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幕末カタナ・ガール  作者: 子父澤 緊
下坂之章
218/404

脱走者に罰を 其之壱

時は春、

日は朝、

朝は七時、

片岡に露みちて、

揚雲雀(あげひばり)なのりいで、

蝸牛(カタツムリ)枝に()ひ、

神、そらに知ろしめす。

すべて世は事も無し。


しかし1863年、梅雨どきの大坂にいる阿部慎蔵にとって、世界はロバート・ブラウニングの詩のように、美しさと優しさに満ち満ちていたわけではなかった。


「ちぇ、この長雨ながあめで、窓までカタツムリがい上がってやがら」

幸町、旅籠はたご鳥毛屋トリゲヤの二階。

窓ベリに腰かけた阿部は、カタツムリを指先で通りにはじき飛ばした。

「…う〜ん、どうしたもんか」

ガラにもなく、なにやら難しい表情で考えをめぐらせている。


そもそも大坂に阿部が舞い戻った目的、それは、借金取りの石塚岩雄という浪人に会うためだった。

阿部がここに至るまでにたどった流転るてんと放浪の日々を語れば、一個の大長編小説が書けるほどの紆余曲折うよきょくせつと驚きに満ちた冒険があったのだが、誰も興味がないと思うので、それは割愛かつあいする。


「要するに、あちこちで聴いたうわさを総合すると、石塚のやろーは谷万太郎道場が抱える債権さいけんを一手に買い取って、道場を土地ごと差し押さえる気でいやがるらしい」

阿部としては、この厄介やっかいな交渉相手をなんとか説得して、返済を引き延ばしたい。

借金取りにズカズカと道場に上がり込まれ、師である谷万太郎の眼の前で金の話をされるのをはばかった阿部は、先手(せんて)を打って、こちらから話し合いを申し入れた。

まず、交渉こうしょうを有利に進めるためには、こちらの土俵どひょうで戦う必要がある。


「そこまではよかったんだ」

阿部は敷きっぱなしの布団ふとんの脇にあった書付を3枚手に取った。

石塚から場所を指定しろと矢の催促さいそくがきているのだ。

「こ、これもまあヨシとしよう」

あわよくば元金がんきんごと踏み倒してやろうなどと虫のいいことを目論もくろんでいた阿部にしてみれば、はなから少々手荒(タフ)交渉こうしょうさない覚悟である。

「そのために苦労して凄腕すごうでの中沢九郎(琴)を引き込んだんだからな」

と、自分を納得させるように呟いた。

だが、

その肝心の中沢九郎(琴)が、昨日来姿をくらましている。

計画は、根本から見直しを迫られていた。


「どうにも先走さきばしっちまったなあ。こんなときにバックれやがってあの野郎。もうこうなりゃどうとでもなれだ畜生チクショー!」

などと、ない知恵をしぼった末、結局捨て鉢(すてばち)になっていたところに、

ふすまが勢いよく開き、旅籠(はたご)の女中が仏頂面(ぶっちょうづら)をのぞかせたのだった。


「お客はん!またお手紙が届いてまっせ!」


女中はいつまでも部屋を出ようとしない迷惑な客に、精一杯の態度で意思を示したが、阿部は意に(かい)さず手紙をひったくる。

「またかよ!よこせ!ん?これ…」


それは、明らかに石塚岩雄のものとは異なる流麗(りゅうれい)な文字でしたためられていた。


「紀ノ国屋ニテツ。本正午ほんしょうご掛取かけとリト同行どうこうサレタシ」


待ちに待った中沢九郎(琴)からの便りは思いもよらぬ内容だった。

つまり、今日の昼、借金取りを連れて来いと言うのだ。

「驚いたな。あのやろ、俺を差し置いて、ちゃっかりあの料亭にもぐり込んだらしい。いったいどんな手管てくだを使いやがった?」

それはさて置いても、せっかく琴がセッティングしてくれた機会をのがす手はない。


阿部はあわてて紀の国屋で密会する手筈てはずを整えなければならなかった。

「おい!女中さん待った待った!ちょっと今から手紙を書くから!これ、届けて」

「えー!!まだ部屋空けてくれはらへんの!?ええ加減、掃除したいんですけど!」



一方、浪士組近藤勇らは。

昨日、天保山てんぽうざんの港から順動丸(じゅんどうまる)船影(せんえい)が豆粒ほどになるまで見送ったのち、

波の音と行楽地(こうらくち)の賑わいをむなしく聴きながら、将軍の帰港(きこう)を待った。


自分たちの無力さを思い知るには充分な時間が過ぎ、

そして、海があかね色に染まる空の色を映す頃、船は着岸した。



翌、廿四にじゅうよん日。雨


会津藩公用方あいづはんこうようがた秋月悌次郎あきづきていじろうからの説明では、徳川家茂はこのまま大坂城に留まり、攘夷に向けて勝海舟が提言した海軍学校の設立やらなにやら、色々な決済けっさいに追われているらしい。


ただ、この滞在がいったいいつまで続くのか、明確な指示もないまま、壬生浪士組は、またもやいたずらに時を過ごすことを余儀よぎなくされている。


かと言うとそうでもなく、


阿部が鬱々(うつうつ)と雨を眺めていたその同じ頃。


筆頭局長ひっとうきょくちょう芹沢鴨は、朝からいそがしそうに身支度みじたくを整えていた。

「やあれやれ、誰がなんのために引き伸ばしてるんだか、大坂滞在は長引きそうだぜ。そうこうしているうちに、面倒ごとが起きなきゃいいが。ケケケ!」

豪商ごうしょうの多いこの土地では、ゆすり、たかりのタネがゴロゴロしている。

もっともそれは、攘夷のための”御用金ごようきんし上げというもっともらしい名目めいもく横行おうこうしていた。


平間重助、平山五郎、野口健司、そして佐伯又三郎。

ぞろぞろと水戸一派を引き連れ、出かけてゆく芹沢を横目(よこめ)に、副長土方歳三が、わざと聞こえる程度の小声で皮肉ひにくった。

「チッ、よく言うぜ。どうせ大坂まで来たついでに一稼(ひとかせ)ぎして行こうって(はら)だろ。今は公方(くぼう)様がやってきて奉行所もピリピリしてんだ。あんまり派手にやって、ヘタを打たないでくれよな」


「なんか言ったか副長さん!ぁあ?」

取り巻きのひとり、隻眼(せきがん)の剣士平山五郎がすごんだ。


「まあまあ平山、そう怒んなよ。土方くんはなにか考え違いをしてるんだろうぜ。なんつってもよ、俺たちゃ”取り締まられる側”じゃなくて、”取り締まる側”なんだからよ」

ニヤニヤしながら、芹沢がヒラリと紋付もんつき羽織はおる。

土方も引き下がらない。

「こりゃ失礼いたしました局長殿。もっとも、考え違いをしてんのが俺だけならいいが。くれぐれもそこら辺とこを、この、」

挑発(ちょうはつ)するように平山のひたいに人差し指を突きつけた。

「頭の悪そうな腰巾着こしぎんちゃくにも、分かりやすく言い聞かせてやっていただきたいね。立場をわきまえて振舞ふるまうように!ってな」


先ほどの説明を訂正(ていせい)しなければならない。

大阪の人びとを(おびや)かしていたのは、なにも攘夷派の押し借りだけではなかった。

そうした不逞浪士ふていろうしを取り締まり、徳川幕府の治世ちせいを護るといった理由で資金供与しきんきょうよを強制するやからも大勢いたからだ。


「てめえなんだとこの野郎!」

カッとした平山が刀のにかけようとした手を、副長助勤(ふくちょうじょきん)永倉新八が(おさ)えた。

「や〜めなよ、朝っぱらから暑苦しいったらありゃしねえ。土方さん、あんたもだ。ケンカなら外でやってくれ」

「相変わらず優等生だな、永倉」

土方が皮肉ひにくっぽく笑う。

「ああ、おれぁ生まれてからこの方、優等生で通してるんでね。人相にんそうの悪い男どもがガナリ合ってっと、ふるえあがっちまわ。さあ、行った行った!」

永倉は取り合おうともせず、手をヒラヒラと振ってみせた。


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