脱走者に罰を 其之弐
大坂に来ても相変わらずの有様に、同じく副長山南敬介がため息を漏らした。
彼は水戸派の一団が出て行ったのを見計らって、原田左之助に肩を寄せた。
「原田さん、申し訳ないが後をつけて、彼らが何か面倒ごとを起こしそうなら止めてやってくれませんか?」
「えーっ?なんでなんでえ?なんで俺え?」
すかさず山南は、二朱銭を原田の手のひらに握らせた。
「少ないですが、これは尾行の経費です」
「おいおい、見縊ってもらっちゃ困るな。この俺を金で釣ろうってのか山南副長?不肖、原田左之助、お役目とあらばロハで命を賭けることだってイトわないんだぜ?」
「…あー…疑っちゃいない。疑っちゃいないんですが、これはあくまで必要経費として」
山南はいかにも面倒臭そうに原田の茶番に付き合った。
「あ、そう?そうなの?んじゃ遠慮なく!」
そそくさと金を懐にしまう原田の現金な態度に不安を覚えたのか、山南の人差し指はもうひとりのお目付役を物色するように彷徨った。
「あ〜、あと、沖田くん。君も」
「えーっナニそれ?!そんなの山南さんが付いてきゃいいじゃん…あ、そっか、アレか」
いつもの子供じみた不平が突然止んだので、山南は逆に怪しんだ
「なんだ?」
「こないだお琴さんから預かった刀は、そこに置いておきますから。今日にもお琴さんが取りに来るかもしれないから、山南さんはここに居なきゃ、ね?」
「余計な気は使わなくていいから、さっさと行きたまえ」
山南はきまり悪そうに、沖田の肩をグイと押した。
「はあい、はい」
原田は目立たないよう、普段は肌身離さず持ち歩く槍をおいて刀を差し、すでに土間で草履を引っ掛けている。
「総司、行くならサッサとしろぉ!モタモタしてっと置いてっちゃうからなぁ。あ、あと、あとね。この金は俺んだから。飯食うなら、お前は自腹な」
「ああ、そ。…はいはい」
沖田はゲンナリした顔で差料をつかんだ。
ところが、この滞在延長のおかげで、大坂の街に繰り出した芹沢らは意外な獲物を釣り上げる事になる。
さて、今さらながら、話の雰囲気を掴んで頂くために、地理的な説明を差し挟んでおきたい。
ここでいう大坂の版図をザックリと括れば、現代の大阪市とほぼ重なる地域を指していると想像してほしい。
そこには約三十万人の人々が暮らしており、日本の物流の約七割がこの街を経由するといわれていた。
現在の東京23区には1370万人が住んでいるというから、現代人からすれば随分のんびりしたものではあるが、
それでも街道にはたくさんの荷駄が行き交い、町人たちの足も早い。
人が集まれば盛り場は賑わい、となれば、芹沢たちの足は自然、北新地に向く。
というわけで、北新地。
時を同じくして、阿部慎蔵もまた、この花街に舞い戻っていた。
その一画、料亭、紀の国屋に九つの鐘が聴こえる頃。
先に姿を現したのは、借金取りの親玉、石塚岩雄の方だった。
正確にはもう一人、羽二重の羽織、仙台平の袴という、およそ石塚の連れとしては似つかわしくない人物を伴っている。
「はーん、新地の料亭を密会場所に指定するとは、あいつもなかなか洒落た真似をしてくれるやないか」
石塚は小指で鼻をほじりながら、まさに街のゴロツキらしく歯を見せて笑った。
連れの男はなんの反応も示さず、店の入り口をじっと見つめている。
「ハ!密談といや料亭が相場だろ?」
一足違いで到着した阿部慎蔵が、いつの間にか背後に立っていた。
「結構。ここの支払いは大丈夫やろな?」
石塚が小馬鹿にした目で振り返る。
「ツケとくさ。そんなことより、さっさと済ましちまおうぜ?そこいらをウロついてる長州の奴らがま〜た増えてやがる」
さて、
その紀の国屋に女中として雇われている琴は、忙しい夜を避けて、部屋の掃除に当てられたこの時間帯を指定したものの、姿を見せて協議に加わる訳にもいかない。
阿部は、通された座敷に誰もいないのを見て舌打ちした。
「あんの野郎、呼びつけといて遅刻か?」
つき出しを運んで着た小寅が、見覚えのある顔に目をパチクリさせると、阿部は「しっ」と口元に人差し指を立てて、余計なことを喋るなと合図した。
焦れるあまり、額には脂汗が滲んでいる。
琴は掃除のフリをしながら、隣の部屋を覗き見て、聞き耳を立てるうち、この状況が少し滑稽に思えてきて、意地悪な衝動に駆られた。
正直なところ、今となっては阿部に正体を隠す意味も定かではなくなっていたが、とは言え、いま小寅の前で全てを明かすわけにもいかない。
石塚岩雄は、不逞浪士の見本のように胡座をかいて肘掛をひきよせると、
訝しげにゴツゴツした肩を前に乗り出した。
「…なにをソワソワしとるんや?」
「もう一人、同席する男が来るはずなんだ」
「待った待った!そいつは何者やねん?」
石塚は、明らかに警戒した様子で、チラリと入口の方に視線をやった。
「なにビビってやがる。俺の仲間だ。すこし遅れているようだが、気にしないでくれ」
「そりゃ無理ってもんやで。得体の知れん奴の前で、仕事の話なんぞ出来るかい。そいつがタレこんで、手が後ろに回るのはゴメンやからな」
「おいちょっと待て、今日は借金の話をしに来たはずだぜ?」
阿部が話を遮ると、石塚はフンと鼻を鳴らした。
「その通りやけどな。わしの方にも話があるんや。そやさけ、ここには信用できる人間以外は入れたない」
なんだか雲行きが怪しくなって来た。
「ちぇ、堅えこと言うなよ。あんただって、用心棒を連れてるじゃねえか」
阿部は石塚の後ろに立つ身なりのいい男を指して言った。
石塚は、さも意外そうに眼を見開いた。
「この人はな、今回のヤマを持ち込んでくれた、言わば当事者や」
そう紹介された男こそは、かつて風流男子と評された家里次郎、浪士組の脱走者だった。
「マユツバだぜ」
阿部の礼を失した態度にも男は取り合わず、付き出しの皿を透かすように目線の上まで持ち上げ、風流人らしく感想を述べた。
「ふむ、丹波(焼)か。まあまあ、せっかくだから、まず大坂名物の割烹とやらを楽しみませんか?伊勢育ちの私は、いい加減あの煮物ばかりの京料理には飽き飽きしてましてね。新鮮な海の幸を食べられるのは久しぶりなんだ」
「スカしてやがる」
阿部がさらに失礼を重ねると、石塚が反撃に出た。
「抜かせ!おまえの用心棒こそ、本当に信用できるんやろうな?」
「口の堅さは請け負うぜ」
「どうだか」
家里は二人のやりとりを聞きながら、和え物を黙々と咀嚼している。
待つ気などない石塚は、さっそく本題を切り出した。
「ま、あんたから声を掛けてきてくれて正直救われたわ。谷先生、ずいぶんお困りのようでな。催促するのも気が咎めとったとこや」
「道場に行ったのか?金の話は俺を通せと言ったはずだ」
「まあまあ、落ち着いて。ほれ、刺身でも食わんかい。あんたが選んだ店にしては、なかなかイケるで?」
石塚は箸でつまんだ切り身をヒラヒラと振って、
「そやけどあんたも、いっこう返済の目処が立たんやないか。分かってもらわならんが、こっちも商売や。ただ指をくわえて待っとるわけにもいかん」
と、小馬鹿にした態度でへりくだって見せた。
「おい、まるで俺が何も努力してないみてえな口ぶりだが、こないだはあんたにガセをつかまされたんだぜ?!」
石塚は呆れた風に肩をすくめた。
「やれやれ、また蒸し返す気かえ?」
「本当のことだろ!」
「わかったがな、声がデカい。ま、ここは素直に謝っといたろ。ちゅうわけで、また一つ、儲け話を持ってきたったんや」
「は、おいでなすったな」




