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幕末カタナ・ガール  作者: 子父澤 緊
下坂之章
215/404

灯台守の老人 其之弐

“クロフネ”順動丸は、蒸気外輪船じょうきがいりんせんと呼ばれるタイプの船で、もともとはイギリスの商船だったものを幕府が買いけた。

このとき完成からまだ二年しか経っておらず、当時としては最新の造船技術が使われたものと言えるだろう。


黒光りする船体の前方には巨大なマスト、中程(なかほど)に二本の煙突えんとつがそびえ立ち、その中央には巨大な外輪がいりんを持つ。


「…で、でっけえ」

藤堂平助が、その威容(いよう)に圧倒されたみなの気持ちを代弁した。

現在の一般的なフェリーと比べれば半分の全長にもみたない(約77m)から、現代人の感覚ではかなり小ぶりに見えるだろうが、もちろん、この時代にこれほど大きな鉄のかたまりを見たことがある日本人などいなかっただろう。


「こんなもんが湯気(ゆげ)で動くなんて信じらんねえ」

原田左之助は、食い入るようにその巨体をながめた。

「…湯気ゆげじゃなくて蒸気じょうきな。ひゃ〜!しっかし、イギリスやアメリカってなあ、すんげえカラクリを考える奴がいるもんだね」

永倉新八も、(あご)をさすりながら煙突を見上げ、しきりに感心している。


近藤勇は、今にもまた不逞浪士(ふていろうし)が乱入してくるのではないかと気を張っている様子だ。

「…そして俺たちは、こんな代物(シロモノ)を作る奴らと5月10日をもって口火くちびを切るわけだ」

永倉が自嘲的(じちょうてき)に笑った。

「ゾッとしねえ話さ。俺たちの刀じゃ、あのクロガネ図体ずうたいキズ一つつけらんねえぞぉ」


そのとき、近藤勇が灯台とうだいの方をあごで指した。

「…見ろよ」


藤堂、原田、永倉が一斉に振り返ると、

灯台の建つみさき突端とったんに、腰の曲がった老人が一人、

こちらに手を合わせている。

「なに?知り合い?」

永倉が冗談めかして指差すと、近藤は行列の中ほどを見据みすえて口をへの字に曲げた。

「バカ。ありゃ灯台守(とうだいもり)だ。たぶん大樹公たいじゅこうおがんでるんだよ」

「おーお。じいさん、生きてるうちに天上人てんじょうびとをこの目でおがめて感極(かんきわ)まっちゃったか?」


なんとなく物悲ものがなしいその姿を、四人はしばらくのあいだじっと見つめていた。

「…みなが花見に浮かれてる間も、あの人は一人で水平線に目を凝らしてたんだな」

藤堂の感傷(かんしょう)的な台詞(セリフ)を、原田が胸板むないたきむしって笑った。

「なんだあ?で、それが今日(むく)われたってか?」

近藤は何かの決意を秘めた目で重々しく応えた。

「報われたかどうかは問題じゃない。彼はやるべきことをやったってことだ」


土方歳三が近藤の肩を押しのけ、その将軍を取り巻く旗本はたもとたちを親指で指して言った。

「報われない苦労になんの意味があんだよ。そんな理屈は、俺たちよりあの連中にでも()わせてやれ」



ボーッという排気音とともに、

老人の姿は、順動丸じゅんどうまる煙突えんとつが吐く白煙はくえんにかき消された。



だが、近藤がどんな決意を持ったにせよむなしく、

海に出る将軍に浪士組はおともを許されていない。


代わって将軍のお相手をつとめるのは、坂本龍馬の師、勝海舟である。


空虚くうきょで華やかなセレモニーの中、

即席そくせきの乗船員を従え、正装で出迎えた勝は、肩をすくめて身震みぶるいしてみせた。

「そおら、めんどくさそうなのが大勢おいでなすったぜ?この一世一代の大芝居おおしばいを、一番の功労者こうろうしゃであるヤツに見せられないのはかえすがえす残念だか、ま、こっから先はおいらの仕事だ。ヤツの苦労を無駄ムダにゃできねえからな」

「はあ?」

お付きの旗本がどう答えてよいやら分からず、愛想あいそう笑いを浮かべる。


「いや、こっちの話。おつとめご苦労さん」

勝が言ったのは、東奔西走(とうほんせいそう)してこの舞台ぶたいを整えたその坂本龍馬のことである。


この蒸気船を勝に代わって大坂まで運んだのが、ほかならぬ土佐脱藩の郷士坂本龍馬だったが、このとき、すでに龍馬は大阪にいなかった。

今度は大久保一翁(おおくぼいちおう)ことづけられた手紙をたずさえ、松平春嶽(まつだいらしゅんごく)を訪ねて早くも福井に旅立ったあとだ。



例によって話がれてしまうが、

大久保一翁(おおくぼいちおう)大目付(おおめつけ)外国奉行がいこくぶぎょうねる超大物官僚(かんりょう)で、日和見(ひよりみ)が常の幕閣(ばっかく)にありながら一貫して開国かいこく論をく異色の硬骨漢(こうこつかん)だった。

一介の脱藩浪士にすぎない龍馬が、幸運にも大久保の知遇(ちぐう)を得たのは、師である勝海舟の紹介がきっかけだったが、身分の違う二人は一度で肝胆(かんたん)あい照らす間柄あいだがらとなった。


さかのぼること20日ほど前ー

江戸に大久保一翁おおくぼいちおうを訪ねた龍馬は、彼から途方(とほう)もない腹案ふくあんを聞かされている。


「どうしても朝廷が攘夷じょういに踏み切るというなら、

徳川幕府は統治とうち権を朝廷にたたき返し、

大名諸侯だいみょうしょこうと同列の地位に降りて旧領きゅうりょう駿府すんぷ(駿河・遠江・三河)に引っもり、

あとの事は各国の藩主たちが合議ごうぎして勝手に決めればいい」


とても、内外の敵に目を光らせるべき役職の人物から発せられた言葉とは思えない。

ヤケクソとも、腹立はらだまぎれの暴論とも取れるが、ある意味においてはコロンブスの卵的な発想であり、(まぎ)れもなく、後に「大政奉還(たいせいほうかん)」と呼ばれる政権交代劇せいけんこうたいげきを予言していた。


そして、この現実離れした国家指針こっかししん草案そうあんが、坂本龍馬という男の耳に入ったことで、日本という国の未来は決定づけられた。

湖西こせい街道をゆく龍馬の頭の中では、現在いま我々が住むこの国の原型が、混沌こんとんの中から徐々に醸成じょうせいされつつあったかもしれない。



この日、

勝海舟は、蒸気船順動丸に主賓(しゅひん)徳川家茂のほか、攘夷派のゆうとして三条実美さんじょうさねとみとともに強硬きょうこう論陣ろんじんを張っていた公卿くぎょう姉小路公知あねこうじきんともらを乗せ、存分に世界列強の驚くべき技術力と優位性(ゆういせい)を知らしめ、海防(かいぼう)の重要性を説いた。


らしい。


そして、勝海舟と、この日のため勝の手足となり奔走ほんそうした坂本龍馬は、神戸海軍操練所(こうべかいぐんそうれんじょ)設立の約束をみごと取り付けたのだった。


さて、

一説にはこのとき、姉小路公知はその狭量(きょうりょう)な考えを改めたともいわれ、それが真実であったかどうかはともかく、そうした(うわさ)のちに大きな悲劇を生むことになる。



というような、スケールの大きな話はさておき、市井(しせい)の日常に目を戻そう。


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