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幕末カタナ・ガール  作者: 子父澤 緊
上洛之章
18/404

大津宿の密会 其之壱

琵琶湖の南。

近江おうみ国、大津。

東海道五十三次とうかいどうごじゅうさんつぎ、五十三番目にして最大の宿場町しゅくばまち

旅籠はたごの数は、じつに七十を超え、走井茶屋はしりいちゃやと呼ばれる旅人の休憩きゅうけい所や、数えきれないほどの商家がのきを連ねる。

江戸から西へ向かって旅をして来た浪士組一行にとっては、中山道と東海道が合流してから、最初で最後の宿泊地だ。



「メシメシ!飯にしようぜ。永倉さん」

藤堂平助は、旅籠はたごの部屋に上がるなり、そそくさと旅装りょそうを解いた。

西に面した窓べりに腰掛こしかけていた青年が、ゆっくりと振り返る。

今まさに姿を消そうとする夕日を背負っているため、藤堂からその表情はうかがえない。


永倉新八 ―ナガクラシンパチ―。

のちの、新選組二番組長。

新選組最強の剣士。

その剣技は、天才、沖田総司をもしのぐと言われた男だ。


「ああ」

生返事なまへんじをして、永倉は、夕闇ゆうやみに沈む町に、もう一度眼をやった。


藤堂は、そのとなりに立って、同じ景色を眺めた。

もはや見えなくなった太陽の残光ざんこうが、奥比良おくひらの山々の稜線りょうせんを淡く描きだしている。


街に夜のとばりが降りれば、

街道沿いにならぶ無数の高張提灯たかはりちょうちんに火がともり、

真っ暗な湖畔こはんに、幻想的な光の道が縦横じゅうおうに浮かび上がる。

それはまるで、外界から暗闇くらやみの侵入をこばむ結界けっかいのようだった。


「こういう見つけない風景ってのは、遠くまで来ちまったって感慨かんがいもよおしますね」

窓枠まどわくに手をかけた藤堂が、永倉の顔をのぞきこむ。

「え?」

永倉は、まるで予想外の問いかけに戸惑うように怪訝けげんな顔をした。


「だって、なんか物思いにふけってたじゃないスか」

藤堂が口元をゆがめて笑う。


すると永倉は、卑猥ひわいな目つきでニタリと微笑ほほえみ返し、窓の外を指さした。

「あっちに遊郭ゆうかくがあるんだってよ。お!あの辺りかな?ほら、あそこ、ちょっと赤っぽい光が見えるあたり!」

この男が、幕末最強の剣客けんかく集団とうたわれた「新選組」の中でも一番の使い手と呼ばれることになるなど、いったい誰に想像がついただろう。

「メシ、冷めますよ」

藤堂はちゅうにらみながら大きく肩で息をすると、きびすを返した。



隊士たちが、三々五々(さんさんごご)大部屋に集まって、並べられたぜんの前に座る。

永倉は、すでに顔をそろえていた試衛館の仲間たちを見渡して、猫なで声を出した。

「な~あ、どうだい?せっかくだしさあ、のぞいてみねえか?」


遊郭ゆうかくは、旅籠はたごのきを連ねる街道から少し北にはずれた柴屋町というところにあるらしい。

こうした大きな宿場町しゅくばまちには付き物の歓楽街かんらくがいだ。

誰から聞いたのか、永倉は琵琶湖が見えてからというもの、ずっとソワソワしていた。


「なあってばよう…左之助、おまえは付き合うよな?」

「いいぜ。おごってくれるんなら」

原田左之助は、塩漬しおづけのサバを文字通りむさぼり食いながら、ニッと笑ってみせた。

永倉は不機嫌ふきげんな顔で、ハシでつまんでいたタクアンをかみ砕く。

「おれに、そんな金があるように見えるかよ?」

口いっぱいに魚をほお張った原田が、鼻を鳴らした。


二人の会話をウンザリしながら聞いていた土方歳三が、なにかに気づいて、山南敬介の脇腹わきばらをつついた。

彼らは後に、新選組局長近藤勇の両腕となる、いわばこのグループの副官だ。

黙々(もくもく)ハシを動かしていた山南が振り向くと、 土方は部屋のすみをアゴで指してみせた。

「おい、あのスミっこでチビチビ飲んでる、やせっぽちの男」


黒っぽい木綿絣もめんかすりを着流した総髪そうはつの男が一人、片膝かたひざを立てて座っている。

行灯あんどんの光から遠く、うつむき加減で顔ははっきり見えないが、細面ほそおもて優男やさおとこ風だ。

ずいぶん若くみえる。

なぜか食事には手をつけず、小さな徳利とっくりの酒を、手酌てじゃくで飲んでいる。


山南は、背筋を伸ばして正面を向いたまま、目の動きだけで、しばらくその男を観察した。

「ええ、彼が何か?」

「あんな奴、昨日までいたか?」

土方は、男が妙に気になる様子だ。

二人は、それぞれ思うところがあるように、薄暗い部屋の片隅ではいを傾ける浪士をみつめた。

「さあ?全員の顔を覚えているわけではないので」


山南と土方が意味ありげにささやきあうのを、永倉は誤解したらしい。

「おっと、さてはやっとその気になってくれちゃったね。さすがスケベ師匠」

土方は、永倉をにらみつけた。

「俺ぁてめえの師匠ししょうになった覚えなんぞねえし、スケ…いや、そんなことより、おまえ知らねえか?…あいつ、何者だ」

永倉は、不服ふふくそうにチラと言われた方をふり返った。

「ええ?さあな。あいつがどうした?」

「昨日までいなかった。だろ?」

土方は、同意を求めるように、正面に座っていた原田の顔を見た。

原田は、飯盛めしもり茶碗から顔をあげて、

「俺の顔みてもダメだぜ。俺ぁ、飯食ってる時ゃ、飯だけに集中してっからよ」

と、誇らしげにこたえた。

土方と山南は目を見合わせて、やれやれとため息をつく。


そのとき、浪士たちが食事をとっている板間いたまに、旅籠はたごの女中が入って来た。

何人かの男たちが「酒をくれ!」と声をかけたが、女中はキョロキョロと部屋を見渡すばかりで、返事もしない。

やがて彼女は、部屋のすみの男に目を留めると、スタスタと歩み寄って、何やら小さな紙切れのようなものを手渡した。

男は女中と、なにごとか二こと三こと言葉を交わしてから、その紙切れに目を落とす。

そして、すぐそれを握りつぶすと、さかずきをおいて、ゆっくり立ち上がった。


「どっかに、お出かけのようだぜ?」

土方は頬杖ほおづえをついてその様子をながめながら、ボソリとつぶやいた。

「クソじゃねえの、クソ!」

原田は、爪楊枝ツマようじをくわえたまま、さも満腹した様子で身体をらせている。

周囲の浪士たちが、イヤな顔をして原田をにらんだ。

土方は、片目をすがめて原田をたしなめると、また山南に肩を寄せた。

「つけてみねえか?」

「なぜです」

山南の視線が、土方に流れる。

土方は、ニヤリと笑ってみせた。

「怪しい。こういう時の俺のかんは当たるんだ。間者かんじゃかもしれねえ」


「おれはヤダね。めんどくせえ」

へそを曲げた永倉は、ひじをついて横になってしまった。

上昇志向じょうしょうしこうの強い試衛館一門の中にあって、ひとり、どこか飄々(ひょうひょう)とした風情ふぜいを漂わせるこの男にとっては、隊内に潜む間者かんじゃあばくより、遊女の尻を追いかける方がよほど重要じゅうようらしい。


だが、モメ事や厄介やっかいごとに首を突っ込むのが大好きな原田左之助が、永倉の単独行動を許さなかった。

「面白そうじゃねえか。行こうぜ」

永倉の襟首えりくびつかむと、引きずるようにして無理やり立たせてしまった。


「え?なになに?」

話を聞いていなかった沖田総司と藤堂平助も、四人の慌ただしい様子に釣られて思わず席を立った。


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