会議は踊らず 其之壱
暮れの六つ(6:00pm)を過ぎても、まだ会議は終わらなかった。
隣の四畳間では、大の字になった原田左之助の大いびきだけが響いている。
むき出しになった腹の刀傷の上では、子猫のクロ(誰も名前をつけないので結局こうなった)が原田の呼吸に合わせて上に行ったり下に行ったりしながら眠っていた。
四つん這いになって襖の隙間から会議の様子を伺っていた藤堂平助は、土方歳三が立ち上がったところで慌てて首を引っ込め、振り返った。
「なにやら雲行きが怪しいっスよ?」
「ふうん」
すっかり拗ねてしまった永倉新八が、気の無い返事をした。
「ま、天下国家がそう簡単にまとまるもんかい。たかだか10人足らずの試衛館ですら、この体たらくだかんな」
「どういう意味さ?」
藤堂が目をすがめる。
両手を枕に寝転んだ永倉は、片膝を立てて、その上に脚を組んだ。
「俺たちゃ、いーっつも蚊帳の外ってことよ」
「まだ拗ねてんのかよ?めんどくせーな」
「ちげー!ほら、昨日、松五郎さんが訪ねて来たろ?」
ムクリと起き上がってきた永倉に鼻先をくっつけられたが、藤堂にはピンと来ない。
「マツゴロー?え?誰だっけそれ」
「源さんの兄貴だよお!むかし出稽古に行ってた頃にさ、多摩の道場で何度か会ったことあんだろが?」
「ああ、アレっスか?源さんを凛々しくした感じの。えーと八王子千人同心」
「…あのねえ、そういうのは、あたしの居ないところで話してくれないかねえ」
すぐ脇で茶をすすっていた井上源三郎が、堪りかねて口を挟んだが、二人はまるきり無視して続けた。
「そうそう、それ。その千人同心がさあ、訪ねてくるなり、源さんと山南さんと土方さんに引っ張られて出てったんだよ」
「なんで?」
「だからさ!ここじゃ話しづらいことでもあったんじゃねえの…」
永倉は、さも傷ついた風に、恨めしげな眼で井上を流し見た。
「ふごっ!」
原田がまるで相槌のようなタイミングでいびきをかいた。
「…いやいや、だから、あれはさ」
井上は、ウンザリした顔で何か言い訳しようとしたが、永倉はそこで何かを思い出したように眉をしかめ、それを手のひらで制した。
「…ん?まてまて、たしかもうひとりいたな。あれ?…斎藤、お前も一緒じゃなかったか?」
「…誰と?」
斎藤一は縁側の柱に寄りかかって庭を眺めたまま応えた。
「だから聞いてなかったのかよ!」
「…すまん。聞いてなかった」
「ハー、コレだよ!ま、いいや。おめえ昨日さ、寺の裏手にある茶屋に、みんなと連れ立って出てったよな?」
「ああ…そういえば行ったな」
「なぁにが『ああ、そういえば』だよ、ヤダヤダ。ねえ、なに?なにコソコソ話ししてたの?ねえってば、教えろよ」
話を聞くうちにだんだん気になってきた藤堂平助も、斎藤の襟を引っぱって顔を引き寄せた。
「よお、もったいぶんなよ。お前は源さんなんかとは違うよな、な?」
井上源三郎は、居心地悪そうに頭を掻いて、斎藤に目配せした。
「やれやれ。斎藤、別にいいから話してやってくれ」
巻き込まれた斎藤は迷惑そうに顔をしかめた。
「…あまり身を入れて聞いていたわけじゃない。たしか大坂行きのことを話してたな」
「大坂?え?だれが大坂に行くんだ?」
永倉と藤堂が声を揃える。
「井上松五郎殿と、我々だ」
「ああ、そっか。あのひと、大樹公に帯同するんだ。そりゃそうだよな。そのために江戸くんだりから付いて来たんだもんな。それから、我々とね」
「なるほどわれわ…えええええええええ!!!!」
永倉が身を乗り出し、その声に驚いた原田左之助が跳ね起き、その煽りでクロも飛び上がり、斎藤の肩に飛び乗った。
永倉と原田に詰め寄られた斎藤は、むしろ不思議そうに目を細めた。
「驚くことはあるまい。あんた方も、大樹公の露払いのために上京したんじゃないのか」
「そ、そ、そ、そりゃまあ、そうだけどよ」
どの辺りから話を聞いていたのか、原田はまるで盛りのついた犬のように舌を出して、揉み手をはじめた。
「よっしゃあ!きたきたきたーっ!ようやく大活躍の機会が巡って来やがったぜーっ!」
しかし、藤堂が落ち着き払ってこの盛り上がりに水を差した。
「あのさ、活躍たって。なにも起こりようがないじゃんか」
「なんで!」
「なんでって、考えてもみてくださいよ。少なくとも大樹公は、帝のご意向に添った回答を、公式に出したわけっスよ?
双方に付き従ってイガミ合ってた会津と長州、つまり攘夷派と公武合体派も、これからは目的を同じくすることになるわけっしょ」
確かに、徳川家茂の所信表明演説が現実のものとなれば、少なくとも国内においては、いわゆるノーサイドの状態になるわけだ。
あくまで表向きは。
「つまりさ、喧嘩する理由もなくなる」
永倉はいきなり額を抑え、仰向けになって笑い転げた。
「イーッヒッヒ!アーッハッハ!どんだけ!どんだけお目出度いんだよ!おまえそれ、本気で言っちゃってんの?」
「茶化さないでよ」
言葉とは裏腹に、藤堂平助の表情は冴えない。
実際、彼はこの状況を楽観視するには余計な知識がありすぎた。
本当は藤堂にも永倉の言いたいことは分かっている。
ちょうどそこへ、巡察に出ていた沖田総司が髪から雫を滴らせて戻ってきた。
「いやあ、よく降りますねえ」
着物の裾は雨水を吸って変色し、三和土(石灰で固めた土間)まで濡らしている。
そのあとを女中の祐が、甲斐甲斐しくも手ぬぐいを持ってついて来た。
「アホやなあ、はよ、これで拭き」
沖田は、照れ隠しなのか、脱刀した膝で、それを払いのけた。
「狭いんだから、入ってくんじゃないよ」
「おやおや、仲のいいことで」
話の腰を折られた藤堂が、拍子抜けした様子で冷やかした。
「違うわ!うちは土方はんに付いてきたんや。な?」
祐が振り返ると、その後ろから土方歳三が気だるげに姿を現した。
「ああ、はいはい。けど、俺にもついてくんな」
「そやから。聞いてえな!ほんまなんやて!うちら、見てんから!ほら、沖田はんも言うてえな」
「どうでもいいだろ。そんなの」
「ようないわ!」
「なんの話だ?」
興味をそそられた原田左之助が、胡坐をかいた脚を引き寄せた。




