灯台守の老人 其之弐
“クロフネ”順動丸は、蒸気外輪船と呼ばれるタイプの船で、もともとはイギリスの商船だったものを幕府が買い請けた。
このとき完成からまだ二年しか経っておらず、当時としては最新の造船技術が使われたものと言えるだろう。
黒光りする船体の前方には巨大なマスト、中程に二本の煙突がそびえ立ち、その中央には巨大な外輪を持つ。
「…で、でっけえ」
藤堂平助が、その威容に圧倒された皆の気持ちを代弁した。
現在の一般的なフェリーと比べれば半分の全長にもみたない(約77m)から、現代人の感覚ではかなり小ぶりに見えるだろうが、もちろん、この時代にこれほど大きな鉄の塊を見たことがある日本人などいなかっただろう。
「こんなもんが湯気で動くなんて信じらんねえ」
原田左之助は、食い入るようにその巨体を眺めた。
「…湯気じゃなくて蒸気な。ひゃ〜!しっかし、イギリスやアメリカってなあ、すんげえカラクリを考える奴がいるもんだね」
永倉新八も、顎をさすりながら煙突を見上げ、しきりに感心している。
近藤勇は、今にもまた不逞浪士が乱入してくるのではないかと気を張っている様子だ。
「…そして俺たちは、こんな代物を作る奴らと5月10日をもって口火を切るわけだ」
永倉が自嘲的に笑った。
「ゾッとしねえ話さ。俺たちの刀じゃ、あの鉄の図体に傷一つつけらんねえぞぉ」
そのとき、近藤勇が灯台の方を顎で指した。
「…見ろよ」
藤堂、原田、永倉が一斉に振り返ると、
灯台の建つ岬の突端に、腰の曲がった老人が一人、
こちらに手を合わせている。
「なに?知り合い?」
永倉が冗談めかして指差すと、近藤は行列の中ほどを見据えて口をへの字に曲げた。
「バカ。ありゃ灯台守だ。たぶん大樹公を拝んでるんだよ」
「おーお。じいさん、生きてるうちに天上人をこの目で拝めて感極まっちゃったか?」
なんとなく物悲しいその姿を、四人はしばらくのあいだじっと見つめていた。
「…皆が花見に浮かれてる間も、あの人は一人で水平線に目を凝らしてたんだな」
藤堂の感傷的な台詞を、原田が胸板を掻きむしって笑った。
「なんだあ?で、それが今日報われたってか?」
近藤は何かの決意を秘めた目で重々しく応えた。
「報われたかどうかは問題じゃない。彼はやるべきことをやったってことだ」
土方歳三が近藤の肩を押しのけ、その将軍を取り巻く旗本たちを親指で指して言った。
「報われない苦労になんの意味があんだよ。そんな理屈は、俺たちよりあの連中にでも喰わせてやれ」
ボーッという排気音とともに、
老人の姿は、順動丸の煙突が吐く白煙にかき消された。
だが、近藤がどんな決意を持ったにせよ虚しく、
海に出る将軍に浪士組はお供を許されていない。
代わって将軍のお相手を勤めるのは、坂本龍馬の師、勝海舟である。
空虚で華やかなセレモニーの中、
即席の乗船員を従え、正装で出迎えた勝は、肩をすくめて身震いしてみせた。
「そおら、めんどくさそうなのが大勢おいでなすったぜ?この一世一代の大芝居を、一番の功労者であるヤツに見せられないのはかえすがえす残念だか、ま、こっから先はおいらの仕事だ。ヤツの苦労を無駄にゃできねえからな」
「はあ?」
お付きの旗本がどう答えてよいやら分からず、愛想笑いを浮かべる。
「いや、こっちの話。お勤めご苦労さん」
勝が言ったのは、東奔西走してこの舞台を整えたその坂本龍馬のことである。
この蒸気船を勝に代わって大坂まで運んだのが、ほかならぬ土佐脱藩の郷士坂本龍馬だったが、このとき、すでに龍馬は大阪にいなかった。
今度は大久保一翁に託けられた手紙を携え、松平春嶽を訪ねて早くも福井に旅立ったあとだ。
例によって話が逸れてしまうが、
大久保一翁は大目付と外国奉行を兼ねる超大物官僚で、日和見が常の幕閣にありながら一貫して開国論を説く異色の硬骨漢だった。
一介の脱藩浪士にすぎない龍馬が、幸運にも大久保の知遇を得たのは、師である勝海舟の紹介がきっかけだったが、身分の違う二人は一度で肝胆あい照らす間柄となった。
遡ること20日ほど前ー
江戸に大久保一翁を訪ねた龍馬は、彼から途方もない腹案を聞かされている。
「どうしても朝廷が攘夷に踏み切るというなら、
徳川幕府は統治権を朝廷に叩き返し、
大名諸侯と同列の地位に降りて旧領の駿府(駿河・遠江・三河)に引っ篭もり、
あとの事は各国の藩主たちが合議して勝手に決めればいい」
とても、内外の敵に目を光らせるべき役職の人物から発せられた言葉とは思えない。
ヤケクソとも、腹立ち紛れの暴論とも取れるが、ある意味においてはコロンブスの卵的な発想であり、紛れもなく、後に「大政奉還」と呼ばれる政権交代劇を予言していた。
そして、この現実離れした国家指針の草案が、坂本龍馬という男の耳に入ったことで、日本という国の未来は決定づけられた。
湖西街道をゆく龍馬の頭の中では、現在我々が住むこの国の原型が、混沌の中から徐々に醸成されつつあったかもしれない。
この日、
勝海舟は、蒸気船順動丸に主賓徳川家茂のほか、攘夷派の雄として三条実美とともに強硬な論陣を張っていた公卿姉小路公知らを乗せ、存分に世界列強の驚くべき技術力と優位性を知らしめ、海防の重要性を説いた。
らしい。
そして、勝海舟と、この日のため勝の手足となり奔走した坂本龍馬は、神戸海軍操練所設立の約束をみごと取り付けたのだった。
さて、
一説にはこのとき、姉小路公知はその狭量な考えを改めたともいわれ、それが真実であったかどうかはともかく、そうした噂が後に大きな悲劇を生むことになる。
というような、スケールの大きな話はさておき、市井の日常に目を戻そう。




