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幕末カタナ・ガール  作者: 子父澤 緊
下坂之章
211/404

ファム・ファタール 二幕

と、いうようなことがあった、午後。


中沢琴と阿部慎蔵は、ようよう大坂は北新地きたしんちに到着していた。

谷万太郎道場のある南堀江から道頓堀川を(へだ)てた(さいわい)町には旅籠(はたご)が多く、二人は鳥毛屋というおかしな名前の宿に泊まった。

そしてこの日、なんの目算(もくさん)もないまま、とりあえず料亭りょうてい紀伊国屋きのくにやがあるという北新地を目指した。

自称「水の都」大坂は、確かに(こと)(ほか)河川が多い。

だが勿論もちろん、ゴンドラを交通手段にするベネチアのような優雅さを大坂人が持ち合わせるはずもなく、せっかちで、合理的で、働き者の彼らは、町中の至る所に橋を架けまくった。


淀屋橋筋よどやばしすじを北上すること半刻(はんとき)たらず、土佐堀とさぼりにかかる淀屋橋よどやばし堂島川どうじまがわにかかる大江橋おおえばしと順に渡ったところで、ようやく堂島新地どうじましんちに出る。

北新地きたしんちとは、この堂島新地どうじましんちと、あの「曽根崎心中(そねざきしんじゅう)」で有名な曽根崎新地そねざきしんち(あわ)せた総称だが、

双子の花街はなまちは、さらにまた蜆川(しじみがわ)という小さな水路によって分断されている。

いや、小舟の行きうこの川を起点にして、両岸に街が発展していったと言うべきかも知れない。

21世紀の現在、この川は埋め立てられて無くなってしまったが、細い路地の入り組んだ街並まちなみはこの頃と変わっていない。


「なかなか風情(ふぜい)のある街だな」

阿部のいう通り、街の西側にかかる曽根崎橋の上に立って両岸を眺めると、川沿いにせり出した茶屋の座敷がズラリと並んでいて、なかなかの壮観そうかんだ。

そして、目指す料亭紀伊国屋(きのくにや)もその中の一つだった。

「なぜ昨日、お師匠ししょうに借金取りとの交渉の件を話さなかったんだ?」

琴は、一休みといった風に橋の欄干らんかんに腰かけて、尋ねた。

「少ないとはいえ、弟子たちの前でする話でもねえし、まあ昨日は様子伺ようすうかがいみたいなもんさ。借金取りとの話は、こっちで済ましゃあいいだけのことで、お師匠が知らねえなら、それに越したことはないんだ」

阿部は、川面かわもに浮かぶ波紋はもんを眺めながら、珍しく真顔まがおで応えた。

貴方あなたは、あの谷様が本当に好きなんだな」

琴が、悪戯いたずらっぽい眼をして笑った。

「なんだ?昨日の仕返しか」

阿部は照れたように言って、先に歩き出した。



「あ、いらっしゃーい!」

店先を掃除していた小袖(こそで)襷掛たすきがけの女中が、ほうきをもつ手を止めて元気よく声をかけてきた。

阿部は、大きすぎる声に少し(まゆ)をひそめてから、琴の横顔を(のぞ)き込んだ。

「…ここまで来たはいいが、さて、こっからどうするかが問題だぜ」

「問題?いや、今回はサノスケ式で行く」

中沢琴は暖簾(のれん)に染め抜かれた屋号(やごう)をまっすぐ見据えたまま答えた。

「え?なに?ナニ式…?」

聴き終わらないうちに、琴はその暖簾のれんをくぐっていた。

「ごめん!」

玄関には恰幅(かっぷく)のいい初老の男が立っている。

「いらっしゃいませ」

「ご主人はおられるか?」

原田左之助よろしく、単刀直入たんとうちょくにゅうに切りだす。

「わてがそうだすが?」

紀伊国屋主人は、またややこしい浪人がやってきたかと身構えている。


「なら話が早い。最近、ここに岩吉という方からの使いは来なかっただろうか?」

出し抜けにたずねられた主人は、チンプンカンプンの様子で、問い返す。

「え?い、岩吉…んー…どこの岩吉さんだすやろ?」

すると、帳場(ちょうば)に座っていた番頭が主人に歩みよってきて、大福帳(だいふくちょう)で口元を隠しながら耳打ちした。

だんさん、岩吉ゆうたら、うちの女中の馴染(なじ)みの、あのギョロ眼の男ちゃいますかいね?」

「はあん、せやったかいなあ?」


聞き耳を立てていた阿部はまゆを吊り上げ、番頭の面前に首を突き出した。

「なになに?この店じゃ女中にも馴染(なじ)みなんてもんが付くのか?」

番頭は説明に困った様子で、視線を宙に漂わせた。

「そんなもん、普通は()らしまへんのやけど、うーん、なんちゅうのか、気の荒いお侍さんやら、怪しげなやくざ(もん)やら、とにかく妙な人らにやたらウケのええがおりましてなあ」

「ふーん。美人なの?」

番頭は眉間(みけん)(しわ)をよせ、

「いやまあ、どうでっしゃろ?ベッピンゆうより、おぼこい感じだすけど、ちゅーかほれ、いま外でホウキもっとる」

と、入口の方を(あご)でしゃくってから、大声で叫んだ。

「小寅!お前にお客さんや」


「はあーい!」

また元気な声が返ってきたかと思うと、先ほどの女中が(ほうき)を店先に立てかけ、小走りに戻って来た。

確かに、美人というほどではないが、グラマラスで、童顔なのに妙な色気がある。

番頭が琴たちの用件を伝えると、ニコリと笑って小首を傾げた。

「お客さんら、ヤモリの岩吉はんの知り合いなん?」

「ヤ、ヤモリの?んん、ああ、そう言われてみりゃそんな顔してたな、あのおっさん」

阿部が同意を求めるように琴の顔をみたとき、

「ん!」

小寅は、つっけんどんにヌッと手のひらを突き出した。

阿部は両手を挙げて、それをかわすように身体を引いた。

「おっと!まさか金を出せってんじゃねえだろうな」

「アーホ、ちゃうわ!」

小寅は、大きな目をまん丸にして、その手をサッと払った。

ぶっきらぼうだが、なぜかその動作のひとつひとつに愛嬌(あいきょう)がある。


「ア、アホ?」

顔を赤くする阿部を、琴の細い腕が制した。

「カッカするな。小寅さん、じゃあその手はどういう意味だ」

「どういうて、あんた。岩吉さんからの(ことづ)けをウチが(あずか)ったるうてんねん」

どうやらこの娘が謎の薩摩人との仲介(ちゅうかい)役であることは間違いないらしい。

しかし困ったことに、二人にはその先にいるはずの交渉相手が誰なのか分かっていない。

「すまないが、岩吉さんからの伝言は危急(ききゅう)の要件で、我々は直接会って話したいんだが」

「アホか」

小寅は、またもやそう言い放って、処置なしと言うふうに肩をすくめた。

「つまり、こういうことか?その”彼”は、今日、此処ここにいない?」

「今日どころか、明日も、明後日も、下手ヘタしたら10年後も、戻ってくるかどうか分からん!冷やかしやったら帰って!」

阿部は、救いを求めて主人と番頭を見やったが、二人とも素知そしらぬふりで仕事をしている。

グイグイと小寅に背中を押し戻され、ついには琴共々、(ワケ)も分からないまま追い返されることになってしまった。


「どういうことだ?」

店先に掃き出された阿部慎蔵は、困惑(こんわく)した表情で肩を並べる琴に(たず)ねた。

「どこかで話の持って行き方を間違えたらしい。出直すしかあるまい」

「分かんねえが、確かなのは、ありゃ、あんたの探してる薩人(さつじん)のコレだぜ?」

と、小指を立ててみせる。

「いつ帰るとも知れぬ想い人を待つ女、か」

「ケ、そう健気(けなげ)な玉にゃあ、およそ見えなかったが」

「あんな女性に、そこまで想われるのは、どんな男なのかな」

「は、別に興味ねえな!それより、今の調子じゃ、次はあの(ほうき)で追い回されるのがオチだぞ!」

琴は、口元を(おお)い隠した右手の人差し指で、鼻の下をで、

「ふふ、さてどうしたもんか…よし、しばらくは別行動だ」

と、何か思いついたように歩き出した。

「なんだよ。どうした?」

阿部が尋ねた時には、琴はすでに数間(すうけん)先を歩いている。

「なんで?え?おい待てよ!」

「ついて来るな。あなたはあなたで、今自分のやるべきことをやればいい」


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