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幕末カタナ・ガール  作者: 子父澤 緊
下坂之章
213/404

ファム・ファタール 四幕

「楽しかったですねえ」

沖田総司は、ニコニコしながら緋毛氈ひもうせんの敷かれた玄関にそろえられた草履ぞうりを引っ掛けた。

先に立つ土方が胸を反らせ、ふところで腕を組んだまま首だけ振り返った。

「ハ!あの程度で喜んでるから田舎いなかもん扱いされんだよ。となりでドンチャン騒ぎしてた御家人(ごけにん)どもが座敷にあげた、若鶴わかづるって太夫たゆうを見たか?俺はな、こっちにいるうちにあの女を落とすぜ?」

源三郎があきれた顔で、暖簾(のれん)()きわける。

「相変わらずというか…何しに来たんだかねえ」

「ハハ、いいじゃねえか。英雄えいゆう色を好むってな」

井上松五郎は、後輩たちの様子に満足したようにうなずいた。


余韻(よいん)(ひた)りながら、東大門を出ようとする土方らに、茶屋の立ち並ぶつじから、大きな風呂敷(ふろしき)包みを抱えた下女げじょが小走りに追いついて来た。

一同は、茶屋から何か忘れ物でも届けに来たのかと思ったが、その女が包みと一緒に長い刀を小脇に(はさ)んでいるのに気づいて、はじめて緊張した。

が、下女はかまわず土方に歩み寄ると、ほおを寄せ、突然小声で耳打ちをした。

「…姉小路公知(あねこうじきんとも)が大阪入りする。こんなとこでヒマつぶしてていいの?」


沖田総司が、パッと表情を輝かせた。

「あー!お琴さん!」

その下女(げじょ)、中沢琴は、少し顔をしかめると、人差し指をくちびるの前に立て、沖田の大声を封じた。

「…猫は?」

「ね、猫?あ!ああ、八木さんちで、ちゃんと面倒見てくれてるよ。それより、こんなとこで何してんのさ?」

「ちょっとね、知り合いに、この着物を借りにきた」

琴はくるわの下働きが着古きふるした着物の(そで)をつまみながら大真面目に答えた。

「知り合い?ここに?」

「いいでしょ、私のことは」

彼女は、らぬ内輪揉うちわもめをあおることもあるまいという配慮はいりょから、家里次郎の件にはあえて触れなかった。

と、そこで土方が二人の会話を断ち切り、

「ふん、やっとらしくなってきやがったぜ。いい加減(かげん)(ヒマ)つぶしの種も尽きたところだ」

(うそぶ)いてみせた。

「でしょうね。じゃ、あなたがこっちに来た目的とやらを()げるために、ひとつ、いいことを教えてあげる」

軽くあしらう琴に、土方はピクリとまゆを動かした。

「あ?」

津国屋(つのくにや)という置屋に、“花の井(足洗いの井戸)のサムライ”の名でぶみしてみなさい」

「なんだそりゃ?」

「お目当ての若鶴太夫わかづるだゆうえるかも」

琴はククと含み笑いをらした。

「てめえ!めやがって!」

琴は(つか)みかかる土方の腕をヒラリと交わすと、沖田に二尺八寸の長刀を押し付けた。

「それ、(あずか)かっといて。後で取りに行くから。じゃ、がんばってね」

そう言い残すと、何食わぬ顔をして、土方たちとは逆の方向に急ぎ足で去って行った。


実のところ、琴の方にも残された時間は少なかった。


数日前、洛北の賭場(とば)で、

岩吉と名乗る男が「長州藩の祐筆(ゆうひつ)桂小五郎に」と前置きして、謎めいた伝言(メッセージ)を仏生寺弥助に(ことづ)けるのを聴いている。


「道を急ご思たら、まずは駿馬(しゅんめ)を手に入れるのが先決や。けど、馬を(ぎょ)するには手綱(たづな)(さば)く道具が要るちゅうこっちゃ。桂はんに、その馬のハミをとる気があるんやったら、大坂の北新地にある紀の国屋ゆう料亭を訪ねて、わしの名前を出してみい」


桂小五郎。

神道無念流しんとうむねんりゅう練兵館れんぺいかん免許皆伝めんきょかいでんさずかったこの男は、江戸剣術界の有名人で、

その武名だけは、琴にも聞き覚えがあった。

その桂が、明日、23日には姉小路公知あねこうじきんともと、大坂入りすることになっているのだ。

そうなれば、桂もあの紀伊国屋きのくにやを訪ねる公算こうさんが高い。


手綱たずなをさばくためにハミを取る(くつわ)」は、薩摩の家紋かもんを指すに違いない。

それに気づいた琴は、岩吉のいう「駿馬(しゅんめ)」がなんなのか、それを突き止めたかった。

そのためには、桂があの料亭に訪れ、自分が(ニセ)の使者であることがバレる前に、でも、あの小寅という女中を口説くどき落として、謎の薩摩人に顔つなぎしてもらう必要がある。


小寅とは何者なのか。

まだ、あどけなさを面影おもかげに残す運命の女(ファム・ファタール)が、

幕末最大の巨人と赤い糸でつながっていることを、

琴はまだ知らなかった。


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