チカマツ的な一幕 其之壱
文久三年、京の巷は3月に例の攘夷祈願という一大イベントを控えていたため年頭から何かと気忙しかった。
なにしろ帝と大樹公が、連れ立って行幸あそばれるのだ。
いくら古刹を売りにする寺社仏閣でも、普段通り参拝客をお迎えするというわけにはいかない。
観光都市、京都において「心のヒダにゆき届く気遣い」は、市井の人々はもとよりサムライから宮仕えに至るまで、すべからくそこに住む職業人に不可欠な資質であって、神仏に仕える神官や僧侶たちにも、例外は許されなかった。
ただし、一流ホテルのコンシェルジュから奉仕を享受できるのは、それに見合った対価を支払える人間に限られる。
つまり、近藤勇ら多摩の田舎侍が、歯牙にもかけられないのは、無理からぬことと言えよう。
しかも、彼らを疎んじていたその末裔が、今日浅葱色の羽織を郷土土産として売り捌いているのだから、京都人の強かさたるや推して知るべしである。
ここ数ヶ月の間、賀茂別雷神社(通称上賀茂神社)で、スーパーセレブをお迎えするに足る大々的な普請を行ってきたのは、まさにそうした京都人たちだった。
いまや国宝とされる本殿が造替されたのもこの時で、「攘夷祈願の行幸」は、途中高杉晋作らのチャチャが入ったりしたものの、まずは成功裏に終わって、つまるところここがミソなのだが、後にはりっぱな本殿だけが残った。
続く四月、あの阿部慎蔵を浮かれさせ、さらには落胆せしめた岩清水八幡宮の行幸がおよそ上首尾とは言い難いフィナーレを迎えたのも記憶に新しい。
そうした一連の行幸狂騒曲の熱も冷めやらぬ文久3年4月18日。
当時、物流のインフラとして機能していた堀川は、少し前までそれこそ忙しく建築資材が運ばれていたが、ここのところようやく平時の落ち着きを取り戻しつつあった。
おそらく丹波辺りから切り出されたのであろうケヤキの丸太が、川面をプカリプカリと浮いている。
その川辺りの小径を貧相な身なりの若い浪人が、流れる材木と同じ歩調でのんびり歩いていた。
男の姿は妙に目を引いた。
彼が着込んでいるくたびれた木綿の絣とは、ひどく不釣り合いな美しい顔立ちをしていたからだ。
やがて彼は、堀川が六角通りと交わる辻でふと歩みを止めた。
その浪人馬詰柳太郎は、浪士組でも素行について何かと取り沙汰されることの多い新入隊士だった。
このときも、まるで護岸の刻印石(石垣を普請した大名の記しを刻んだ岩)を検分するような素振りで、暇に飽かせて若い女を物色していたらしく、六角通りから手ごろな獲物が現れたと見るや、およそ屯所での彼らしくもない機敏な動作でに近づいて行った。
「やあ、あぐりさん、奇遇ですね」
独特のか細く甘い声で話しかけた相手は、浪士組が屯所を構える八木家に出入りする八百屋の娘、あぐりだった。
少女は相手の顔をしばらくじっと見つめて、ようやくそれが誰であるか思い出したらしく、アタフタと深くお辞儀をした。
「これは浪士組の、ま、馬詰様」
よもや若い女性が、自分ほどの美少年を忘れていようとは!
馬詰柳太郎は一瞬目を見開いて軽い驚きを覗かせたものの、さすがにジゴロっぷりが堂に入っている。
すぐそれをおし隠すようにニッコリと微笑んだ。
「そうか、お店はこの辺りでしたっけ?」
「…はい」
少女の表情は、いったいどういうつもりで話しかけてきたのだろうと明らかに訝しんでいる。
すると、柳太郎は魅力的な笑みを顔に張り付けたまま、ふいに掌を上に向けて軽く差し出した。
「おや、また小雨が降ってきましたよ。ねえ、その傘に入れていただけませんか?」
「あ、あ!すみません。これは気がつきませんで!」
あぐりは慌てて手にしていた番傘をひろげた。
「…この時期に降る雨のことをね、花を催す雨と書いて、催花雨と呼ぶらしいです」
物憂げな横顔でチラと空を見上げ、あぐりに向き直る。
警戒をかわして、懐に潜り込む柳太郎の話術はすべてが計算づくでソツがない。
ところが、返ってきたのは聞き覚えのある男の声だった。
「へえ、知らなかったな」
柳太郎がギクリとした表情でおそるおそる背後を振り返ると、浅葱色の隊服を羽織った若い男が立っている。
「けどそりゃ、八百屋の娘さんには釈迦に説法というやつじゃないかな?」
「あ、佐々木さん」
それは、馬詰と同じころに入隊した佐々木愛次郎だった。
二人はともに隊内屈指の美男として後々まで語り伝えられるほどであったから、並び立つ姿はちょっとした世話物(義理人情や恋愛などを扱った演劇)の一幕のようだ。
ただ、見た目通り軟弱な優男である柳太郎と違い、愛次郎の方は武道にも長けた気骨の士で、中身はまるで正反対なのだから人間というものは面白い。
「馬詰さん、これくらいの雨に濡れたところで風邪などひきますまい?」
「あ、いや、その…」
女性相手なら、あれほどスラスラと紡がれる言葉は出てこない。
「非番の日にこんなとこで若い娘にちょっかいを出してるヒマがあったら、あの井上さんを見習って竹刀の一つも振ってみちゃあどうです?我らはいま京洛の人たちに値踏みされている時期だ。少しは人目も気になさい」
愛次郎は、馬詰の頭上に開かれた番傘の縁を、指先でツイとあぐりの方に押し戻して、きつく嗜めた。
「あ、う…」
返事に詰まった柳太郎は、うつむいたきり、踵を返した。
「…まったく」
愛次郎は嘆息して、その後ろ姿を見送った。
柳太郎は、川向こうの青山屋敷(丹波篠山藩上屋敷)の前で、丸顔の若い男に肩をぶつけ、ペコペコと謝りながら、よろめくように堀川沿いを南へ引き返して行った。
そこで、愛次郎は妙なことに気づいた。
相手の男は、柳太郎に目も呉れず、手にした傘も閉じたままジッとこちらを見つめている。
総髪を頭頂で結い上げたその男は、愛次郎と目が合うと、口元に僅かな笑みを浮かべた。
すみません
ピコ太郎にどハマりしてしまってついつい更新が一年もおろそかになっていました。(半分ほんと)
なんですかNHKで中沢琴のドラマが放送されるそうで、便乗して更新(笑)




