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幕末カタナ・ガール  作者: 子父澤 緊
下坂之章
214/404

灯台守の老人 其之壱

文久三年四月廿三(にじゅうさん)日、徳川家茂(とくがわいえもち)摂海巡視(せっかいじゅんし)当日。


この日、浪士組を含む会津藩が、徳川家茂公に随行ずいこうできるのは天保山の港までである。

港町みなとまちは名物の桜の季節が終わってひと息ついたところに、今度は徳川将軍がやってきて、便乗びんじょう商売の期待にいている。

しかし、この町に集まってきたのは物見(ものみ)高い観光客ばかりではなかった。


「…なにやら街がザワついてるな」

浪士組局長近藤勇は周囲に鋭い視線を走らせてつぶやいた。

「そりゃそうだろ。ついに将軍様が攘夷(じょうい)ため下坂げはんされたんだ」

副長土方歳三のお座なりな答えに、一晩悶々(もんもん)と過ごした近藤が納得するはずもない。

「しかし、そこいらをウロついてる奴らは、どう見ても野次馬(ヤジウマ)の町人にゃ見えねえぞ?」

「ふん、黙っていようと思ってたが、さすがにカンがいいな。攘夷派のお公家くげさんが、お供を引き連れて大坂入りしたらしい」

「おいおい、大したもんじゃねえか。大坂に入って間もないってのに、ずいぶんこっちの事情に通じてるな」

「へっ、まあな」

土方は中沢琴の顔を思い出したのか、ピクリと右目を痙攣けいれんさせた。


「…にしても、ここにきて公卿くぎょうがくちばしを突っこんでくるとは厄介やっかいだな。例の三条実美さんじょうさねとみ卿か?それとも姉小路公知あねこうじきんとも卿?」

「姉小路の方だ」

「いずれにせよ、そのおともってのは、長州の桂小五郎あたりか」

「ご名答めいとう。だが長州だけじゃねえ。肥後ひごー紀州きしゅー外国嫌がいこくぎらいの強面連中こわもてれんちゅうがワンサカらあ」

土方は左手の指をひとつずつ折ってみせ、ニヤリと笑う。

「…だから言ったろ?奴ら、家茂いえもち公が摂海せっかい(現在の大阪湾)の巡視じゅんしにかこつけて、そのまま船で江戸に逃げ帰っちまうんじゃねえかって本気で疑ってやがるらしい」

待ちに待った晴れ舞台だというのに。

近藤は苦々(にがにが)しげに舌打ちした。

クギを刺しに来たってわけか。ち、何様なにさまのつもりだ」

「しかし、だ。例えば、奴らが見張みはりに来てなきゃ、ホントのとこどうなってたかね?」

「…言うな!」

長州の家紋かもんが入った陣笠じんがさの一団と、それを見る野次馬ヤジウマの群れを横目よこめに、近藤は憮然ぶぜん()を早めた。


したぁにぃ、したぁに!」

旗持(はたも)ちの(やっこ)が声を張り上げる。

(ひざまず)く人々の頭はまるでいだ海のようで、

粛然しゅくぜんと進む徳川将軍の行列は、波をき分ける船を連想させた。

もちろん、その末尾まつびには浪士組の面々も加わっている。


沖田総司が、藤堂平助を小突(こづ)いて山の半分ほどもある高さの木製のとうを指差した。

「ほらほら、岬の高灯籠たかとうろう(灯台)が見えてきたよ!」

その上空を海鳥うみどりがグルグルと舞っている。


と、そのとき。

群衆ぐんしゅうの中から、若いサムライがひとり、隊列に割って入り、血走った眼で近藤勇に鼻面はなづらをつき付けた。


「へへ、まるでエサをくれるご主人様に尻尾しっぽを振って付いて行きよるイヌじゃのお?ワン、ワン!

港までご主人様をお見送りか?そのまま捨てられちまうとも知らずにおめでたい…」

言い終わらないうちに、

近藤の手刀しゅとう頸椎けいつい(首に後ろ)に入り、

男はその場にくずおれた。

一瞬の出来事だ。


連れらしき男がけ寄り、その闖入者ちんにゅうしゃを抱きかかえた。

「おい、文之助!しっかりせい」

近藤は歩みを止めようともせず、二人をチラと見下ろした。

「死んじゃいない。さわぎにはしたくないから、今日のところはこれで勘弁かんべんしてやろう。だが、名前は覚えたからな。この界隈かいわいで次に同じ顔を見かけたら斬り捨てる。なわでもかけてはぎ(長州の城下町)に送り返すんだな」


「ヒュー、やるね」

土方が冷やかすと、近藤は振り返りもせず、ぶっきら棒に応えた。

「…気に入らん」

「なにが」

「あの男の眼を見たか?正気とは思えなかった」



現代では日本一低い山として知られる天保山だが、当時はもう少し高かったようだ。

この山のいわれを少し説明すると、もともと天保年間てんぽうねんかん(1830-1844 この物語の約20~30年前)に安治川あじかわを拡げる大規模な土木工事があって、そのとき流されてきた土砂どしゃが河口にまり船の往き来をさまたげるようになってしまった。

このため、川底をさらい土砂を()い出して出来た築山つきやまが、航行(こうこう)する船からの目印になって都合がいいということでそのまま残されたもので、その山を取り巻くように港町が形成されていった。

やがて風光明媚ふうこうめいびなこの土地は、花見や舟遊びができる行楽地こうらくちとして栄えることになったのだが、こののち、戦闘体勢せんとうたいせいに入った幕府がお台場(砲台を並べた場所)を作ったときけずり取ってしまったらしい。

現在、天保山港から安治川口(あじかわぐち)(へだ)てた対岸に巨大なハリウッド映画のテーマパークがあるのは歴史の皮肉である。



通りのにぎわいを抜けると、そこは天保山の港だ。

この港は今で言う大阪湾の一番奥まった場所に位置していて、視界一面に水平線が拡がるような海岸ではなく、両側にずっと地続きの陸地が見える。

右側が神戸、左手には堺を望む。

そのはるか向こうに摂海(せっかい)の水平線が空と溶け合うように(かす)んで見えた。


波の音としおの香り。


そして。


桟橋さんばしには蒸気船(じょうきせん)順動丸(じゅんどうまる)」が停泊(ていはく)していた。


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