今弁慶、徘徊御免 其之参
永倉は、なんとなく気まずい雰囲気を察して、土方と菊の顔を交互に見ながら言い訳を始めた。
「いやいや、この子の方から会所を訪ねてきたんだよ?なんか用事があって来たんだろ?なんで逃げんのかなあ」
「なんでって、いきなり追いかけてくるから逃げただけです」
「逃げるから追いかけたんだよ」
井上源三郎が、あきれ返ってため息をついた。
「…カッコ悪ったらないねえ」
土方が菊の肩に手を置いて優しく微笑みかける。
「お嬢さん、下の者がご迷惑をおかけして大変申し訳なかった。良ければ私がご用向きを伺いましょう」
「なぁにが、下のもふぉだ×の*ベΔ…」
土方に突っかかる永倉の口を、原田が抑えつけた。
菊は、肝心の兄が傍にいないことに気づいて、申し訳なさそうに頭を振った。
「いえ、皆様お忙しそうなので、そのお話はまた今度、会所の方で」
「いや、それなら、俺が浪士組本陣まで…」
言いかけた土方の口を、今度は沖田が押えた。
近藤が、阿吽の呼吸で後を引き取る。
「私は、局長の近藤といいます。では…えー…何と申されましたか」
「あ、申し遅れました。わたくし平野町から参りました神田菊と申します」
「では、お菊さん。常安橋に、島田というのがいます。用件は、彼にお伝えください」
「ありがとうございます」
永倉が犬のように舌をだして、ムクリと起き上がった。
「お菊ちゃんかあ。かあいい名前だねえ。じゃあ、お兄さんが送ってってあげる!」
当然ながら、菊はまだ警戒している。
土方は沖田の手を振りほどいて、永倉の耳を引っ張った。
「こいつが、次に何かやらかしたら、この耳を切り落としてやりますから、どうぞご安心を」
「痛てててて!さっきから聞いてりゃ、てめえ、人をなんだと…」
文句を言う永倉の前に、近藤が鬼瓦のような顔をぬっと突き出した。
「歳のいう通りだ!お前は会所に戻って、おとなしく留守番でもしてろ!」
永倉は、イソイソと菊の背中に手を回して、憎々しげに振り返り、捨て台詞を吐いた。
「フンだ!さ!お菊ちゃん、こんな奴ら放っといて、行こ行こ!」
島田魁は、会所の入口で仁王のような顔をして立っていた。
「幹部はみんな出て行っちまったってのに、永倉の奴、何処まで行ったんだ」
「まあまあ、そんなに一杯人が来るわけでもないんだから、我々で何とかなりますよ。いつまでもそんな処に突っ立ってないで、中に入ったらどうです?柳太郎、島田さんに水でも持ってきて差し上げろよ」
中村金吾が、玄関の式台を雑巾で拭きながら笑う。
巨漢の島田が、険しい顔で入口を塞いでいては、来るものも来ない。
と思ったのだろうが、
遅れてきた入隊志願者、谷三十郎は気にも留めず、にこやかに手を挙げながら入って来た。
「失礼しますよ。おおやだやだ、男臭いこと」
たった今、拭いたばかりの式台に汚い足をかけられて、中村は嫌な顔をしたが、三十郎はそれも意に介さず、鼻をつまんで顔をしかめて見せる。
「キミ、そこの隅、ちゃんと拭けてませんよ」
沖田に代わって受付に座った、こちらも新入隊士の佐々木蔵之介が不審げに応対する。
「あ、入隊希望の方ですか?」
「ソレガシ、南堀江にて神明流剣術と種田宝蔵院流槍術教授を生業と致しております、備中松山藩、谷三十郎と申す者。尽忠報国の志しを同じくする壬生浪士組に加盟致したく、馳せ参じましたぞ」
三十郎は、立て板に水を流すごとく、ツラツラとプロフィールを述べた。
一同、呆気にとられているところへ、馬詰柳太郎が水を運んできたが、
「こりゃかたじけない」
三十郎は、それを奪い取ると一気に飲み干し、一息ついた。
「プハア。いやしかし、今日という日は皆さんにとって吉日ですぞ。なにせこの谷三十郎が浪士組に加わり、あまつさえ皆さんはその場に立ち会えたわけですから。ん?筆はこれでよろしいか?」
と、芳名録をめくり勝手にサラサラと名前を書き始める。
蔵之介は慌てて腰を浮かして、
「いやいや、ちょっと!あっ!島田さん、この人勝手に!ああっ!ねえ島田さんてば!」
とすがるように島田を見たが、島田は外を気にするばかりでまともに取り合わない。
「まあ、別にいいじゃないか。それにしても永倉は遅いなあ」
「島田さんがええなら、ええですけど…永倉さんなら、どうせまた振られて、すぐ帰ってきますって」
「まあ、あいつは、すんなり女を口説き落とせた試しがないでなあ」
すると、三十郎の陰から、河合耆三郎がひょっこり顔を出し、ボソボソと何か言い始めた。
「因みに、西洋では女性を口説き落とすことを、心臓を射止めると表現するそうです。これは実に、野蛮極まる彼らの精神性を示す好例と言えましょう。ワタシは、かの異人どもを誅すべく、故郷高砂より…」
入隊の動機としては要領を得ないが、島田魁にはその言葉の何かが引っかかったらしく、ふいに視線を宙に漂わせ始めた。
「射止める…
射止める…?」
パン!
島田魁が、突然手を打った。
大きな手に見合った音が響く。
「あーっ!思い出したがね!安藤早太郎!」
驚いた耆三郎は、外まで飛び退った。
「ビ、ビックリさせんといてください!」
佐々木蔵之介が振り返った。
「蔵之介、大変だが!さっきのありゃあ、あの大仏殿通し矢の安藤早太郎だて!」
「だい、大仏…え?なんなんです?」
「なんとしても、あの方には、浪士組に入って頂かにゃならんで!」
「そ、そうなんすか?」
とそこで、蔵之介はふたたび我に返り、三十郎に向き直った。
「…あ。すみません。で、なんでしたっけ?」
「ですから、ソレガシと、こちらの連れ合いが、本日をもってこの…アレ?いない?」
そこにいたはずの耆三郎が、入口の格子戸の外から、恐る恐る顔を覗かせた。
「すみません。た、短筒(ピストル)で敵が襲ってきたかと…。けれども、ご安心ください。背中は見せておりません」
「…鍛え甲斐のありそうな人だなあ」
佐々木蔵之介が、逆に感心したように耆三郎を眺めていると、その後ろから緊張感の欠片もない永倉新八の顔が現れた。




