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幕末カタナ・ガール  作者: 子父澤 緊
下坂之章
231/404

多士済々 其之壱

あわたただしかった四月も終わろうとしている。


大坂、中之島。


めずらしくカラリと晴れた朝。


自称、槍術そうじゅつ道場協同経営者、谷三十郎は、ここのところ大坂南堀江の道場から常安橋じょうあんばし会所にある浪士組本陣(ほんじん)日参にっさんしていた。

といっても、何かを待っているように橋のたもとをウロウロしては、中をのぞき見するばかりで、決して建物に近寄ろうとはしない。


少なくとも、昨日まではそうだった。


だがこの日、

ひとりの若い女が通りかかって、少し状況が変わった。


女は、如何いかにも都会には不案内ふあんないといった様子で、蔵屋敷くらやしき破風はふに描かれた家紋かもんや、店の看板をいちいち確かめながら、心許こころもとない足取りで歩いてくる。

黒衿くろえり小紋こもんに淡い紫の襦袢じゅばんと、身につけている物は、みな高価に見える。


「なにかお探しかい?」

根が女好おんなずきの、この男は迷わず声をかけた。


「ええ。浪士組の本陣ほんじんというのは此方こちらでしょうか?」

「…危なっかしいねえ」

「え?」

「こっちは長州の蔵屋敷、いわば、彼らの敵方てきかただ。浪士組は、ほら、土佐堀を渡った向こう側、あのちっちゃーい方だよ」


女は口元に軽く手を当てて目を見開いた。

「ああ!あれ。どうもありがとうございます」

ペコリとお辞儀じぎして行こうとしたところ、三十郎が腕をつかんだ。

「待ちな。若い娘さんが、浪士組なんぞに何の用だい?」

「そこで、人を待たせておりまして」

「見たところ、商家しょうかの娘さん風だが、大坂は初めてかい?どっから来た?」

「いえ、おなじ大坂の平野なんですが。最近播州(ばんしゅう)からとついできたばかりで」

「ほほう。に、新妻にいづまという訳だ…」

「はあ、そうです…」


ゴクリとツバを飲んだ三十郎の眼には良からぬ魂胆こんたんがありありと浮かんでいたが、まだ世間擦せけんずれしていない若い女は気づかない。


「どうも、御新造ごしんぞう(若奥さん)は、そそっかしくて放っとけない。ソレガシがついて行ってやろう」

「え?でもすぐそこに見えてるアレですよね…?」

三十郎は、厚かましくも新妻のくちびるに、人差し指を押し付けた。

「いいから!」

「え?え?いえ、でも」

そのままグイグイ腕を引かれて常安橋を渡ると、橋の親柱おやばしらに隠れるようにして若い男が立っていた。

「あ、あれです」

新妻は、商人風の本多髷ほんだまげった、そので肩の青年を指さした。


ひ弱そうなその青年は、妹の姿に気付くと、

大げさに驚いた。

「フハ!お、おきく!」


耆三郎きさぶろう兄様!」

「おまえ、ついて来なくていいと言ったのに」

「じゃあなんで、こんな物陰ものかげに突っ立っているんです!」

青年は、ムッとして親柱にしがみついた。

「ワタシぁ、この親柱の石彫いしぼりの見事さにれしていたところだ」


三十郎は、この青年に見覚えがあった。

このところ、自分と同じように、この辺りをウロついている男だ。

ただ、浪士組めずらしさに集まってくる、こういった野次馬ヤジウマは別に珍しくもなかったので、あまり気にも留めていなかった。


「ほう、お兄様ニイサマですか?」

気の弱い耆三郎きさぶろうは、目を合すこともできず、

「なな、なんです?れしい!あなたにお兄様ニイサマと呼ばれるすじはありまテンヨ」

親柱おやばしらに向かって抗議して、そして、舌を()んだ。

「こりゃ失敬しっけー。いやあ、しかしお互いヒマですなあ、お兄様。昨日もお見かけしましたが?」

谷三十郎は、ひたいにピシャリと手を当てた。

男が相手となると、俄然(がぜん)地のお調子者ちょうしものぶりを発揮はっきする。

耆三郎きさぶろうは、チラリと相手の顔を盗み見た。

「た、た、確かにあなたのお顔には見覚えが。では、あなたもこの石工(いしく)の見事な造形に取り()かれたヒトリでありますか…」

にもつかない言い訳を、妹はズバリと断ち切った。

「実は、浪士組が隊士をつのっていると聞きつけた兄は、高砂たかさごから私のとつぎ先に出て参ったのです。が、この通り、どうしようもなく気が弱くて、毎日会所の入口まで行っては、平野へ引き返して来てしまうのです」

「お、おダマりなさい、お菊!隊への加盟が男子一生だんしいっしょうの事業にるか、軽々(けいけい)に決めるべきではないのだ!」

耆三郎きさぶろうは、妹の名を呼びながら、なぜかまた、親柱をしかりつけた。

「どうせ入っていく勇気が出ないんでしょ?ですから、今日は妹の私が付いて参りました」

三十郎は、少し考える振りをして、

「しかし、お兄様のおっしゃることももっともではありますぞ。いや、ソレガシもね、彼らに力を貸すべきかいなか、彼らの尽忠報国じんちゅうほうこくこころざしうそはないか、それを見極みきわめようと、今日も新町から足を伸ばした次第なのです」

なおもテキトーに調子を合わせると、

青年耆三郎(きさぶろう)は、相手も浪士組入隊志願者であると知って気を許したのか、ようやく目を合せた。

「ということは、貴方あなたも?」


「そうなのですよ、お兄様。しかしこの剣を、無頼(ぶらい)()に預けるわけには参りませんからな。ソレガシも浪士組とやらを、じっくり吟味(ぎんみ)していたワケです。ホホホ」

「フハ!しかし、そのご懸念けねんは無用でしょう。なにせ、浪士組というのは、老中ろうじゅう板倉勝静いたくらかつきよ肝煎(きもい)りの部隊という話です」

「な、な、なんですと!ここだけの話、ソレガシ、殿のお膝元ひざもと備中松山びっちゅうまつやま藩士にござる!」


備中松山びっちゅうまつやま藩主、板倉勝清いたくらかつきよは、昨年幕府の老中ろうじゅうに任命され、実は浪士組創設にも関わっている。

そして、しくも原田左之助が中沢琴に語った通り、谷家を取りつぶした張本人でもあった。

家断絶いえだんぜつの原因を作った谷三十郎ちょうほんにんが、もはや藩士である訳などない。

のだが、この男は、その場凌ばしのぎの(ウソ)だけで世間を渡ってきたツワモノであるから、大概(たいがい)の者は、このウソに受けた。


「ハハア、それはそれは、浅からぬ因縁いんねんを感じますねえ。……いやちょっとお待ちください。先ほど新町から来られたとおっしゃいましたか?それは、この世の極楽浄土ごくらくじょうど新町遊郭しんまちゆうかくのある、あの新町でしょうか!」

「この世の極楽ゴクラ…言いましたっけ、そんなこと?…いや、多分その新町ですな」

「なんてうらやましいお方だ!」

耆三郎は目をかがやかせ…なかなか話がみ合わないようなので、ひとまず場面を移そう。


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