ソープオペラ 中篇
芹沢鴨は、部屋に入ってきたときから太々しく胡坐をかいている。
「恩を着せる気なら、礼など期待しないでもらいたいね。助けてくれなんて頼んだ覚えはねえからな」
「芹沢さん」
新見が軽くたしなめるように名を呼んだ。
「雪霜に色よく花の魁けて散りても後に匂う梅が香」
吉成が遠い目をして突然口にしたのは、
芹沢のいた赤沼の独房の壁に、血文字で綴られていた歌だった。
「その態度じゃ、お前の持つ繊細な詩情と優しさに気づくやつはいまい。いまの人生は残り香ってわけか」
芹沢は嫌な顔をした。
「よしてくれ!ありゃあな、ああ、これで何もかも終わりだと思ったら、ふと感傷的になっただけさ。あの時の俺はどうかしてたんだ」
「ふふ。なるほど艶っぽい辞世だ」
見知らぬ先客が、低い声で笑った。
芹沢はムッとして、こいつは誰だという風に吉成へ目配せした。
吉成はその様子を面白がるように、新見をチラリと見て茶目っ気たっぷりに笑顔を作った。
「おっとそうだ。紹介しよう、平石林之助殿だ。彼には色々と有益な情報を提供してもらっている」
「お初にお目にかかります。お二人のご高名はかねがね…」
平石は二人に向き直り、手をついて会釈した。
「見た顔だ」
新見が鋭く言った。
「ええ。黒谷の本陣で何度か」
平石がサラリと答える。
「…そうか。いつもニコニコ挨拶する厩番だ。なぜ会津がここにいる」
「その質問は、そのままあなた方にも当てはまるのでは?」
吉成は、張り詰めた空気を察すると、割って入った。
「よせ。会津の容保公は水戸の血統で、我々の主家の恩人でもある。彼は私の口利きで、もうすぐ馬関海峡へ向かうんだ」
新見が腰を浮かした。
「いつです!」
「長州が下関で外国船と砲火を交える日までには」
芹沢は、例の大鉄扇で平石の肩を小突いた。
「つまり、あんたは攘夷方に寝返ろうってのか?それともあっちからこっちへ乗り換えたのか?いや、答えなくていい。返答次第じゃ、ここの畳を血で汚さなくちゃならなくなる」
「わたしは、会津の小者で、ただの連絡係です」
平石は歯並びの悪い口を開けてニッと笑った。
「その、有益な情報ってのには俺も興味があるな。例えば?何を連絡しにきたのか聞かせてくれよ」
「申し訳ありませんが、お役目上知りえた事実をここで口にするわけには…」
言いかけて、平石は思い直したように居住まいを正した。
「では、お近づきの印にこんなのはどうです?薩摩の潤沢な金はいったい何処から来るのか」
「抜け荷だろ。んなもな、公然の秘密だ」
「まあそうなんですが。その中身です」
「ほう」
芹沢は先を促した。
「一角獣という生き物をご存知でしょうか 。伝説ではインドに棲む長い角を持つ馬とされていますが、実際は北の海に生息するイルカに似た獣です」
新見は話がどんどんあらぬ方向へ逸れていくのに焦れている。
「ふうん。じゃ、天狗とか河童もほんとにいるのかい?」
茶化す芹沢を無視して平石は続けた。
「近頃の京では、こいつのツノで作った根付を目印に、夜な夜なおかしな薬を売りさばく輩がいるらしいのです」
芹沢は、なにか思い当たる節でもあるように眉を曇らせた。
「不逞浪士に暗殺者、で、今度は謎の薬売りかよ。百鬼夜行ってやつだな」
「しかも、客のほとんどは在京の浪士だ」
「その話と薩摩がどう関係してくる?」
「もういい。そんなことより馬関の話です!」
ついに痺れを切らした新見が声を荒げた。
「ここからが、いいところなんですがね…」
話を続けようとする平石を手で制して、
吉成勇太郎は、ズバリと本題に入った。
「どうやら帝も今度ばかりは本気のご様子でな。どこぞのお公家さんに監察を仰せつけて、馬関に見張り役をとして送り込むお心算らしい。 (こののち、6月14日に中山忠光の兄、正親町公菫が拝命)
新見、お前をその護衛の枠に押し込んでやる。その公家にくっついて、下関へ行ってこい」
「は!」
新見は目を輝かせた。
「ちっ」
すでに話が付いていることに、芹沢は不服気だった。
「あんたがそこに居ちゃ、大事な話ができないんだがね」
新見は、平石林之助をジロリと睨み、席を外すよう強制した。
平石は物分かり良く、並びの悪い歯を見せニコリとしながら頭を下げる。
「これは失礼。吉成様、私はこれにてお暇いたします。ではまた」
平石が辞去すると、吉成は鼻を鳴らした。
「ふん、食えん奴さ」
「え?」
「ありゃ多分、会津のネズミだ」
「口を塞いでおかなくていいのですか」
「馬関に行く気なら下手にコトを荒立てないことだ」
「ですが今は大事な時期だ。奴が口を滑らせば、計画は会津公へ筒抜けになります」
「政治ってやつは騙し合いだ。泳がしておけば、こちらに都合のいい作り話を流せるって利点もある。時期が来れば始末するさ」
芹沢は大げさに目を見開いた。
「驚いたね、吉成さん。あんた俺たちを信用しすぎなんじゃねえのか」
「水戸と会津に反目など存在しない。我らが会津藩士に会っていても、何ら後ろめたいことはあるまい?」
新見は心許なげに爪を噛む。
「ですが、宮中の演武場の件など、奴に気取られていないでしょうな」
「ちょっと待て。演武場?なんの話だそりゃ」
芹沢が聞きとがめた。
「寮制の武道場です。吉成様はいま、三条実美卿に働きかけて禁裏の中に演武場を建設する計画を進めている。
今日、芹沢さんを誘ったのも、この話を聞いてもらうためです。吉成様、説明がてら、進捗をうかがいたい」
吉成は渋い顔をした。
「申し訳ないが、その件についちゃボチボチってとこだ。いまは大樹公の摂海巡視騒ぎで宮中はそれどころじゃなくてな。金の話など取り合ってもらえん」
新見は苛立ちも露に身を乗り出した。
「長州の桂は、今回の摂海巡視に合わせ姉小路公知を大阪に連れ出して、大樹公を監視させる気です!忌々しいことに、あの土方が言う通り、奴らは大樹公が江戸に逃げ帰るかもしれないなどと、あらぬ事を帝に吹き込んでいる!」
芹沢が、面白そうに相槌を打った。
「つまり、連中は着々と宮中での地盤を固めているわけだ」
「ええ。このまま指を咥えている訳にはいかんでしょう?
そこで吉成様の策です。演武場の案件が通れば、育成した浪士たちをそのまま横滑りさせて御親兵(近衛兵)に仕立てられる筈だ」
「長州が姉小路に媚びを売るなら、水戸は三条ってわけか」
「三条卿は去る四月三日に京都御守衛御用掛に任じられたばかりだ。
御守衛兵、つまり朝廷の親兵3000人を束ねることになる」
「どうせまた烏合の衆さ」
「ところが、さにあらず。この部隊を形成するのは、
先ごろ新設された一橋慶喜公率いる禁裏御守衛に、京都所司代の旗本連中、さらには桑名・彦根・加賀の雄藩、そして、京都守護職の会津、
そこから更に選りすぐられた精鋭中の精鋭だ」
「水戸藩が禁裏の演武場を取り仕切り、その兵ごと頂く」
新見は、その野望に酔っていた。
200話です…。マジかよ!全然終わんねえじゃんとか思わないで、お付き合いください。




