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幕末カタナ・ガール  作者: 子父澤 緊
変遷之章
184/404

蜘蛛の網 其之肆

原田は、鼻の頭をきながら、ニヤニヤと笑った。

「長崎と横浜ね。確かに、どっちも外国に開いてる港町(みなとまち)だ。あんた、どうやらずいぶん手広く商売をしてるようだな。物騒な(やから)から資金調達のまとにされるのもうなずけるぜ」

「こ、この取り引きはお上のお墨付(すみつ)きを得た真っ当(まっとう)なもんどす。いまどき、あきないをやっとるもんなら、みーんなやったはることどすわ」

八幡屋は商売人らしい図太ずぶとさを垣間かいま見せて、ついに開き直った。

「油は江戸の問屋を通して取り引きするのが決まりのはずでしょう?」

琴が口を挟んだ。

「となると、どうしてここに横浜や長崎の商人(あきんど)が直接出入りしているのか、解せねえな」

原田がたたみかける。

八幡屋はダラダラと脂汗あぶらあせを垂らし始めた。

「さしずめ、ガマの油ってとこだな。油は売りもんだろ?えらく気前がいいな」


初代駐日領事(ちゅうにちりょうじ)タウンゼント・ハリスが無理やりこじ開けた横浜港の扉は、油商人たちの世界を一変(いっぺん)させた。

輸出量の増加にともなって、菜種なたね油などは、10年足らずで5倍以上の値段にね上がったというから、彼らは一種の開港バブルの恩恵おんけいにあずかったわけだが、

そこまで相場が高騰(こうとう)してしまっては、順調な輸出が長く続くわけもなかった。

さらに、幕府の威信(いしん)失墜(しっつい)したせいで、

これまで存在した問屋仲間(といやなかま)と言われる一種の商業ギルドは崩壊(ほうかい)し、

幕府が定めた流通ルートは有名無実(ゆうめいむじつ)化してしまう。

この物語の舞台である文久3年という時期は、

ビジネスの世界でも生き残りを賭けたルール無用のサバイバルレースが今まさに始まろうとしていた頃である。


「おおかた、土州(どしゅう)人たちも、その闇取引(やみとりひき)をタネにゆすってきたんでしょう」

もはや八幡屋はグウの音も出ないといった様子で押し黙っている。

原田はまたニヤリと笑って、人差し指で自分のこめかみをつついて見せた。

「ま、俺自身の考えはともかくとして、そこら辺を(とが)めだてする気はねえんだ。だがよ、聞かせてくれ。その、因縁をつけてきてる奴らてなぁどこのどいつだい」

「…と、ときどきで違いますけど、ようお名前が出るんは藤本鉄石様、松本封壁様…」


この藤本鉄石なる男、じつはこの物語にもすでに一度その名が登場している。

本業は画家でありながら、あるきっかけから攘夷(じょうい)思想に傾倒(けいとう)し、政治活動に手を染めるようになった人物で、

あの人斬り以蔵を使って、僧侶二人を殺させた黒幕である。


そして、中沢琴は知る(よし)もなかったが、

この男を内省的(ないせいてき)な芸術の世界から血で血を洗う政治の世界に引きずり出した張本人こそ、誰あろう、あの清河八郎だった。

清河の精神は、死してなお京洛(きょうらく)に息づいている。


「あと吉村寅太郎ゆうお方は、大層(たいそう)お怖いみたいどすなあ…」

八幡屋はあれこれ思い出すように、たるんだアゴを()でた。

「吉村…寅太郎」

原田はみしめるようにその名を呼んだ。

まさに彼こそが、清河八郎の後継者に違いない。

「…いいことを教えといてやるよ、八幡屋さん。じき、この店に可愛かわい子ちゃんがやってくる。その、吉村寅太郎の慇懃無礼(いんぎんぶれい)脅迫(きょうはく)状を(たずさ)えてな。あんたがお上の頭越(あたまご)しに外国と商売を続ける気なら、そのとき、俺たちはあんたを護る口実をなくしちまうんだぜ」



「どう思います」

八幡屋を出るなり、琴が切り出した。

「さあね。ただ、ずいぶん派手(ハデ)(もう)けてやがる。ああして外国とよろしくやってる連中が、結局いい目にあってるのを見てるとよお、あっちにもこっちにも嫌われながら、斬り合いをやんなきゃならねえ俺たちがアホらしく思えてくるぜ」

原田はき捨てるように言った。

琴は力なく笑う。

「最後に勝ち残るのは、ああいう(したた)かな人たちなのかも」

「そう上手くはいかないだろうぜ。今はノラリクラリと立ち回ってるようだが、いつまでその手が通用するかね」

原田の分析は、(がら)にもなく冷徹(れいてつ)で的を得たものだった。

「…じゃなきゃ、会津がその男を探ってるわけがねえ」

琴は、原田のいう“その男”を思って唇を引き結んだ。


いまだ表舞台に姿を現さない吉村寅太郎は、まるで蜘蛛(くも)が網を張るように市中の闇を支配し、その中心で息をひそめている。

岩吉という男がほのめかした、北新地の料亭にいる薩摩人と、吉村はすでに通じているのだろうか。

 


「さぁてと。()っ返す前にそこいらの正月屋(甘味処の俗称)で汁粉(しるこ)でも(おご)ろうか?」

原田が伸びをして言った。

「え?」

自分の考えにふけっていた琴は、我に返ったように顔を上げた。

「なんか甘いもんでもいかがですかって、聞いてんだよ!」

琴は戸惑(とまど)って眉をひそめる。

「…どうしたんです?急に」

「そう警戒(けいかい)すんなよ。永倉じゃあるまいし、変な下心はねえさ。ま、結果的に手伝わせちまったから、ちょっと埋め合わせをな」

「そんなこと…どうぞおかまいなく」

琴の返事はまだどこか上の空だった。

と、そのとき。

「あれ、原田さん」

通りの向こうから浅葱あさぎ色の羽織を着た2人組が近づいてきた。

いずれも四月に入隊したばかりの新入り隊士で、

屯所(とんしょ)に居残りを命じられた馬詰柳太郎と中村金吾である。

市中見廻(しちゅうみまわ)りの最中だったらしい。

「黒谷で上覧(じょうらん)試合をやってるはずでしょう?こんなとこで何やってるんですか!」

新入りの中ではなかなかきがいいと評判の中村が、子供のいたずらを見咎(みとが)めた大人のように腰に手をやって立っている。


「おっと、残念。見つかっちまった。そろそろ行かなきゃ、まーた近藤さんにどやされる」

おどけてみせる原田。

「じゃあまた、次の機会に」

琴は陰鬱(いんうつ)な顔でこたえた。


()えねえ(ツラ)だな。こういう時のオレの勘は当たるんだぜ?」

原田は自分の推論(すいろん)に琴が納得していないと勘違いしたらしい。

「なあに、近々、その寅太郎とやらの首根っこを抑えてやるさ…さっきは言いそびれたが、俺さまの(やり)がありゃ、虎の尻尾(しっぽ)を奉行所の門に打ち付けとくくらい、訳ねえんだからな」


琴はようやく微笑み、そして小さく(うなず)いた。


「じゃーな、お嬢ちゃん」

ニヤリと笑った原田左之助の頭上には、

不知夜(いざよい)の月が薄く姿を現していた。


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