蜘蛛の網 其之壱
同日、
黒谷を出た壬生浪士組副長助勤原田左之助と元浪士組中沢琴の二人は、二条大橋を渡り、
木屋町通りに交わる辻に差し掛かった。
「…わらべ唄が聴こえる」
ふと立ち止まった琴が呟いた。
今や狂気が支配する都にも、
昼下がりの路地にはまだ子供たちの透き通った歌声が残っている。
それはこの街が持つことを許された、わずかばかりの希望に他ならなかった。
「まるたけ えびすに おし おいけ♪
あねさん ろっかく たこにしき♪
しあや ぶったか まつまん ごじょう♪」
通りを曲がると、
そこには奇妙な子供たちだけの王国がある。
芥子坊主(3歳くらいの子供の髪型)の少女たちが、細い路地いっぱいに輪になって、二人の行く手を遮っていた。
「同じようなのがいっぱいいるな」
原田の頬が緩む。
「せきだ チャラチャラ うおのたな♪」
「ごめんね。通してくれる?」
琴が膝を折って話しかけると、
芥子坊主たちはピタリと歌うのをやめ、
一斉に二人を見上げた。
髪型のせいか、やはりみな同じ顔に見える。
大きな二つの眼、眼、眼。
芥子坊主の輪は二つに割れ、
原田と琴は、まるで玉座に向かう王と王妃のように居並ぶ家臣の間をしずしずと横切った。
二人が通り過ぎるのを待ちかねたように、また唄が始まる。
「ろくじょう ひっちょう通り過ぎ♪」
同時に、輪が閉じた。
「おかしなかんじだな。こんなご時世でもやっぱり子供が遊ぶ姿はかわんねえ」
原田が琴の顔を見て、少し寂しげに笑った。
「でもきっと、あの子たちもこの騒乱と無関係ではいられない」
「はちじょう越えればとうじみち♪」
「…あんた、子供の頃になにか辛い目にでもあったのかい」
「どうして」
琴は前を向いたまま問い返した。
「いや別に。なんとなく、そう思っただけさ」
原田は目をそらし、言葉を濁した。
そう、子供の王国は、脆く、儚い。
「九条大路で止め刺す♪」
背後から聴こえる最後の一節に、原田は苦い顔で振り返った。
「…ここいらのガキどもがよく歌ってるが、なんなんだ、あの薄気味悪い歌はよ」
「都を東西に走る通りを北から順番に並べた歌よ。…丸竹夷二押御池…さっき歩いてきたのが二条通りで、ひとつ南に下ったら、ほら、押小路通りに出た」
「なるほど、そうやって道を覚えるのか」
「面白いでしょ」
「道なんざ、ガキの頃は近所を走り回ってるうちに勝手に頭に入るもんさ!あーヤダヤダ、何でもかんでもミヤビってわけかよ」
「ふふ。それって、なにかの僻み?」
角を曲がってからというもの、料理屋や、貸し座敷が目に見えて増えた。
そこへ1日の仕事を終えた人々が、いっときの遊興を求めて集まり始めた頃、
琴が立ち止まった。
「ここじゃないかな」
二人が南下してきた木屋町通りに姉小路通りが突き当たる三つ辻にその建物はあった。
「なんで?」
原田がそう言って見上げた二階の軒下には「旅籠」の袖看板、そして入口には「四国屋 丹虎」と染め抜かれた暖簾がかかっている。
夕餉を炊ぐ煙の立ち昇る母屋には、すでに傾いた陽の光が間口の奥まで射し込んでいた。
「木屋町通りに面した旅籠で、離れ座敷があって、しかも…その怪しげな浪士は土佐者だと言ったんでしょう?」
そのあとを原田が引き取った。
「ああ。で、名前は"四国屋"か。なるほどね」
ー四国屋。
新選組に興味のある方なら、その名に聞き覚えがあるかも知れない。
この後、攘夷派の巣窟として名を馳せるこの宿、正確には旅館の離れ座敷は、表向き料亭を営み、
その2階を、土佐勤王党の盟主武市半平太に寓居として提供していた。
つまり、京における土佐藩攘夷派の活動拠点だが、浪士組副長山南敬介がすでにつきとめていたとおり、現在その二階の住人は京を留守にしている。
「おいでやす」
玄関先の行灯に火を入れようとしていた18、9の娘が振り返った。
「おかあはん、お客様え!」
どうやらこの宿の主人、四国屋重兵衛の息女であるらしい。
「お疲れ様どした。まずは御御足をお洗い下さい」
この店の女将と思しき娘の母親が二人を中に招き入れる仕草をすると、下男が水を張ったタライを差し出す。
しかし、原田は敷居をまたぐ手前で立ち止まった。
「客ってわけじゃねえんだ」
「はあ?」
女将が小首をかしげたとき。
先ほどの娘がまた近づいてきて、
「これ、届けに行ってきます」
と、手にした書簡を女将に軽く振ってみせ、それから二人にニッコリと微笑んだ。
「ほな、ごゆるりと」
「ふん、ごゆるりと行きたいとこだが、まだ仕事中でね。俺ぁ、壬生浪士組の者だ」
娘の目が、不安と恐怖の入り混じった色を帯びた。
「どうやら、俺たちがどういった人間かご存知のようだな」
その、ほんの一瞬、娘が通りの先に目をやったのを、原田と琴は見逃さなかった。
「あっちの家に誰かいるのかい?」
途端に、娘の瞳は嫌悪一色に塗り変えられた。
「あんたらに答える筋合いはあれへん!出てっとくれやす!」




