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幕末カタナ・ガール  作者: 子父澤 緊
下坂之章
210/404

ファム・ファタール 一幕

翌、四月廿二(にじゅうに)日、朝の四つ正刻(せいこく)(11:00am)。

大坂、八軒家の船宿京屋。


大坂城から呼び出しのあった芹沢鴨と近藤勇は、朝早くから慌ただしく出かけてゆき、すでに居ない。

おそらく、その大坂城では、今ごろ将軍の近習(きんじゅう)らが、明日の摂海巡視(せっかいじゅんし)の準備に追われているのだろう。

近藤らにも、会津の公用方こうようがたから、天保山てんぽうざん港までの警備に関する何某(なにがし)かの下知があるのかもしれない。


空は青く()み渡り、これと言ってやることのない数合わせのおとも、つまり浪士組の隊士たちにとっては、絶好の中休なかやすみである。

徳川家直属の八王子千人同心(はちおうじせんにんどうしん)にしても事情は同じらしく、

その朝、源三郎の兄井上松五郎が、浪士組の投宿(とうしゅく)する京屋にひょっこり顔を出した。

「これは、わざわざ」

井上源三郎と副長ふくちょう土方歳三が玄関まで迎えに出ると、松五郎は相好そうこうくずして片手をあげた。

「いやあ、ご苦労、ご苦労」

土方はいつものようにひねくれた調子で歓迎の意を表した。

千人同心せんにんどうしん世話役せわやくともあろうお方が、こんな時に朝からフラフラしてていいのかよ?」

「なあに、千人頭(とうもく)(旗本身分の部隊長)なら色々わずらわしいお役目もあろうが、我々なんぞヒマなもんさ」

「海に面した大坂は、外から入ってくる得体(えたい)の知れない連中を防ぎにくい。悠長(ゆうちょう)に構えてると、足元をすくわれるぜ?」

土方歳三という男が、刀を抜くしか能のない凡百(ぼんぴゃく)の武士たちと一線を画したのは、誰から教わることもなく、こうした視点で物事ものごととらえることが出来た点だった。


大坂は京より西にあるので、薩摩、長州、土佐といった雄藩ゆうはんの要注意人物は、山陽道を通り、しばしばこの街で宿をとってから都を目指す。

海路かいろを採っても、大坂の南にある天保山てんぽうざんで上陸して京に入るのが一般的だ 。

つまり、都への出入りを見張るには絶好の場所で、のちに新選組もこの街に分署ぶんしょをかまえる。

ちなみに、この支部長に納まるのが、阿部慎蔵の師、谷万太郎なのだが、これはまた別の話だ。


「別に気を抜いちゃいないが、いよいよ攘夷じょういに乗り出そうという大樹公たいじゅこうをわざわざ邪魔じゃまだてする奴もおるまい。今日は前祝まえいわいだ。金は出してやるから、パーッとお座敷でもげるか?!」

源三郎(おとうと)まゆを寄せて、

「兄上、どれだけ手当てあてが付いたのか知らんが、ずいぶんと豪気(ごうぎ)なもんだな。で、前祝まえいわいってなんの?」

たずねると、松五郎(あに)も同じような顔をして首をひねった。

「…いやなんのって…え?攘夷(じょうい)の?」


土方は飽きれて、二人の顔を交互に見比みくらべた。

「やれやれ、血は争えんな」


しかし松五郎からすれば、口実こうじつなど何でも良かった。

女と酒で()さを晴らそうという訳でもないが、薄給はっきゅうつらいお勤めにはげむ同郷の後輩たちと少し羽目ハメを外して、ガス抜きをしてやろうという魂胆こんたんである。

「ほんとなら浪士組全員を引き連れて繰り出したいところだが、さすがに懐事情ふところじじょうもあってな。今日は身内だけで勘弁かんべんしてくれ」

土方は、気の抜けた顔で腕を組んだ。

「ま、たまにはいいか」


身内と聞いて、源三郎は階段を見上げた。

「あれ?そういや総司はどうした?」

土方が肩をすくめる。

「ああ、呼んでくるよ。なんだか知らねえが、あいつ朝から珍しく書きもんなんかしやがってよ。気味悪きみわるいったらないぜ」

抜け駆けすることに少々後ろめたさを感じている源三郎は、

「そぉ〜っと呼び出せよ」

と、みなの目を引かないよう注意した。

「やれやれ」

土方はまたそう言って軽く首を振ると、二階に上がって行った。


しかしコソコソするまでもなく、彼らが押し込められていた大部屋はすでにガランとしていた。

窓の外からは、チュンチュンというスズメの鳴き声がうるさいくらいだ。

上方かみがた出身の少ない浪士組の連中が、せっかくの好機(チャンス)を逃すはずもなく、大坂の町で羽根はねを伸ばしてみたいと思うのは人情だろう。

見れば、部屋の(すみ)(しつら)えられた小さな床机(しょうぎ)に、長身の沖田総司がひとり背中を丸めて張り付いている。


「おい!松五郎さんが来たって言ったろ!」

土方は、(ふすま)に手を掛け、廊下ろうかから怒鳴どなった。


「…ああ、もうちょっと…もうちょっと待ってて」

沖田は振り返りもせず、筆を動かしている。

「早くしろ。なにしてんだ?」

「いや、おゆうちゃんに手紙をね」

「…へえ、おまえら、いつからそんな仲になったんだ?」

土方は、階下で待たせている井上兄弟のことなど即座に忘れて食いついた。

「そういうんじゃないんだけど、ちょっと報告をさ…」

「報告?報告って、あいつになんの報告があんだよ?」

「ああもう!変なとこで声をかけるから、間違っちゃっただろ!」

沖田は紙をクシャクシャと丸めて、土方に投げつけた。

土方はひろい上げた紙を拡げると、目をすがめて読み始めた。

「…一筆啓上(いっぴつけいじょう)楢崎(ならさき)家長女の消息について、昨晩さくばん京屋主人きょうやしゅじん忠兵衛殿ちゅうべえどのより子細(しさい)(うかが)(そうら)えば…ナンダコレ?」


沖田はその時、初めて周りの様子が目に入ったようで、筆を持ったまま立ち尽くした。

「…うわ?誰もいない!なんだよ!みんな声もかけずに出てっちゃったのかよ!冷たいなあ!」

「まずその筆を離せ!墨が飛び散ってるだろ!ていうか、これ、この、楢崎(ならさき)なんとかと、おゆうになんの関係が…」

「もういい!もう面倒めんどくさくなった!帰って直接(しゃべ)った方が早い!行こ行こ!飲みに行くんでしょ、どうせ!」

沖田はねたようにほおふくららませると、先に立ってさっさと階段を降りていってしまった。

「てめえ、どんだけ自分勝手なんだ!こら!」


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