かに道場を経営されてるともなれば谷先生は一角の武芸者。失礼があってはならんな。ただ、おれは奥の部屋で、もうちょっとお菊…いや河合くんと話があるから、キミたち全員で先生をお連れして」
「堂島川なら、わたくし、こちらに来るとき通ってきましたから分かります。わたくしがご案内を!」
身の危険を感じた菊が申し出た。
「そんなあ、いいのよお、お菊ちゃんはお客様なんだからさあ。ね?此処でゆっくりしておいきなさい?」
永倉が猫なで声で引き止めた。
「いえ!是非、わたくしに行かせてください!」
「妹ひとりで行かせるの不安なので、じゃあワタシも」
「あんたが行ったら、話になんないだろ?」
入口で押し問答をしていると、
いきなり坊主頭をした異相の浪士がヌッと入ってきた。
「ごめん下さーい。局長さん居ってないかー」




