世間話、楢崎龍のこと 其之参
さてこの日の夜、それなりに船旅を愉しんで大坂にたどり着いた浪士組一行は、将軍を大坂城まで警護したあと、八軒家船着場ちかく、天満橋の京屋に宿をとった。
祐のスケジュール管理は、どうやら完璧のようだ。
「どうもどうも、おいでやっしゃ。お勤めご苦労さんです」
福福とした白髪混じりの主人が、愛想よく彼らを出迎えた。
「ああ、二、三日世話になるぜ」
先頭に立つ芹沢鴨が、浪士組の頭目然と、横柄な挨拶でドスを効かせる。
「将軍様のお供の方々をお泊め出来るやなんて、光栄なことだす。狭いとこだっけど、どうぞごゆっくり英気を養っとくなはれ」
「ふん、あんたら上方の人間が、肚ん中で俺たちをどう思ってるかなんざ承知の上なんだ。オベンチャラは結構、さっさと部屋に案内してもらおうか」
宿の女中らが、慣れない房州訛りに怯えていると、後に続く井上源三郎が、申し訳なさそうにフォローを入れた。
「いやはや、すみませんねえ。うちの局長、ありゃパッと見怖そうなひとですがね、その、別に悪気はないんですよ」
さらに続いて永倉新八、土方歳三が、玄関に草鞋を脱ぐ。
「いや、あるだろ今のは。なあ?」
「俺に同意を求めんな!」
主人の忠兵衛は、鷹揚に手を振って笑った。
「なになに、そんなん気にしてまへん。わてらは商売人だっさかい、ここで切った張ったやドンパチを始められん限り、他国の方が仰山来てくれはるのは、どんな理由にせえ大歓迎ですがな」
二階の客間に案内されて、階段を上りかけていた土方が脚を止め、忠兵衛を振り返った。
「…そういう割り切り方は嫌いじゃないぜ?ご主人、あんたとは利害が一致する限り協力関係が築けそうだ。これから我々浪士組は、ここを定宿にさせてもらおう」
「おや、何が幸いするや分かりまへんなあ?おおきに」
忠兵衛は頭を掻きながらペコリとお辞儀を返したが、浪士組一行が二階に上がり切ったのを見届けると、その首を傾げた。
「…なんやケッタイなお客やなあ。あれでホンマに将軍さんのお供なんやろか」
浪士組を案内した中居女中が階段から降りてきて、いつまでも玄関に突っ立っている主人を不思議そうに見たとき、
「あ、そういえば!」
階段の上から声がしたかと思うと、今度は沖田総司ががドタドタと駆け降りてきた。
「ご主人、忠兵衛さんですよね?」
沖田は中居女中を押し退け、忠兵衛に詰め寄った。
「あ、は?はい!」
さっきの独り言を聞かれたのかとドギマギしながら応えると、
「ちょ、ちょ!」
沖田はなぜか階段下の陰に身を隠すようにしゃがむと、忠兵衛に手招きした。
「あのね、ちょっと聞きたいことがあるんですけど」
どうやら咎め立てされる気配はなさそうだとホッとしたのも束の間、忠兵衛は、一見の客の意味深な行動に戸惑った。
「はあ。あの、なんでっしゃろ?」
「一年ほど前、ここにお龍さんて女の人が来たでしょ?」
「ああ!お龍ちゃん!はいはい、よう覚えてますがな!なんや、お知り合いでっか?」
途端に忠兵衛は、懐かしい友人に会ったかのように顔を綻ばせた。
よほど印象的な客だったらしい。
「いや、そういうわけじゃないんですけどね」
忠兵衛は、沖田の顔をしげしげ眺めて、
「わてはまた、おサムライさんがお龍ちゃんの恋人なんかと思いましたわ。二枚目やし」
と残念がった。
「やめてくださいよ、とんでもない。面白そうな噂を小耳に挟んだから、ただの興味本位で聴くんですがね?置屋に売られそうになった妹さんを救い出すために大坂まで乗り込んできたとか?」
「そう!そうですがな!うら若い女が偉いもんでっしゃろ?」
「じゃあ、その時ここに泊まったとこまでは、ホントなんですね?」
「ほんまもほんま!この宿帳に名前を書いてもろたわてが言うんやさかい、間違いおまへんで」
実際のところ、沖田自身、この話にそこまで興味はなかったものの、なぜか祐のために結末を確かめねばならないという使命感のようなものが芽生えていた。
「けど、アテもなくこんな大きな街にやってきて、ひと一人探すのは並大抵のことじゃないでしょ?」
「それが、なかなかに頭の回る子でしてなあ、なんとなく当りをつけて来たらしいんだす」
「へーえ」
「旅荷も解かんうち、こう、わてに詰め寄りましてな。新町が島原みたいに大きな廓やったら、そう遠ない処に女衒連中の溜まり場があるはずや言うて、その場所を問いただしますのや」
話がだんだん熱を帯びて来て、沖田には忠兵衛と八木源之丞が重なって見えた。
「ほんで、わてが丼池筋辺りがそうやないですかいなあと答えた時には、もうそこにはおらへん。急転直下、その女衒の家を突き止めてしまいましたんや」
「…こりゃお祐ちゃんの喜びそうな話だぞ」
「けと、丼池ゆうたら、新町遊郭のすぐそばでっさかい、まさに女郎屋に売り飛ばされる寸前ですがな!あの娘、迷わず女衒の家に踏み込んで、ヤクザまがいの男二人相手にえらい剣幕で、
『うちの妹を返せ!』
言うて大立ち回りや。
けど、もちろん相手も堅気やないさかい、
『こっちは金も払ろとるんや、そんな了見が通る思てんのか』
ゆうことになりまっしゃろ?」
「ま、まあ、そうでしょうね」
沖田は、話の勢いにやや気圧されつつ、うなずいた。
忠兵衛は、まるでその場に居合わせたかのように身振り手振りを交えて、さらに熱弁を振るった。
「ほんならお龍ちゃん、なんとか掻き集めた金を叩きつけて、
『金なら返したる!』
言うてね、見栄切ったもんの、それじゃあ元金にもならんし、何より相手にも渡世のメンツがありますがな。
『死ぬ覚悟があって、そないナメた口きいとんのか!』
と凄みよる。
けど、お龍ちゃんは、
『面白い!殺せるもんなら殺してみい、さあ殺せ!』
と啖呵切って、一歩も引かんかったんだっせ?
結局、ヤクザ者も渋々引き下がったらしゅうて、見事妹を、この京屋に連れ帰ってきたという次第でんがな!」
「はあ、すごいな、一端の女傑ですね」
「まあ、男勝り言うんかねえ、けど、実際は歳の頃なら二十二、三の別嬪さんでっせ?」
「八木さんが、お祐ちゃんと似てるって言ったのも分かる気がしてきた」
沖田は、その場にいない八木源之丞に同感した。
「しかし、ああいう上等な女をモノにする男ゆうのは、どないな顔してますんやろなあ?」
いつの間にか二人は、すっかり打ち解けている。
「いや、いくら可愛くても、まあアレはちょっと、というか、かなり変わった人じゃないと無理でしょうねえ」
沖田の頭の中の楢崎龍は、もはや祐と同じ顔をしていた。
とにかく、そんなわけで、船宿「京屋」は、この日より新選組が上方(関西地方)を去るときまで、大坂における重要な拠点のひとつになった。




