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幕末カタナ・ガール  作者: 子父澤 緊
下坂之章
216/404

メイド志願 其之壱

五月廿三(にじゅうさん)日、夕刻。


「は?女中志願(じょちゅうしがん)?」

北新地の料亭、紀の国屋の主人は、玄関の招き猫(マネキネコ)()でながら怪訝(けげん)面持おももちで尋ねた。

「へえ。表に来とりますのや」

番頭は声を(ひそ)めて、親指で入り口を指した。

「え?なんで?自分から?」

「いや、なんでってわたしに聞かれても。なんしか、ここで働かせてくれうて」

主人は少し考えてから、ハタと(ひざ)を打った。

「ふうん。アレか?年増(としま)か?」

「まだ18か19がええとこちゃいますかね」

「ほんなら、その、器量(きりょう)の方になんぞ不都合でも…」

「それが、ちょっとした芸妓(げいぎ)より、よっぽど別嬪(ベッピン)でっせ?」

主人はそこで、またしても考え込んだ。

年頃の、しかも見映(みば)えの良い娘がひとりで遊郭(ゆうかく)にやってきて、今日から働かせろなどということがあるだろうか。


「な〜んや(ウラ)がありそうやな。どこぞのヤクザ(もん)(めかけ)が逃げ込んできたんちゃうか?」

「どないですやろ。せやけど、ありゃお座敷に()げる(たぐい)の玉やおまへんな」

番頭はアゴを()()で、(わけ)知り顔で何度も(うなず)いた。

「なんでや」

「これがまた、えらい無愛想(ぶあいそ)な娘で」

「はっは〜ん。そうでうても、昨日も得体(えたい)の知れん二人組が来たとこやし。用心には用心をや。おまえな、ちょっとひとっ走りして、万吉親分に知らせてこんかい。なんやったら引き取ってもらえ」


もちろん、その無愛想ぶあいそうな娘とは、中沢琴だった。

花街で女物おんなものの着物を手に入れた琴は、髪結かみゆいで島田髷(しまだまげ)に結ってもらうと、薄くべにを引いて、ふたたび紀の国屋を訪れた。

一か八か、相手のふところもぐり込むけに出たのだ。

が、まさかヤクザに知らせが走ったなど、(つゆ)ほども思っていない。


当時、大坂では明石屋万吉(あかしやまんきち)という侠客(きょうかく)が、横堀から西の広大な縄張なわばりを仕切っていた。

歳はまだ三十路(みそじ)に入ったばかりだが、渡世(とせい)ではすでに立志伝中(りっしでんちゅう)の人物で、誠実かつ頼りになる大親分として市民からも絶大な人気をほこっている。


ところが紀の国屋の番頭は、出て行ってすぐに、その英雄(ヒーロー)本人を連れて戻ってきた。

「え!こりゃあ。親分さんみず恐縮(きょうしゅく)だす」

主人が驚いて腰を浮かすと、

「いや、ちゃうねんちゃうねん、たまたまな、近所に()ってん!」

明石屋万吉は、手をヒラヒラと振って見せた。

一見すると、広大な縄張(ナワバリ)を持つ一家(ファミリー)親分(ドン)とは思えない、なんとも(ひょう)げた男だ。

「実は親分さん…」

主人が事情を説明しようとするのを、万吉が扇子センスを振ってさえぎった。

「ああ、このお琴ちゃんのことやろ?そや、そや、そや、このやったらな、大丈夫やで。ワシとこの兄弟分からあずかっとる子や。ほんこないだな、京から出て来たんやけど、強情な娘でなあ。わしが面倒(めんどう)見たるゆうても自分の食い扶持(くいぶち)くらい自分で(かせ)ぐゆうて聞かへんねん」

「は、はあ、そうでっか」

「よお働くさかい、あんじょう面倒めんどう見たってや。な?な?な?あんじょう頼むで!ほなな、ほなな!」

琴は突然現れた見も知らぬ男が自分の身上しんじょうけ負ってくれたことに困惑(こんわく)して、

言うだけのことを言って、せっかちに出てこうとする男の背を追った。

「あの…お口添(くちぞ)えは有難(ありがた)いんですけど、どう考えてもわたし、あなたとお会いするのは初めてです」

通りに出た万吉は、さも愉快(ゆかい)そうに笑った。

「ひゃっひゃっひゃ!キツネに(つま)まれた顔ちゅうのはこのこっちゃな。なにね、京の仙吉さんからあんたの事、頼まれてましたんや。背がたこうて、負けん気が強そうで、ごっついお転婆(てんば)の美人がそっち行くから、なんぞ厄介(やっかい)ごとを起こしたら助けたってくれうてね。そりゃもう、ひと目見て、すぐにあんたやて判ったで」

「仙吉…というと、会津小鉄あいづのこてつのこと?」

「いとさん、大恩人に対して呼び捨てはあかんやろ。あの人の口利くちききがなかったら、ワシゃとっくにあんたのクビ落としてるで」

急に冷めた口調で声色を落とした万吉には、大坂の半分を支配する侠客(きょうかく)相応(ふさわ)しい凄味(すごみ)があった。

しかし、琴は持ち前の勝気(かちき)さで、その目をキッと見返す。

「こう言ってはなんですが、たかだか地回ぢまわりのヤクザにそんなことが許されるのかしら」

「おーお、鼻っ柱(はなっぱしら)の強いこと。仙吉さんがあんたのこと気に入ったワケが分かったど。けど、なんちゅうても、ワシゃこの辺の治安を(まも)っとる小野藩から、直々(じきじき)にお墨付(すみつ)きを(もろ)うとる。わしが不逞(ふてい)(やから)と判断したら、それだけで充分あんたを斬って捨てる理由になるんやで?」

まさかひと一人殺してお(とが)め無しということもあるまいが、その話の半分は本当だった。

が、それについての説明は後にゆずろう。


それより、この短期間で大坂にまで手を回すことができる会津小鉄あいづのこてつという男の底知れない人脈じんみゃくに琴は驚いていた。

そもそも、彼はどういうつもりで琴のかたを持つ気になったのか。

「まあいいわ、明石屋万吉さん。今回は素直すなおにご厚意(こうい)を受けます。けど、今後手出しは無用に」

「ははあ!聞きしに(まさ)るお転婆(てんば)やな。なにを企んでんのか知らんけど、ほな早よ行って働きなはれ。早速(さっそく)お客さんやで」

「あ」

琴は行きかけたが、ふと立ち止まって振り返った。


「それから、覚えておいて。そう簡単にわたしの首は獲れないから」


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