表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
幕末カタナ・ガール  作者: 子父澤 緊
下坂之章
223/404

愚か者の舟 其之参

琴たちの乗る小舟は、野口の重みで左右に大きくれて今にもしずみそうだ。

川面には幾重いくえにもさざなみが立っている。


「霧雨にけむ川面かわもに杯を傾ければ、小舟とたわむる愚者の群れが泡沫あくたとともに浮かんでは消えてゆく…ん~風流ふうりゅうだねえ」

原田は雨粒あまつぶの肌触りをたのしむように手のひらを窓の外にかざしている。

「私たちもそのバカ集団に片足突っ込んでんですよ!ねえ、どうすんのさ!」

「…俺たちゃ、あくまで中立さ。この見世物みせものの観客なんだから。だが」

「だが、なに!」

沖田がイライラして襟首えりくびを掴もうとしたとき、原田が振り返った。

「おい、ちょっとそこの茶碗ちゃわん取ってくれるか?」

「え?…これ?」

「…いや、やっぱり、そこの火鉢ひばちを貸せ」

「なんなのさ」

「いいから」

「なんなんだよ、まったくもう」

沖田はまゆをひそめながらも、言われるままに小さな火鉢ひばちを抱えると、原田に差し出した。

原田は火鉢ひばちを軽々と片手でつかみ、手のひらでズッシリとした重みを確かめてから、思い切り窓の外に放り投げた。

「取っとけ!うなぎの代金だ!」

火鉢ひばちは一直線に野口を直撃した。


「え?なに?ウナギ?あーーー!ののの、野口くん!な、な、何てことすんだあアンタあ!」

沖田は一瞬呆気(あっけ)にとられていたが、我に返って原田に掴みかかった。

「いや、あの程度で死にゃしねえよ。てか、お琴ちゃんにはちょっとした借りがあってな」

「そんな言い訳があるかー!一体、お琴さんにどんな借りを作ったんだ!」

「いやまあ、いいからいいから。おーい!これでこないだのはチャラな!」



琴はいきなり飛んできた火鉢ひばちの方向を目で追って原田の姿を認めると、にっこり微笑ほほえんで見せたが、すぐまた足元に目を落とした。

急に重石おもしが取れた阿部が、舟にい上がってきたのだ。


阿部はずぶれの着物の裾をしぼりながら毒づいた。

「思わず飛び出しちまったが、考えてみりゃ俺には関わりのねえことじゃねえか。いかんいかん、後ろめたい仕事ばっか引き受けてるから逃げるのがクセになってやがるぜ、畜生」

脳裏のうりに、あの人斬り以蔵の不気味な顔がよぎる。

慌ててそれを手で振り払ったが、なにやら腰のあたりがスースーする。

「くそ、マジかよ!形ばかりの竹光たけみつもどっかいっちまった。あ!コレにくっついてたユニコオルだかなんだかもねえ!」

おびにはあるはずの刀がなく、あの印籠いんろうだけが引っかかっている。


「なにを呑気のんきなこと言ってる。生きてるだけありがたいと思え」

冷ややかに言う琴を、水も滴る阿部がにらみつけた。

「九郎、てめえ!今までどこ行ってやがった!」

琴はそれには答えず、かい川縁かわべりの石垣を突いて、舟に勢いをつけた。

「うおっと!」

阿部はバランスを崩して舟のへりにしがみついた。

「ちゃんとあの場にいたよ。隣の部屋から様子をうかがっていた。あなたが下らない誘いに乗るんじゃないかとヒヤヒヤしながらな」

「ば、馬鹿バカいえ!」

「…だな。何度も“修羅場しゅらば“をんだあなたなら、いま、この上方かみがたで薩摩を敵に廻すのがどれだけ危険なことか、分からないはずはないもの」

えらそうに訳知わけしり顔で説教垂れてんじゃねえよ!そもそもてめえが遅れなきゃこんなことに…ていうか、あーっ!お、お、お、おまえ!」

その時、阿部はようやく重大な事実に気がついた。

先ほどの騒ぎで同じく大量の水飛沫みずしぶきを浴びた琴の身体には、びしょ濡れの着物が張り付いて女性的なラインがはっきりと浮き出ている。


「お、女か!」

「まあね…もうあなたに隠す意味もないから、いいけど」

琴はやれやれと言った顔で、川に張り出したしだれやなぎの枝をかき分けた。

「あ、あーそ。そうなの。あーよかった」

「なにが?」

いきなり飛び掛かられるのも覚悟かくごしていた琴は、なんだか肩透かたすかしを食らわされたていでキョトンとしている。

もっとも、琴に阿部の心の動きなど分かるはずもなかった。

この中沢九郎に対して淡い恋心のようなものが芽生えていることに気をんでいた阿部は、むしろホッとしていた。

「う、うるせえな!なんでもねえよ!なーんか変だとは思ってたんだ。ていうか、あんた、女だてらに浪士組に入るなんざイカれてるぞ!」

「自分でもそう思うが、色々あったんだ」

琴がムッとして言い返すと、阿部もぶっきらぼうに応じる。

「…で?本当の名は?」

「中沢琴。初めまして、だけど、命を助けてやったのはこれで何度目?」

「ちぇ!もういいよ!だいたい俺はあんな奴らから狙われる筋合いはねえんだ。狙われたのはこの兄さんだろ?」

ちょうどその時、ようやく追いついた家里が舟のへりに手をかけて、阿部はその揺れに任せて力尽ちからつきたように仰向あおむけになった。

「…いや、それも、もうどうでもいいや」


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
cont_access.php?citi_cont_id=929024445&size=135
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ