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幕末カタナ・ガール  作者: 子父澤 緊
変遷之章
183/404

蜘蛛の網 其之参

まもなく、二人は漆喰(しっくい)白壁(しらかべ)(まぶ)しい商家に行き着いた。

「油問屋」と書かれた大きな看板が屋根に鎮座(ちんざ)している。


「それで?今度はどういう口実(こうじつ)で入るの?」

「どうもこうも、俺たちゃお(かみ)公認の見廻(みまわ)り部隊だぜ。正面切って入るさ」

「もうさっきのことを忘れたの?相手は攘夷(じょうい)派の支援者(しえんしゃ)かもしれない。それじゃあ口を割るものも割らなくなるでしょ」

琴は四国屋での失態(しったい)を思い返して、原田をにらんだ。

道理(どうり)だが。お察しの通り、()け引きは(しょう)に合わなくてね。はい、ごめんなさいよ」

原田は琴の心配をよそに勢いよく暖簾(のれん)をくぐった。


「あ、へえ。おこしやす」

あまりの勢いに、面食らった番頭(ばんとう)らしき人物が間の抜けた応対をしている。

琴は仕方なく後に続いた。

屋内に一歩足を踏み入れると、水油みずあぶら(菜種油)の香りがした。


「会津藩お預かり壬生浪士組のもんだ。ちょっと中をのぞかせてもらうぜ」

原田は言い終わるや、土足のまま(かまち)を上がり、ズカズカと板間へ踏み込んで行く。

「あ、あ、まっとくれやす!」

番頭はあわてて、ドタバタと後を追った。


ちょっとした騒ぎに、奥からガマガエルのような相貌(そうぼう)壮年(そうねん)の男が顔を出した。

見るからに上等な縮緬羽織(ちりめんばおり)を着て、小洒落た本多髷(ほんだまげ)を結っている。

この店の主人、八幡屋卯兵衛(やわたやうへえ)に違いなかった。


「ちょ、ちょっとちょっと!ほんまに会津はんどすか」

「んー、だから、正確には会津藩お預かりどすってば」

口調とは裏腹(うらはら)に、

原田は(あお)い顔をしている卯兵衛の脇をさっさと通り過ぎて、

店内に鋭い視線を走らせ、

さらに帳場(ちょうば)の奥にある衝立(ついたて)の向こうを(のぞ)き込んだ。

「こ、これは、なんのお取り調べどすか」

卯兵衛はさも心外(しんがい)だという風にたずねた。

「なあに、通り一遍(いっぺん)見廻(みまわ)りさ」

「こ、こ、これが?」

「ああ。だから、いつも通り仕事を続けててくれ。どーぞどーぞ」

「い、いつも通りて…」

「勝手に調べて、怪しい連中がいなきゃ勝手に出てくからさ、おかまいなく」

卯兵衛は店の外を気にする素振(そぶ)りをみせ、(ゆが)んだ笑みを浮かべると、胸の前で手のひらをこすり合わせた。

世間体(せけんてい)もありますよって、堪忍(かんにん)しとくれやす」

原田は、八幡屋の(たる)んだあごを親指と人差し指で持ち上げた。

「ふうん。怪しいな、やましいとこがないなら、なんで俺らを怖がる」

とたんに八幡屋卯兵衛の顔がこわばった。

「それはその…」

「この人を不逞(ふてい)浪士だと思ったんでしょ」

琴がニヤリと笑って口をはさんだ。

八幡屋はどう答えていいか分からず、口ごもったていたが、二人に見つめられて、とうとう本音を漏らした。

「へえ…まあ」

原田の口元に物騒(ぶっそう)な笑みが浮かぶ。

「とっても失礼な奴だな。俺のどこがどう不逞(ふてい)だって?言ってみろよ」

「原田さん、わざわざ答えづらいこと聴かなくても」

「てめーが言わせたんだろーが!」

少し場が(なご)んだ頃合いを見計らって、琴が(カマ)をかけた。

「…ところでご主人、先ほどの様子から(さっ)するに、なにか不逞(ふてい)(やから)に悩まされていることがおありでは」

「あ、へえ、まあ」

案の定、卯兵衛には思いあたるところがあるらしい。

しかし、それを口に出していいものか、考えあぐねているようだ。

「煮え切らねえ奴だなあ」

原田はあからさまに苛立(いらだ)った様子でこめかみを()きだした。

「他言はしません」

琴が唇の前で人差し指を立ててみせる。

その一言が、卯兵衛の背中を押したようだ。

「…うちとこは外国へも油を()ろさせてもろてます。そやさかい、草莽(そうもう)の志士と仰せのお(さむらい)さまからイケズ(嫌がらせ)されることは(おお)おすなあ」

「ははあ。そいつはカンカできない話だ。くわしく聴かせてもらおう。なあ?中沢くん」

中沢琴は答える代わりに、目を閉じて呆れたように小さくかぶりを振った。

とにもかくにも、八幡屋卯兵衛から話を引き出すことには成功したようだ。

琴はさらに踏み込んでみた。

「そういえば、お(たな)に土州人が出入りしてるとか」

「ご存知どしたか。出入りゆうか…」

「つまり、そいつらがあんたを脅してるわけだな」

気の短い原田は答えを聞く前に結論に飛びついた。

「へえ、まあ。そおゆうことどす。うちとこの取引先の件で度々(たびたび)押しかけてきやはって、たいそうお(しか)りを受けてます。なんとも答えようがおへんさかい、番頭に相手してもろて、私は居留守(いるす)使(つこ)てますけど」


「なるほど。ときにご主人、それは」

琴は上がりがまちに腰掛け、その細い指で、帳場箪笥ちょうばだんすの上に飾ってある菖蒲(アヤメ)一輪挿いちりんざしの花瓶かびんを指した。

それは、精巧せいこうな細工を施されたボヘミアグラスで、

不思議なことに、透明なガラスにはエキゾチックな模様もようを彫り込んだ金箔きんぱくが封じ込められていた。

花の紫が、優雅ゆうがな曲線を描く金色に映える。

「たいそう美しいものですね」


舶来(はくらい)もんだろ。さあすが、変なやつらに(から)まれるだけあって、いっぱしのカブレっぷりだな」

原田の皮肉は身も(ふた)もない。

「はあ。長崎からおこしやしたお客様からのいただきものどす」

卯兵衛はしぶしぶ認めた。


琴はつぎに、帳場ちょうばの脇に置いてあった薄手の本を手にとった。

「この本は?」

明らかに外国のものとわかる文字が表紙に踊っている。

卯兵衛は、なぜ隠しておかなかったのかという目で番頭をにらみつける。

「それは…ジャパン・パンチやいう、まあゆうたら絵入りの瓦版(かわらばん)(江戸時代の新聞)みたいなもんどす。

そやけど、向こうの言葉で書いてあるさかい、何のことやら分からしまへん。それも出入りの仲買人から(もろ)た横浜のお土産(みやげ)どすわ」

「ジャパン・パンチ」はチャールズ・ワーグマンというイギリス人記者が書いた挿絵(さしえ)入りのニュース雑誌で、ポンチ絵、つまり現在の漫画マンガの語源になったとも言われている。

日本で刊行された最初の漫画雑誌というべきものだ。

もっとも、当時の日本人が読めば噴飯物(ふんぱんもの)の記事も少なくなかったから、原田と琴に英語が理解できなかったのは幸いだった。

「横浜…か」

弟、良之助は今ごろ、横浜の海に浮かぶ黒船を見ているのだろうか。

琴はそんなことを考えながら、表紙に描かれている能天気のうてんきなサムライの笑顔を指でなぞった。

八幡屋は、琴の手からやんわりとその雑誌を取り上げると、パラパラとページを()り、上目遣いで彼女の表情をうかがった。

「いまや、横浜で陸揚(りくあ)げされる品も抜け荷(ぬけに)(密輸品のこと)とは呼びまへんさかいな」


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