表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
幕末カタナ・ガール  作者: 子父澤 緊
下坂之章
227/404

崩れ落ちる塔のように 其之弐

家里次郎は、自分の身体に浅く傷をつけることしかできなかった。

しかも、介錯(かいしゃく)(おお)せつかった野口健司には経験がなく、のたうち回る家里の様子に恐れをなして動くことすら出来ない。


その時。


部屋の障子(しょうじ)が開いて男装の中沢琴が姿を現した。

「失礼する」

入り口のそばに座っていた平間重助が鬼のような形相ぎょうそうで立ち上がった。

「なんだお前は!今まさに腹を()されようとしている御仁(ごじん)無作法(ぶさほう)であろう!」


「おいまて」

芹沢鴨が琴の顔を大鉄扇(だいてっせん)の先で指した。

「顔を上げろ浪人。ふふ、その(うるわ)しきかんばせには見覚えがあるぞ。お前…浪士組にいたヤツだな」

二人が顔を合わせるのは浪士組が京に入る前日の大津宿以来だ。

「まだ、京に残っていたのか」


琴はそれには応えようとせず、ただ、

「沖田殿に(あず)けた刀を返してもらいにきた」

とだけ告げた。

土方が口元を(ゆが)め、追い払うように手を振った。

「出て行け。見りゃ分かるだろ。いま、取り込み中だ」


家里は黄ばんだ白絹(しらぎぬ)の上に頭を()()し、痛みに(もが)いている。


中沢琴は、山南が部屋の入り口に立てかけておいた自分の二尺八寸の差料(さしりょう)に手を伸ばした。

山南敬介はその時、確かに見た。

その刀はまるでその手に吸い寄せられるように琴の方に倒れたのだ。

しかし、目を疑う間もなかった。

琴は()(つか)むなり、スラリと抜きはなった。


「これだけ苦しめば十分でしょう」


一同は身構(みがま)えたが、その浪人が介錯(かいしゃく)を買って出たのだと気づくのに時間はかからなかった。


だが、ひとり、斎藤一だけは違った。


「女、その格好かっこうでまた俺の前に立つとはいい度胸どきょうだ」

ボソリと言うと、左手で引き寄せた刀の鯉口こいくちを切った。

彼は、仏生寺弥助の上段蹴(じょうだんげ)りを()わしたただ一人の”女”というのが、この浪人ではないかと結論づけていた。


「女だと?バカ言え、斎藤。そいつはな、俺がもうツバをつけてあんだよ。手を出すな」

芹沢鴨が薄笑(うすわら)いを浮かべる。

「あんたの指図(さしず)は受けん」

斎藤はギロリと芹沢を(にら)み返した。


「勝手に話を進めるのはやめてくれ」

琴は面白くなさそうに()き捨てると、(さや)を払った。

その刀は、まるでこれから人の血を吸うことが分かっているように、

しっとりと(なまめ)かしい光を放った。

刃文(はもん)が、まるでゆらゆらと波打(なみう)っているように見える。


だが、

琴と斎藤が視線を交錯(こうさく)させたその刹那(せつな)

山南敬介がまるで居合(いあい)抜きのような早技で刀を抜き、有無(うむ)を言わせるまもなく家里の首を落とした。


琴はしばらくの間、ただ呆然(ぼうぜん)と転がるその首を見つめ、そして刀をさやに収めた。


「刀を納めたまえ斎藤くん。ここは神聖しんせいな場所だ。いま抜けば私闘(しとう)と見なす」

山南は抜き身(ぬきみ)のまま、(けわ)しい目で斎藤を見下ろした。

「ウム…」

そう言われては引くしかない。

斎藤が低く(うな)った。

山南はたもとから懐紙かいしを取り出し、刀の血糊ちのりを拭き取ると静かに元の席に戻り、目を閉じた。


「まあ…上出来だ。片付けとけ」

芹沢はそう言い放ち、野口の肩をポンと叩くと席を立った。

「ちぇ…今日は散々だ」

芹沢の背中を見つめながら野口がボヤいたそのとき、

近藤勇が猛然もうぜんと立ち上がった。

「歳!ちょっと来い!」

近藤は土方歳三の腕を乱暴に(つか)み、引きるように部屋を連れ出した。

「おいおい!」

ただならぬ雰囲気に、井上源三郎が後を追う。


山南は、正座したまま動かない。

琴は山南にかける言葉が見つからず、そっと部屋を出た。


井上源三郎が二人を追って会所(かいしょ)裏手(うらて)に回り込んだとき、近藤は土方をなぐりつけていた。

「バカ野郎!お前、自分が何をしたか分かってんのか!」

土方は勢いで会所の鎧張(よろいば)りの壁に叩きつけられ、ズルズルと座り込むと、うっすらと血のにじむ口元をぬぐった。

「分かってるつもりさ…正論を言ったまでだぜ」

「お前の一言が、後戻りできない一線まで皆を追い込んだんだぞ!」

近藤の詰問(きつもん)に、土方はニヤリと笑って答えた。

「ああ、それも知ってる。だが俺の一言だ。あんたのじゃない」

「と、歳…お前…」

近藤は切れ長の目を見開き、やがて絶望したように肩をおとした。

「…すまん。取り返しのつかないことをしたのは俺の方だった。…総司にも、お前にも」

そう言い残し、近藤は井上の(わき)を無言で通り過ぎてその場を去っていった。


「ぺっ!あやまるなら最初からなぐんなよな!馬鹿力が!」

土方は道端(みちばた)に血を吐いて(どく)づいた。

「つくづく…」

井上源三郎は土方に手を差し出し、

「お前さんも損な性分(しょうぶん)だねえ。分かってるとは思うが、ありゃあ(なぐ)っちまったから謝った訳じゃないよ」

そう言って土方の腕を握ると助け起こした。


この後、新選組はその短い歴史を通じて脱走者の絶えることがなかったが、その中でも運の悪い者は捕らえられ、隊規違反の(かど)自決(じけつ)を迫られた。

その数は優に10名を越えたと伝わる。

そして、その最初の犠牲者(ぎせいしゃ)が家里次郎だった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
cont_access.php?citi_cont_id=929024445&size=135
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ