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幕末カタナ・ガール  作者: 子父澤 緊
変遷之章
198/404

落ちた偶像 其之弐

2年前、万延二年二月。

常陸国佐原村ひたちのくにさわらむら


下村嗣次と新家粂太郎、つまり芹沢鴨と新見錦は、玉造勢たまつくりぜいの仲間を引き連れ、村の大惣代(おおそうだい)(村役人の代表)高橋善左衛門を訪ねた。


座敷に通され、差し向かいに座った初老の男、高橋善左衛門は、にがり切った顔に滝のような汗を流している。


「そりゃねえよ惣代そうだいさん!いくらなんでも値切りすぎってもんだ!」

芹沢は外に聞こえるくらいの大声を張り上げた。

「しかし、皆とも相談したのですが、都合できるのは200両が精一杯なのです」

大惣代(おおそうだい)は汗をきながら訴えた。

「そいつは組頭くみがしら(村役人)の山崎ナントカ左衛門ておっさんからもう聴いてる。だが俺は、いたって慎重しんちょう(たち)でね。どこかで行き違いがあったんじゃないか、それとも俺の方に問題があって何か聞き違いをしたんじゃないか、とか色々勘ぐっちまう。そこで、もっと上の人間にもう一度確認しとこうと思ってね。んで、此処ここに来た」

「は、はあ…」

新家しんけぇ!」

「はい」

芹沢のすぐ隣に座っていた新見が静かに応えた。

「我々天狗党は佐原の商家しょうかの方々にいくら用立ようだてを申し入れた?」

「きっかり千両です」

「だよな?俺もそう記憶してる。てことはだ、大惣代(おおそうだい)。計算ではあと800両も足らん。俺は三百人の部下たちに、棒切れで黒船の大砲と戦えと言うべきか?こりゃ困ったことになったなあ」

芹沢は、お気に入りの大鉄扇(だいてっせん)で脇にある火鉢のへりをバンと打った。

小さな火の粉と灰が舞い上がる。

高橋善左衛門は言葉もなく、ちぢこめた身体をビクッと震わせた。

「おっと、高橋殿、すごい汗だ。どこかお具合でも悪いのでは?確かにこの部屋は暑いな。よお、(かぶと)、チョコっと風を入れてくれ」

「なんだよ。俺に命令すんのか?」

声を掛けられた男は、角ばった顔をしかめて自分の胸元むなもとに手をやった。

「頼むよ」

「チェ、しょうがねえなあ!」

不承不承ふしょうぶしょう立ち上がった男の手には、鳶口(トビグチ)(先の尖った解体道具)が握られている。

かぶとと呼ばれたその男は、いきなり床の間の掛け軸にそれを突き立てた。


「な、何をなさいます!」

高橋善左衛門は驚いて腰を浮かした。

「何って、こっちが風通し良さそうだろ?」

この兜左右助かぶとそうすけというのは玉造勢の中でも特に血の気が多い男で、のち、芹沢が京に上った同じ頃に、大阪の四天王寺で坂本龍馬と決闘騒けっとうさわぎまで起こしている。


「バカ、風向きを考えろ。こっちだよ」

今度は梅原斤五郎うめはらきんごろうという大男が、座敷の土壁つちかべ掛矢カケヤ(大型のハンマー)を振り降ろした。


芹沢は目をつぶり、顔の前で手を払ってき込んだ。

「おい!そこら中(ほこり)まみれじゃねえか!これじゃとても腰を落ち着けて話ができる雰囲気じゃねえぞ」

新見は顔色一つ変えず、穴だらけの部屋を見渡した。

壁に開いた大穴越しにつぼみをつけた梅の木がのぞいている。

「たしかに。一旦、この家ごときれいにサラえてしまいますか」



玉造勢、通称天狗党による数々の蛮行ばんこうが、幕府の代官の目に留まるのに時間はかからなかった。

ただちに芹沢らの捕縛ほばく令が下り、

そして、

元号が三月に改められ、文久元年三月廿八(にじゅうはち)日。


芹沢は松本屋という妓楼ぎろうの遊女、色八(いろは)を、実家である芹沢外記せりざわがいき宅に連れ込み、同衾どうきんしていたところを踏み込まれた。


「いいところだってえのに、気の利かない連中だね」

後ろ手にナワを打たれながら、芹沢はうそぶいた。


引っ立てられ、門を出ると、まだ梅が咲いていた。


この時、水戸藩で芹沢らから佐原の一件の口述書を取ったのが、くだんの吉成勇太郎でる。



その後、芹沢は江戸城和田倉門外えどじょうわだくらもんがい竜ノ(たつのくち) の評定所に送られて取り調べを受け、水戸の桜川縁さくらがわべりにある赤沼の牢屋敷ろうやしきつながれた。


しかし、時代の潮流ちょうりゅうは止まらない。

とらわれてちょうど二月ふたつき)のちの五月廿八(にじゅうはち)日、

今度は天狗党の残党が、高輪たかなわの東禅寺に宿泊していたイギリス公使を襲撃しゅうげきする事件を引き起こした。


すでに拘禁こうきん中の芹沢も、その計画の一味いちみと見なされ、死刑判決を言い渡された。



‐だが今、なぜか自分は生きて京にいる。

芹沢鴨の瞳に暗い影が差した。


「ふん、尽忠報国じんちゅうほうこくねえ…なあ、新見。俺はな、万が一にもこの国難こくなんを乗り切って、夷敵いてき退しりぞけることができるとすれば、それは俺たちが負けた時だと思ってる」

「な、なにを言い出すかと思えば」

「たしかに長州や薩摩の奴らにこの国を好きにさせるのは面白くねえ。そんな有り様を黙って見過ごせるかと問われれば、答えはいなだ。だがな。徳川の命脈めいみゃくがもうきてるのも本当さ。あの神輿みこしは無駄にデカすぎてもうかつげる代物しろもんじゃねえよ…」

「あなたともあろう人が、早々に白旗を揚げるなど!」

芹沢は降参こうさんのポーズをとって見せた。

「ハイハイわかったよ。俺も一緒に吉成に会いに行きゃいいんだろ?

まあいいさ。俺は死ぬまでにもう一花ひとはな咲かせりゃあ充分だ。俺が死んだ後のことなんざ知ったことか。あの下らねえお上と心中するも一興いっきょうだ」

「やはり貴方あなたは、死に場所を求めてこの浪士組に入ったのですか。あのとき、吉成さんは私たちに今少し生きる時間をくれた。

わたしは、その時間をの人の理想のために捧げたい。我が天狗党が中央に返り咲くためにも」

「よせよ今さら。新見錦は、青臭あおくさい新家粂太郎に戻っちまったのか?」


新見はふと、永倉新八に浴びせられた言葉を思い出した。

 -あんた方の小っちぇえ派閥はばつ争いに加わる気はねえ


「…そうかもしれません」


思えば、自分は常に組織に属し、その権威けんいに守られてきた。

水戸藩、

長岡勢、

天狗党、

そして浪士組。

だが今や、自分の脚で立つべきときが来たのかもしれない。



「ま、お前のやりたいようにやるさ。だが局長がひとり欠けたんじゃカッコがつかねえな」

言葉とは裏腹うらがらに薄笑いを浮かべながら、芹沢は筆頭局長という建前たてまえを形ばかり演じてみせた。


降格こうかくという扱いにすればよろしいでしょう」

「では俺と近藤が留守の間、誰が京に残る?」

「いいのがいます。五番組に谷右京って発明家のじいさんがいたでしょう?

学問を続けるため京に残ったらしいが、研究費どころか食うにも事欠いてると聞くから、アレを私の代わりにえればよろしい。

歳を食ってる分、押し出しもけば、外からはそれらしくも見える。何より、毒にも薬にもならん御仁ごじんです。

丹波のうまれで、我々とも近藤ともシガラミがないから、どちらからも不満は出んでしょう」

「おめえって奴ぁ、相変わらずソツがないねえ。ま、やるだけやってみるがいいさ。どうせ俺たちはあのとき一度死んだんだ」


それは、芹沢鴨の精一杯のはげましだった。



「芹沢さん、きっと戻ります。

見届けたら、取って返して、今度は二人で御親兵をひきいて一戦やらかしましょう」


新見が思いつめた表情で金打(きんちょう) (刀を少し抜いてさやに戻す約束の作法) した。

鍔鳴(つばな)りの音が小さく響く。


「やめろよ、こっずかしい。さあ、今度こそメシにしようぜ?急がねえと地獄からい出してきたあの餓鬼ガキどもが食い尽くしちまう」


芹沢は、そそくさと部屋を出て行った。


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