流される人々 其之壱
そぼ降る雨が、堀川沿いの小径にできた水たまりに、小さな円を描いては消えてゆく。
その、水面に映る雲を履き古した草履が踏みしだいた。
「なんだよ!どっから湧いて出た?ついてくんなよ」
「別にあんたについて来たわけちゃう!八百藤にお使いや」
衣棚町にある八百屋の店先で言い争いを始めたのは、浪士組副長助勤沖田総司とその浪士組が屯所を構える壬生村の郷士八木家の通い女中、祐だ。
「もうすぐそこは禁裏だぞ?なにもこんな遠くまで来なくても、野菜なんぞ毎日壬生に売りに来てるだろ」
「うるさいなあ。今日は用事があって来れへんてあぐりちゃんがゆうとったんや!」
祐はムッとして沖田を睨みつけた。
「わたしにくっついて歩いてたら、どんな危ない目に会っても知んないからな」
「ハン!いい気にならんとってや。誰が好き好んであんたにくっつくねん」
「現にくっついてるだろ!」
「しっ!うるさい!」
やおら手のひらを沖田の口元に押し付けてきた祐が、もう一方の人差し指を立てた。
「※に☆んだ♀!」
沖田の抗議はくぐもって言葉にならない。
「噂をすれば…ほら、あれ」
祐は、掘川を挟んだ向こう側を顎でしゃくった。
沖田が言われた方向にのんびり眼をやると、くだんの八百屋の娘が若い男と身を寄せ合うように一つ傘をさして歩いてくる。
「あ、あれ…」
傘は香木を商う店の前で止まり、2人は店先の平台に並べてある匂い袋を手に取って寄り添うようになにごとか囁きあっている。
連れの男が浪士組隊士の佐々木愛次郎であることに沖田が気づくか気づかないかのタイミングで、祐はその袖をグイと引いた。
「はよ!はよ!見つかるやろ!」
「わ、わたしも⁈なんで愛次郎から隠れなきゃなんないのさ」
しかし振り返った瞬間には、すでに祐は物売りが路肩に停めていた荷車をピョンと飛び越えて、鬼矢来との隙間に身を隠していた。
「ツベコベ言いな!早よせな見つかるやんか!早う!」
やがて、愛次郎とあぐりは二間ほど先にある小橋を渡り、様子をうかがっている2人の方へ折れてきた。
沖田は思わずさらに身を低くした。
「さあ、着きましたよ」
すぐ目の前で愛次郎が「八百藤」の看板を指した。
祐と沖田はほとんど四つん這いになりながら距離をつめて、立ち話に聞き耳を立てた。
あぐりが少し口ごもりながら頭を下げる。
「あ、あの、わざわざ送って頂いてありがとうごさいました」
「いやいや、余計なお世話やったかもしれんけど、身内の不始末やさかい。こちらこそご迷惑をお掛けして申し訳ありません」
愛次郎は屯所の中とは打って変わって、やわらかく自然な上方言葉で応じた。
ただ、表情にどことなく影があるのは、あの得体の知れない丸顔の男のことが頭のどこかにあるからに違いない。
そのまま行ってしまいそうな愛次郎を繋ぎとめるようにあぐりが半歩踏み出す。
「とんでもない。あ、あと、叔父が大変お世話になったそうで」
「叔父さん?」
愛次郎は怪訝な顔で問い返した。
「蛸薬師で虎の見世物興行を打ってる叔父です。なんや、佐々木様が揉め事を納めてくれはったゆうて聞いてます」
「へえ、あれあぐりさんの親戚かいな。奇遇やな。けど、わたしはなんもしてへんよ」
「叔父はあらためてお礼を申し上げたいと言うておりました。ほんまにありがとうございます」
「こちらこそ、傘まで貸してもろて。馬詰にあんなこと言った手前ちょっと後ろめたいわ」
愛次郎は頭を掻いた。
「そんな。屯所で何度かお姿をお見かけして、叔父の一件は私からも早うお礼を申し上げねばと思っていたんですけど…」
「ええ。私もあなたのお顔は知ってましたよ。八木家のご内儀(八木雅)と勝手でお話されているところをたまに見かけたから」
「すみません。なんとのう声をかけるのがはばかられて」
あぐりはそう言って申し訳なさそうに目を伏せた。
「ええんです。浪士組には何かと良うない噂がつきまといますからね。若い娘さんなら当然や」
まして、先ほどは川の向こう岸に立っている男に声を荒げる姿も見せている。
恐がられて当然だ、と愛次郎は明け透けに笑い飛ばした。
あぐりは頬を紅潮させて、その言葉を手のひらで打ち消した。
「そ、そういうわけや!私は八木の奥様からようお話を伺うていましたし、浪士組の方々が皆のいうような、その…」
「どうぞ。お気遣いなく」
愛次郎は微笑みながら先を促した。
「つ、つまりその、無法な人たちばかりやないことは存じ上げております。ただ、佐々木様は…」
「わたし?」
「その、佐々木様はまるで役者のように美しいお方なので」
「ええ⁈そりゃあどうも、えらいおおきに」
「い、いえ。そうやのうて、二枚目というのは女を弄ぶもんやと。実際、この界隈でそないな話もよう耳にいたしましたから」
「ははあ。なるほど」
愛次郎(だけでなく、その場に居合わせた沖田と祐も)が真っ先に頭に思い描いたのは、馬詰柳太郎の細面にちがいなかった。
「わたし、あなたもそうなのだと勝手に決めつけておりました」
佐々木は愉快そうにまた頭を掻いてみせた。
「ハハハ、わたしは面白みがないんか、馬詰の倅のようにモテんのです」
「…なかなか隅に置けんなあ。あぐりちゃんの用事ってコレのことやろか」
祐は神妙な面持ちで隣に身をひそめる沖田に耳打ちした。
「愛次郎は隊服だし、待ち合わせてたようにも見えないけどなあ。でも、みろよ。ありゃ相当な美男美女だぜ。う〜ん、絵になるな」
いずれにせよ、二人が交わす視線は互いへの好意を物語っていた。
「幸せになってくれたらええのに」
沖田の表情が曇った。
「それは…彼が浪士組にいるかぎり、難しいだろうな」
「…なんで?なんで女はいっつも男の都合に振り回されなあかんの!志やらゆうて、そんなもんでご飯が食べていけるわけやないんやで」
「お祐ちゃん、そういうことじゃないんだ」
「なにがちゃうの」
「私たちの思惑なんかに関係なく、やはりあの日、あの場所に黒船はやって来たのさ。いずれにせよ私たちはみな、否応なしにこの騒ぎに巻き込まれてるんだ」
「そんなん…そんなことわかってる」
二人がそんな話を小声でささやきあっているうちに、いつの間にか雨は止んでいる。
佐々木愛次郎とあぐりも、店先で互いに丁寧な別れの挨拶をかわしていた。
あぐりの母と思しき中年の女性が、愛次郎の後ろ姿に疑わしげな視線を投げかけていたが、まもなくその誤解も解けるだろう。
沖田と祐は隠れる必要もなくなって、立ち上がった。
「近藤さんや芹沢さんは、ただ食いつなぐためだけ、立身出世のためだけに浪士組に参加したんじゃない。こんな風に世情が騒がしくなるにつれ、お祐ちゃんや、あぐりちゃんの日々の暮らしが脅かされるのを肌で感じるにつれ、ただ傍観するのは、この国の男として不甲斐ないと思い至ったのさ。それはきっと、愛次郎もおなじだ」
「それが余計なお世話や言うてるねん!うちは、うちは自分の手でカタをつける」
「カタ?」
「なんでもない!もうええ!」
祐は拗ねたように背を向けると、さっさと八百藤に入っていった。
どうも!
NHKのドラマ便乗第2弾です。




