灯台守の老人 其之壱
文久三年四月廿三日、徳川家茂摂海巡視当日。
この日、浪士組を含む会津藩が、徳川家茂公に随行できるのは天保山の港までである。
港町は名物の桜の季節が終わってひと息ついたところに、今度は徳川将軍がやってきて、便乗商売の期待に沸いている。
しかし、この町に集まってきたのは物見高い観光客ばかりではなかった。
「…なにやら街がザワついてるな」
浪士組局長近藤勇は周囲に鋭い視線を走らせてつぶやいた。
「そりゃそうだろ。ついに将軍様が攘夷の為に下坂されたんだ」
副長土方歳三のお座なりな答えに、一晩悶々と過ごした近藤が納得するはずもない。
「しかし、そこいらをウロついてる奴らは、どう見ても野次馬の町人にゃ見えねえぞ?」
「ふん、黙っていようと思ってたが、さすがに勘がいいな。攘夷派のお公家さんが、お供を引き連れて大坂入りしたらしい」
「おいおい、大したもんじゃねえか。大坂に入って間もないってのに、ずいぶんこっちの事情に通じてるな」
「へっ、まあな」
土方は中沢琴の顔を思い出したのか、ピクリと右目を痙攣させた。
「…にしても、ここにきて公卿がくちばしを突っこんでくるとは厄介だな。例の三条実美卿か?それとも姉小路公知卿?」
「姉小路の方だ」
「いずれにせよ、そのお供ってのは、長州の桂小五郎あたりか」
「ご名答。だが長州だけじゃねえ。肥後、紀州と外国嫌いの強面連中がワンサカ居らあ」
土方は左手の指をひとつずつ折ってみせ、ニヤリと笑う。
「…だから言ったろ?奴ら、家茂公が摂海(現在の大阪湾)の巡視にかこつけて、そのまま船で江戸に逃げ帰っちまうんじゃねえかって本気で疑ってやがるらしい」
待ちに待った晴れ舞台だというのに。
近藤は苦々しげに舌打ちした。
「釘を刺しに来たってわけか。ち、何様のつもりだ」
「しかし、だ。例えば、奴らが見張りに来てなきゃ、ホントのとこどうなってたかね?」
「…言うな!」
長州の家紋が入った陣笠の一団と、それを見る野次馬の群れを横目に、近藤は憮然と歩を早めた。
「下ぁにぃ、下ぁに!」
旗持ちの奴が声を張り上げる。
跪く人々の頭はまるで凪いだ海のようで、
粛然と進む徳川将軍の行列は、波を掻き分ける船を連想させた。
もちろん、その末尾には浪士組の面々も加わっている。
沖田総司が、藤堂平助を小突いて山の半分ほどもある高さの木製の塔を指差した。
「ほらほら、岬の高灯籠(灯台)が見えてきたよ!」
その上空を海鳥がグルグルと舞っている。
と、そのとき。
群衆の中から、若い侍がひとり、隊列に割って入り、血走った眼で近藤勇に鼻面をつき付けた。
「へへ、まるでエサをくれるご主人様に尻尾を振って付いて行きよる犬じゃのお?ワン、ワン!
港までご主人様をお見送りか?そのまま捨てられちまうとも知らずにおめでたい…」
言い終わらないうちに、
近藤の手刀が頸椎(首に後ろ)に入り、
男はその場にくずおれた。
一瞬の出来事だ。
連れらしき男が駆け寄り、その闖入者を抱きかかえた。
「おい、文之助!しっかりせい」
近藤は歩みを止めようともせず、二人をチラと見下ろした。
「死んじゃいない。騒ぎにはしたくないから、今日のところはこれで勘弁してやろう。だが、名前は覚えたからな。この界隈で次に同じ顔を見かけたら斬り捨てる。縄でもかけて萩(長州の城下町)に送り返すんだな」
「ヒュー、やるね」
土方が冷やかすと、近藤は振り返りもせず、ぶっきら棒に応えた。
「…気に入らん」
「なにが」
「あの男の眼を見たか?正気とは思えなかった」
現代では日本一低い山として知られる天保山だが、当時はもう少し高かったようだ。
この山の謂れを少し説明すると、もともと天保年間(1830-1844 この物語の約20~30年前)に安治川を拡げる大規模な土木工事があって、そのとき流されてきた土砂が河口に溜まり船の往き来を妨げるようになってしまった。
このため、川底をさらい土砂を掻い出して出来た築山が、航行する船からの目印になって都合がいいということでそのまま残されたもので、その山を取り巻くように港町が形成されていった。
やがて風光明媚なこの土地は、花見や舟遊びができる行楽地として栄えることになったのだが、こののち、戦闘体勢に入った幕府がお台場(砲台を並べた場所)を作ったとき削り取ってしまったらしい。
現在、天保山港から安治川口を隔てた対岸に巨大なハリウッド映画のテーマパークがあるのは歴史の皮肉である。
通りの賑わいを抜けると、そこは天保山の港だ。
この港は今で言う大阪湾の一番奥まった場所に位置していて、視界一面に水平線が拡がるような海岸ではなく、両側にずっと地続きの陸地が見える。
右側が神戸、左手には堺を望む。
そのはるか向こうに摂海の水平線が空と溶け合うように霞んで見えた。
波の音と潮の香り。
そして。
桟橋には蒸気船「順動丸」が停泊していた。




