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幕末カタナ・ガール  作者: 子父澤 緊
変遷之章
199/404

ソープオペラ 前篇

時はさかのぼり、文久元年。


芹沢鴨が赤沼牢獄あかぬまろうごくとらわれていた、その同じ頃。


おりのなかで浮世うきよ諦観ていかんしていた芹沢とは対照的に、

逃亡を続けながらも、まだ悪あがきを止めようとしないおたずね者がいた。


清河八郎である。


実はこの年の一月下旬から二月頭にかけて、清河は浪士組にも参加した村上俊五郎を頼って、水戸に潜入せんにゅうしている。

まさに芹沢らが悪行あくぎょうの限りを尽くしていた頃のことだ。

これは偶然ではない。

天狗党てんぐとううわさを耳にした清河は、彼らが攘夷じょういのために決起するのであれば、同志と共に合流することを見据えていたのだった。

しかし、佐原や潮来いたこにおける騒動そうどうの現場に居合わせた彼は、そのあまりの無軌道むきどうぶりを目の当たりにして、共同戦線きょうどうせんせんの構想に見切りをつけている。


やがて、のち

その“急務三策きゅうむさんさく”の二項で、清河は“天下に大赦たいしゃす”と提唱ていしょうしている。


皮肉なことに、この起死回生きしかいせいの策が芹沢の命をもながらえさせることになった。



その年の十一月、江戸城。


「その二にいわく」

浪士組の創設にも関わったあの山岡鉄太郎が、背筋をピンと伸ばし、当時まだ政治総裁職せいじそうさいしょくにあった松平春嶽まつだいらしゅんごく上奏じょうそうしていた。


「ここ数年来頻繁(ひんぱん)に起きる非常事態は、官民かんみんの交流がとぼしい現状に起因きいんしております。

いまやすでに朝廷と幕府は大方針において合意し、

上層部では大赦たいしゃが行われ、

多くの知識人は、すべて相応ふさわしい地位に戻りました。

ですが、こうした措置が、在野ざいやこころざしある者たち全てに行き渡っているとは言いがたい。

それが、幕府の公平性に対する疑念ぎねんを呼び、誹謗中傷ひぼうちゅうしょうをもたらしているのです。

そのせいで、今なお世情せじょうは騒がしく、不穏ふおん兆候ちょうこうくすぶっております。

果たして、このような風聞が、徳川の治世にすると言えるでしょうか。

彼ら草莽そうもうの士が身命しんめいを投げ打ち、家族をもかえりみず、東奔西走とうほんせいそうしているのは、決して私欲に突き動かされてのことではなく、この国に忠誠を捧げるためなのであります。

彼らの動勢が、今日にいたる天下の大きな流れを作ったのであるならば、

すなわち、今後も彼らの助けなくして、この国の繁栄はんえいはあり得ないでしょう。

恩赦おんしゃの措置が、上流階級のみにとどまり、いまだこうした者たちに救いの手が及ばないのは、何とも遺憾いかんであります。

一刻も早く大赦たいしゃの令が天下に布告されることを、切に望みます」


聞き終えた松平春嶽はアゴをさすった。

「興味深い考察だ。それは君の意見かね」


「いえ。これは清河という一介の浪士による献策にございます。彼もまた、草莽そうもうの志士の1人であります」

「その男を呼びなさい。一度話がしてみたい」




その年の十一月十八日、朝廷は大赦たいしゃの令を発し、師走しわす十二日には幕府がこれを実行に移した。


長岡での決起や天狗党の騒ぎに関わった政治犯たちの多くはこの時解放された。

だが、恩赦おんしゃ大盤振舞おおばんぶるまいも、芹沢の罪科ざいかを洗い流すには充分でなかった。


芹沢はこの大赦たいしゃ発布はっぷを赤沼の牢屋敷ろうやしき獄吏ごくりから聞かされている。


「引きまわしの上、斬罪ざんざいのところ、御大赦おんたいしゃにつき、牢屋屋敷ろうややしきにおいて斬罪梟首(ざんざいきょうしゅ)のこととする」


「ハ、笑わせんな!高輪たかなわで異人が斬られたと言っちゃ、量刑を上乗うわのせし、大赦たいしゃ布告ふこくされたと聞きゃあ、今度は減刑くださるってかい?俺は牢屋ろうやの中にいて、指一本動かしちゃいねえのに、勝手に罪だけが増えたり減ったりしやがる。お奉行ぶぎょうも忙しいこった。大赦たいしゃが聞いて呆れるな!」

鉄格子ごしに、芹沢は牢番ろうばん悪態あくたいをついた。


芹沢の悪運も、尽きたかに思われた。


だが、玉造勢たまつくりぜい釈放しゃくほう尽力じんりょくしていた武田耕雲斉、吉成勇太郎らの献身的な周旋活動しゅうせんかつどうが、ギリギリのところでようやく実を結んだ。


まさに危機一髪で、芹沢の首はつながったのだ。



そして、文久三年の京。


二条木屋町樋之口下にじょうきやまちひのくちクダルにある、

吉成勇太郎宅を芹沢鴨と新見錦が訪ねた。


「京にいらっしゃるのを存じ上げていながら、ご挨拶あいさつが遅れました」

新見錦が柄にもなくあらたまって口上こうじょうを述べた。



薄暗い部屋には書簡しょかんや本がうず高く積まれ、

その山に埋もれるようにして体格の良い男が背中を丸めて書き物をしていた。

懐かしい後姿うしろすがただ。

となりには、茶色い麻の半被(はっぴ)梵天帯ぼんてんおびと、この場には不釣り合いな風体ふうていの先客がいる。


最初、二人は、彼のことを、ここで落ち合う約束をしている仏生寺弥助だと思い込んでいた。

しかし、すぐに仏生寺の特徴的な撫肩なでがたを思い出し、この男が別人であるとさとった。


新見は吉成とおぼしき背に向かって頭を下げた。

「まずもって、吉成様におかれましては、ますますご活躍のよし、同じ水戸出身の拙者せっしゃらも鼻が高うございます」

男はゆっくりと振り返り、笑顔を見せた。

ほおけ、顔色は良くなかったが、この魅力的な笑顔はかつての精力を忍ばせた。

「そりゃ皮肉かい?あいにく持病じびょうで歩くのも難儀なんぎする始末でね。水戸が攘夷の先鋒せんぽうたらんと息巻いきまいてた時代も、今は昔さ。大獄たいごく騒ぎからこっち、宗家そうけからはうとまれ、長州薩摩会津には出し抜かれ、なき我が水戸藩のろくむ身としては、目立たぬよう息をひそめておるのが精一杯のご奉公ほうこうってとこさ」

「ご謙遜けんそんを。尊王攘夷そんのうじょういは、吉成様抜きには成されないでしょう」

吉成は肩をすくめおどけて見せた。

「尊王攘夷!は!結局のところ、みかどと水戸の関係は安っぽい世話物せわもの(恋愛劇)みたいなもんさ。水戸は勝手に恋いがれた挙句あげくそでにされて、ひとりで怒り狂ってるバカな女だ」

「その例えは、いささか不謹慎ふきんしんでは?」

顔色を変える新見を無視して吉成は剛毅ごうきに笑った。

「まったく、昔はよかった。世の中もっと単純だった。近頃ときたら、いったい誰の顔色をうかがえばいいのかすら分かりゃしねえ。ま、結果的にこうなって、なんかこう肩のあたりが軽くなった気もするんだよ。お前たちも、まだ身体と首がつながっていて何よりだぜ」


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