流される人々 其之参
離れの六畳間では壬生浪士組の局長、副長が顔を揃えている。
「で?」
最後にやってきた新見錦が、なぜわざわざ呼びつけたのかと横柄かつ簡潔に尋ねた。
近藤勇は先ほど門下の連中に伝えた言葉を繰り返す。
「5月10日。それが大樹公の出した答えだそうです」
筆頭局長、芹沢鴨は相槌代わりに大欠伸をしてみせた。
「ふぁーお、そほかい」
「さらに、帝のお許しが出れば、大樹公御自から摂海(いまの大阪湾)の巡視に下坂されるよし」
土方歳三は、あぐらをかいた脚に頬杖をつき、一同にそっぽを向いたまま、
「おいおいなんで今…まさかそのまま天保山から帰っちまうんじゃねえだろうな…」
と軽口を叩いた。
これには近藤を含めて一同顔色を変えたが、土方は気のない風に肩をすくめて見せた。
「…てなことをさ、勘ぐる奴も出てくるんじゃないかなってさ?思いつくだけでも、あいつらに、あいつらに、あいつ。あ、あと、あいつらとか、ね?」
指を折ってみせ、最後にニヤリとこう締めくくった。
「もちろん、俺は大樹公をこれっぽっちも疑っちゃいないがね」
対照的に背筋をピンと伸ばして正座した山南敬介が、大きなため息をついた。
「…ふう」
こちらも、少なくとも幕府の判断を支持している風には見えない。
折しも、会津からは、長州と一部の公卿に不穏な動き有りと内々の警戒命令があったばかりで、
「いったい何を根拠に、そのような指示を出すのか」と山南は不審がったが、
これは、長州藩邸で例の会津小鉄が探り出した情報であり、無論、浪士組に情報源までは明かされていない。
だが、それが本当なら、とても国内の足並みが揃うとは思えなかった。
皮肉にもただ一人、前向きな反応を示したのは新見錦だった。
「期日はすでに一月を切っているのだ。幕府のやること成すことすべてに難癖をつける手合いがどう解釈しようと、いちいち取り合う必要も時間もない。一橋公は直ちに大坂から船で江戸に引き返して5月10日の算段をつけるおつもりだろう」
彼は水戸の英雄、一橋慶喜を信奉しているようだ。
近藤は、不本意ながらもその言葉に力を借りて、話を進めた。
「いずれにせよ、これで挙国一致して国難にあたる体制が整ったということです」
ところが。
「…そう上手くコトが運ぶかね?」
すかさず水を差す土方に、近藤もさすがにムッとした。
「ああ?なんだよ、さっきから。ハッキリいいやがれ」
「悪い悪い。今のは忘れてくれ」
土方は口元に冷笑を浮かべて手をヒラヒラさせた。
「お前のひねくれた御高説なら、後でいくらでも賜ってやるがな。今、会津預かりの我らがその公約を信じられないようでは、まとまる話もまとまらん」
だが近藤のセリフは、自身も攘夷の実現を危ぶんでいることを白状しているも同然だった。
芹沢にいたっては、この状況を面白がっているフシさえある。
「ま、その日がくりゃ嫌でも分かるさ。旗本八万騎とやらが黒船に一発カマシてよ、桂(小五郎)や武市(半平太)みてえな、アブナい連中の親玉を納得させることができりゃ、その他の雑魚どもは付和雷同して将軍家になびくかもな」
と、お気に入りの大鉄扇を弄びながらニヤニヤしている。
新見錦が、珍しく芹沢を咎めた。
「芹沢さん、そのように悠長に構えておられては困る。我ら水戸藩、黒船来航以来の悲願が叶おうというときに」
山南敬介はというと、何かを考える時の癖で、先ほどから人差し指の背で顎を撫でていたが、ようやく口を開いた。
「しかし、その約束が果たされなかったときの反動は計り知れない。私はむしろ、そちらを危惧します」
近藤はとうとう肩の荷に耐えかねたように、畳に手をついた。
「やれやれ、山南さんまで大樹公の言葉を疑うのか?」
「そ、そうではありませんが…破約攘夷という選択に飛びつくのはあまりに短慮かと…充分な勝算があってのことならともかく、事が成らなかった場合、攘夷派の思わぬ暴発を招く恐れがあります」
芹沢は例の大鉄扇を大袈裟にバッと開いた。
「ハ!なに言ってやがる。ここまでの筋書きは、おおかた予想通りだろうが。今の徳川に毛唐どもと闘う性根なんぞあるもんか!そんなこた端から分かってたはずだ。勝負は、そっから先なんだよ」
「え…?」
山南は言葉を詰まらせた。
「そうなりゃ、土佐はともかく、長州は黙っちゃいまい。奴らが牙をむいた、そのときこそ俺たちの出番てわけだ」
土方が、鼻を鳴らした。
「ふん。この国にとっちゃ、最悪の筋書きだな」
新見錦は、芹沢の暴言と、それを他人事のように笑う土方に激しい怒りを露わにした。
「大樹公が約束を違えることがあるとすれば、それは取り巻きのせいだ!だが、それでひと騒動あろうが、望むところではないか。これまで、腕利きを掻き集め、調練を積んできたのは何のためだ!徳川を支えるのは我らをおいて他にない」
山南敬介は、険しい顔で首を横に振った。
「新見さん、そう結論を急ぐな。我々が剣を交えるべきは同胞じゃない」
しかし芹沢はその言葉をせせら笑い、今度は大鉄扇をピシリと閉じて畳に突き立てた。
「同胞?気持ち悪いこと言うなよ。俺は奴らを同胞なんて思ったことは、ただの一度もないぜ」
一同が言葉を失い、一瞬の間が空いたところで、土方歳三が堪りかねたように伸びをした。
「ファーア!んなこた、どっちでもいいだろ?要は俺たちにしたところで、刀を振り下ろす相手がいなきゃ、どうしようもねえってこった。それが外国人であれ、長州人であれ、俺は構わねえよ。さ、ちょいと失礼して厠に行ってくるぜ?」




