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幕末カタナ・ガール  作者: 子父澤 緊
変遷之章
182/404

蜘蛛の網 其之弐

「えれえ剣幕(けんまく)だな、クワバラクワバラ…。早々に退散したいとこだが、と、その前に手に持っている書状(しょじょう)を見せてもらおう」

原田は言い終えないうちに、娘の手からヒョイと手紙を取り上げた。

「返して!」

娘が叫んだときには、すでに勢いよく手紙を開いている。


娘は鬼気迫(ききせま)る表情で原田の腕にしがみつき、その手紙をクシャクシャに握りつぶした。

「お嬢ちゃん、それじゃあ後ろめたいことがあるって白状してるようなもんだぜ?」

原田は強引に娘の手を引きはがそうと、その手首を(つか)んだ。

「いきなり押しかけてきて、他人(ひと)様の手紙を盗み見しようやなんて、後ろめたい思いをせんならんのはあんたの方や!これ以上乱暴するなら、舌を()み切ります!」

娘は目に涙をいっぱい()めながらも、気丈(きじょう)に原田を(にら)み返した。

「おもしれえな。やってもらおうじゃねえか」

母親が泣きながら叫んだ。

「おクニ!」


「…原田さん。この子、本気ですよ」

琴はそう言って止めたが、

男装している彼女自身も、同じ浪士組の人間として見られていることに違いはなかった。

「…ちぇ!バカバカしい」

原田が渋々(しぶしぶ)力を(ゆる)めると、娘は手紙ごとその手を振りほどいた。

その脇では、ガクガクと足を震わせて女将おかみが立ち尽くしている。

娘は床にへたり込みながらも、手紙を(ふところ)に抱き、赤く充血した眼でまだ原田をにらみ据えていた。


中居女中なかいじょちゅう下男げなんら使用人、そして居合わせた宿泊客などの眼には、浪士組が罪のない人々に狼藉ろうぜきを働いているとしか映らなかっただろう。


「…いきましょう。お邪魔(じゃま)しました」

(よど)んだ雰囲気のなか、琴が原田の肩に手をおいてうながした。


二人は木屋町通きやまちどおりの喧騒けんそうに出た。


原田はやるせない表情で吐き捨てた。

「おクニっていったか…お役目とはいえ、年端(としは)もいかない小娘にあんな思いをさせなきゃならんとはな」

「ここは天子(てんし)()べる都。幕府の手先であるあなた方にとっては敵地よ?こうなることは、江戸を出る前から分かってたはず」

琴は、冷めた口調で原田を突き放した。

それはむしろ、山南敬介に対する苛立(いらだ)ちのすり替えだったかもしれない。

手厳てきびししいな」

原田は()められていっそサバサバしたらしく、気を取り直したように背筋を伸ばした。

「そんなことより、見た?」

「ああ」

二人が文面を目にしたのは、ほんの一瞬ではあったが、

手紙は八幡屋やわたやという屋号やごうの店に宛てられており、

そこには確かに吉村(はい)との署名しょめいがあった。


「吉村、それがあの娘の想い人の名か…誰だ?」


原田は、吉村寅太郎の名を知らない。

だが、娘にとって手紙を書いた人間が大切な人であることだけは確かだった。


「誰であれ、あの旅籠(はたご)のすぐそば(ひそ)んでる。あの子が一瞬いっしゅん通りの先に目をやったのを見たでしょ?」


実のところ、吉村寅太郎が都における活動の拠点としたのは、料亭丹虎(たんとら)、つまり武市半平太の住まいからたった二軒先の家だった。

琴はえて大事な部分、すなわち吉村の素性(すじょう)をはぐらかして、

そのかわり、なにか(そら)んじる風に、歌を口にした。


ながらえて 変わらぬ月を見るよりも

死して払わん 世々の浮雲うきぐも


「なんだそりゃ?」

「さあね。さっき、壁に落書きがあったの。あの子の想い人が書いたのかも」


二人には、吉村がわざわざ幕府から目をつけられている武市半平太の近所に居を構えた訳がなんとなく分かる気がした。

原田が鼻を鳴らす。

「ふん、誰だか知らねえが、それを()んだ奴は、世の中気に入らないことだらけって感じだな。いずれにせよ、次に目指すのは、その八幡屋(やわたや)ってことだ」

「まだ続ける気?」

琴が()きれ顔で(たず)ねる。

「別に付いてきてくれって頼んじゃいないぜ?」

「放っとけるわけないでしょ。行きます」



だが、その店の素性(すじょう)はすぐに分かった。

八幡屋は、外国との貿易で巨利きょりを得ている有名な油商あぶらしょうで、

以前、芹沢鴨が洛内(らくない)で借金の相手を(あさ)っていたときにも、佐伯又三郎の口から候補に挙がった大店(おおだな)である。

金をせびろうという人間が目をつける先はみな同じということだろうか。


その、八幡屋卯兵衛やわたやうへいが店を構える仏光寺高倉は、

四国屋から15町(約1.6km)、今の感覚で言えば歩いて約20分くらいの距離である。


二人は鴨川沿いを南に下り、勝円寺という小さな寺の境内(けいだい)を突っ切って、仏光寺通りへ抜けた。


高瀬川にかかる小橋を渡ったところで、

原田は(あた)りを見回してまゆを寄せた。

「なんだなんだ?妙に人が多いじゃねえか。みんな俺たちと同じ方向に歩いてくぜ」

気がつけば二人は群衆ぐんしゅうに取り囲まれていた。

夕暮れ時だというのに、女性や子供までが混じっている。

人の流れは酒をきょうする店に吸い込まれてゆくでもなく、みな一様(いちよう)に西に向っていた。


琴はふとあることを思い出した。

「そういえば、因幡薬師(いなばやくし)で虎の見世物(みせもの)をやってるそうよ」

因幡薬師いなばやくしは目的地のすぐ先にある。

人々はそこを目指しているのだ。

「ああ、為三郎が言ってたアレか。ハハ、なんせあの芹沢がビビったらしいから、ケッサクだぜ。しっかし、わざわざ並んでまでシマシマのでっかい猫を観たがるなんざ、物好(ものず)きなヤツらだな」

原田は可笑(おか)しそうに小鼻(こばな)をこすった。

「これから浪士組が相手にするのは、その(トラ)尻尾(しっぽ)をすすんで()もうなんていう連中よ?私に言わせれば、それこそ物好モノずきな話ね」

琴が思い描いている原田たちの敵とは、おそらく清河八郎の幻影(げんえい)だった。

(ちげ)えねえな…」

原田は薄笑うすわらいを浮かべ、道行く人々を見渡しながら無言のまま先に立って歩いた。


雑踏(ざっとう)を抜け、通りの名の由来になった仏光寺の手前を土塀(どべい)に沿って左に折れる。


原田は琴に背を向けたまま唐突(とうとつ)に口を開いた。

「なあ…(くも)り空ってのは、そんなに気がふさぐもんかね?

これまでと同じような暮らしが続くってのは、そんなに気鬱(きうつ)な話か?」


「え?」

「さっきの落書きの歌だよ。俺はさ、そういうのもぜんぶ引っくるめて、世の中捨てたもんじゃないって思うがね」

原田左之助は生粋(きっすい)の戦士でありながら、

その精神は市井(しせい)の人々に寄り()っている。

この時代にしては奇妙な信条しんじょうを持つ男だった。

琴は珍しく目を細めて笑った。

「そういう解釈(かいしゃく)って、原田さんらしい。でも、どうかしら。あれは、人も、この世界も、そのままであり続けることは許されないって意味かも…」


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