Trouble Sleeping Pt.4
さて、今度は少し時計の針を進めたい。
同日、黒谷、会津本陣近在の飯屋。
境内で行われている上覧試合も終盤に差し掛かったころのこと。
壬生浪士組副長助勤原田左之助は、なぜか一人メシを食っていた。
「相席してもいいですか」
聞き覚えのある声に、原田は顔を上げた。
「ん?あんた」
一瞬固まった原田の表情からは、考えがありありと見て取れた。
― 目の前にいる人物をたしかに知っている。
そう、以前、沖田総司から紹介された中沢良之助の妹、いや姉だったか。わざわざ男装してまで浪士組に潜り込んだという変わり者で、線は細いが、五尺六寸(約170cm)はある背丈のおかげで、男と言われればそう見えなくもない。
名をお琴といったはずだ。
「どうぞ。お琴ちゃんだっけ?なんだい、山南さんでも待ってんのかい」
琴は思わず漏れそうになる笑いを噛み殺してお辞儀した。
今も着流しに一本差しという出で立ちをしている。
「この格好で?まさか!原田さんこそ上覧試合は終わったんですか?」
「んにゃ」
原田は琴が着ている服などまったく興味なさそうに、むずかしい顔で丼を睨み始めた。
「…じゃあ、こんなとこに居ていいんですか」
「なんかさ、つまんねえから先に出て来たんだよ。したら、この店からいい匂いがするんで、釣られちゃってよ」
「つまんないからって、勝手に出てきていいもんでもないでしょう?」
いわば御前試合を途中で抜け出してくる原田の気儘さに琴はあきれ返った。
「俺がいなくなったって、べつに誰も困りゃしねえよ」
「…二階の座敷で食べたほうがいいかも」
琴は店内の客を見渡して声をひそめた。
「このガヤガヤした雰囲気で食うのがいいんじゃねえかよ」
昼食時の店内には、黒谷の本陣に出入りしていると思しき植木職人なども見受けられる。
原田は他人の耳目など、いっこう頓着する気配もない。
「壁の品書きを見てみな。ほら、マムシって書いてあんだろ?」
「え?あ、はあ」
琴は振り返って壁に掛けられた木札の、のたくったような文字をながめて、間の抜けた返事をした。
「お高くとまった京料理にしちゃあ、なかなか思い切ったもんを出してくるじゃねえか。な?」
「あの、原田さんあれ…」
琴は何か言おうとしたが、原田は勢いに任せて話しつづける。
「そっちがそう来るなら、受けて立たにゃあ、わざわざ京くんだりまで上ってきた坂東武者(関東の武士)の名が廃るってもんだろうが」
「そういうものなんですか。でもあの、」
「と!あんたが入ってくるまでの俺は思ってたわけよ」
「はあ…」
琴はうんざりした顔で頬杖をついて、原田の取り留めのない話が終わるのを待つことにした。
「ところがさ、話のタネにって食ってみたらよう、これがまた、なかなか。なんつーのかなあ。オツな味なんだよ。例えれば、んー、そう!鰻?みたいな?」
「原田さん、だってそれ、鰻の蒲焼だから」
琴はそう言って、原田の丼を指した。
「いやいや。運んできた姉ちゃんもマムシつったぜ?」
「だから、こっちじゃ鰻の丼をまむしって言うんですよ」
「なんで?」
「さあ」
「ふーん…俺も変だと思ったんだよ」
原田はさして驚く風もなく、鰻の切れ端を軽く箸でつまみあげて眺めた。
彼の興味はすでに別のものに移っていた。
「あんたさ、なに頼んだんだ?」
原田は無遠慮に琴を箸で指した。
「塩焼きの鮎」
「あのちっちぇー川魚かよ。あんなもん伊予にだって珍しかないぜ?小骨ばっかじゃんよ」
「今朝、鴨川に網を打つひとを見て、なんだかそういう気分になったから」
「なあ、聞いていいか?あの、銀鱈の味噌焼きってなよ、美味いのかな」
「さあ。こっちの味噌は甘いから、私は口にあわないけど」
「ふーん。俺ぁ、伊予の出でね。ようやく江戸前の味に慣れたと思ったら、今度は京だろ?まったくやんなっちまうよな」
「…坂東武者じゃなかったんだ」
「いや、あそこで西国出身とか言ったら話がつまんなくなるなと思ってね。そういや、あんたさ、江戸には帰んないの?」
「ええ、まだもう少し都の雰囲気を楽しむつもりです」
琴は答えをはぐらかした。
「理由は、山南さんかい?」
「え?」
原田はそのとき初めて目の前にいる美しい浪人をしげしげ眺めて、なぜか少し照れたように頭を掻きながら、
「総司がさあ、あんたのこと、山南さんのコレだって」
と、もう一方の手で小指を立てて見せた。
琴は少し眼を伏せて視線を外した。
「そんなのじゃありません」
「ああそ!ああそ!まあ、ありゃあ、やめといた方がいいな。どう見たって、相当な奥手だかんな。待ってたって何時になることやら…」
「ねえ、原田さん」
琴は、いつ尽きるともしれない無駄話を遮った。
「んん?」
「あの頬傷の男に、何を聞いたんです?」




