大津宿の密会 其之伍
「もうそこら辺にしときなよ」
見かねた土方歳三が割って入った。
山南敬介、永倉新八ら、試衛館の面々がそれに続いて姿を現す。
「おやおや、ようやくお出ましか。いつまで物陰にかくれて震えているのかと、こっちがヒヤヒヤしたぜ」
芹沢は、最初から彼らの存在に気づいていたらしく、冷笑を浮かべている。
試衞館一門でも血の気の多い原田や藤堂は、早くも身構えていた。
「ああ?もう一回言ってみろよ」
土方は、二人を手で制して、怒鳴りつけた。
「バカ野郎!安っぽい挑発に乗ってんじゃねえよ。これ以上、話をややこしくすんな!」
原田らは低く唸って、一歩退いた。
「ずいぶん躾けが出来てきたじゃねえか、土方」
芹沢は皮肉たっぷりに、これまでの因縁を当てこすった。
土方は表情を変えず、芹沢の目を睨みすえる。
「芹沢さん、こいつらは狼みたいなもんでね。飼い慣らすことは出来ねえ。それ以上よけいな口を利いたら、俺にも止められねえぜ?首筋を食いちぎられねえよう、せいぜい気をつけるんだな」
「おお、怖い」
芹沢は肩をすくめて、首筋を押さえてみせた。
新見錦が薄く笑って、刀を握りなおした。
切っ先は、井上源三郎の胸元に突きつけられたままだ。
井上はゴクリと唾を飲んだ。
そのとき、水戸一派の一人、平間重助が、新見の手を抑えた。
「やめとけ、新見さん。芹沢さんも。判らんのか?ここらがお互い引きどきだ」
芹沢と土方は、なおもしばらく睨み合っていたが、芹沢がふと視線をはずして節目がちに笑った。
「ふん。そこの兄ちゃん、今日のところは井上さんの顔を立てて、このケンカ、預かりってことにしとこうや。どっちにしろ、京に着けば、嫌でも毎日顔を合わせるんだしな」
平間重助が地面に落ちた鉄扇を拾い上げて、芹沢に差し出した。
「ほら」
「ありがとよ」
芹沢は受け取った鉄扇で土方の肩をポンとたたき、ゆっくりと脇を通り過ぎていった。
井上源三郎がホッとしたように土方と目をあわせたとき、
路地に折れる角でふと立ち止まった芹沢が尋ねた。
「そうだ、井上さん。あんたどうする?」
「え?あのお…」
なんのことか分からず戸惑う井上に、芹沢は小指を立てて見せた。
「コレだよ。花街」
井上は、合点がいったと笑顔を見せる。
「ああ。いや、今夜は遠慮しておきましょう」
「そっか。じゃ、また今度な」
芹沢たちが行ってしまうと、土方は精も根も尽き果て、井上源三郎の腕にすがった。
「源さん、カッコよかったぜ?」
「いや、足が震えたよ」
井上も疲れきった笑みを見せた。
張りつめた緊張が解けて、みな一様に脱力感に襲われている。
ただ一人、中沢琴を除いては。
「さて、あんた」
正体不明の浪士を振り返った土方は、
表通りからわずかに届く灯りに照らされたその顔を見たとたん、
ハッとして何か言いかけたが、永倉新八の言葉がそれを遮った。
「あんた、女だな?」
原田左之助が、永倉の肩をつかむ。
「おいおい、大丈夫か?今日はまだ飲んじゃいねえだろ?」
永倉はそれをふり払って、中沢琴に詰め寄った。
「いーや!おれぁ、女には鼻が効くんだ。こいつは、可愛娘ちゃんの匂いだぜ」
土方は、汚らわしいモノでも見るように、永倉から身を引いた。
「イヤな特技だな」
謎の浪士は無言のまま歩み出て、山南の前に立った。
街の灯が、その端正な顔にかかる陰のベールを脱がしていくのを見ながら、山南敬介は心配していたことが的中したのを悟った。
「やはり…お琴さん」
途方に暮れる山南に、中沢琴は何事もなかったように微笑んで、ぺこりとお辞儀をした。
「お久しぶりです」
「なんだ、知り合いなのか?」
原田左之助が二人の顔を見比べながら尋ねた。
うなだれる山南に代わって、沖田が紹介を買って出た。
「中沢さんのご姉弟のお琴さんです」
「やっぱり女か。ふうん、で、中沢って誰?」
原田には、いっこうに話が見えない。
山南は観念したように肩を落として、事情を説明した。
「うちの六番隊にいる中沢良之助さんですよ。彼は私が北辰一刀流玄武館にいた時の同門なんです」
永倉は、琴に鼻先がくっつくほど顔を寄せて、舐めまわすようにジロジロ見つめた。
「ほう?あのゴツい男の妹とは思えん可愛さだ」
「前に言ったでしょ?ヘタに手を出すと、肘から先がなくなりますよ」
と、沖田が釘を刺した。
山南は、あらためて琴を睨むと、叱り付けるように詰問した。
「いったい、こんなところで何をやってるんです!清河さんとなんの話をしていたんですか」
沖田が可笑しそうに、藤堂平助に耳打ちする。
「けっきょく、芹沢さんと同じこと聴いてるよ」
それが聞こえたのか、琴は少しおどけた表情で沖田に目配せした。
「答えなさい!」
山南は、さらに激しく詰め寄った。
しかし。
「…内緒です」
琴ははぐらかすと、あいまいな微笑を残して、足早に雑踏の中へと消えていった。




