上覧試合 其之弐
「…ほう」
容保が思わず嘆声をあげる。
一瞬の間をおき、
会津藩士たちが万雷の喝采を浴びせた。
「お目汚し、失礼致しました」
土方は優雅にお辞儀をしてみせる。
拍手が鳴りやまぬ中、近藤だけが険しい顔で宙を睨んでいる。
「ケンカじゃねえんだぞ…上覧試合で型を見せねえでどうする」
その愚痴が容保の耳にも届いたらしい。
「しかし近藤、あの男の機転は兵法にも通じる。大したものではないか」
「そのように大層なものでは…いや、お褒めにあずかり恐縮にございまする」
上機嫌の京都守護職を見て、近藤はとりあえず胸を撫でおろした。
ともかく、土方という男は、我流ながら実戦には滅法強かったと伝わっている。
しかし、近藤はすっかり忘れていた。
一癖ある門弟は、なにも土方だけではないことを。
つづいて佐々木愛次郎、佐々木蔵之助の名が呼ばれた途端、
今度は原田左之助が弾かれたように井上源三郎の胸ぐらに掴みかかった。
「あ、あ、愛次郎?おい!なんで愛次郎なんだ?!俺はー?!俺の出番は!!」
「…じゅ、柔術…柔術の試合だからだ…く、苦しい、その手を離せ…!」
原田は思わず力一杯井上の襟首を締めていたことに気づき、慌てて手を離した。
「おっと、すまねえ!思わず熱くなっちまって!あ、なーるほど、柔術か、なるほどねー。愛次郎の野郎、あれで柔術の腕前だけはなかなかのもんだからなあ…ダケはな!ま、アレか、柔術じゃしょうがねえよなあ?」
「ゲホ、まったく」
井上はむせ返りながら原田を睨みつけた。
さて、冷や汗の止まらない近藤を余所に、試合は粛々と進む。
「いや、緊張しました」
端正な面に浮かぶ玉のような汗を手の甲で拭いながら、佐々木愛次郎が引き上げてきた。
井上源三郎が、例の人のいい笑顔で出迎える。
「そうは見えなかった、なかなか堂に入ったもんだったぞ」
原田は滑稽なほど、不満をあらわにした。
「けっ!」
松平容保は、新しい戦力となった浪士組が存外に頼もしいことを知り、すっかりご満悦で、やや口も滑らかになってきた。
「芹沢、近藤、そして新見。そちらの働きには大いに期待するぞ」
「は!」
三人は口を揃えた。
容保はなおも続ける。
「長州藩、それに薩摩・土佐の一部過激派は、『天誅』と称する暗殺をこの京でおおっぴらに行うことで、反対する公家の恐怖を煽っているのだ。
事実、彼らの意見は、朝廷を通して幕政に影響を及ぼし始めている。
外様大名が、国政に口出しするなど前代未聞、あってはならんことだと一橋公(後の徳川慶喜)も懸念しておられる。
其方たちの役目は、単に京の治安を守る以上の意味があることを肝に銘じてもらいたい」
「京の町を守ることが、文字通り幕府をお護りすることにも通じると言うわけですな」
新見錦がしたり顔で頷く。
永倉新八が苦虫を噛み潰したような顔で、もう一人の副長山南敬助に耳打ちした。
「おーお、聞いた?新見のお追従。鳥肌が立つね」
「しかし」
山南は、中沢琴に繕ってもらった袖の縫い目を弄びながら眉間に皺を寄せる。
「大樹公(徳川家茂)の思惑を置き去りに、彼ら攘夷派が声高に叫ぶ”列強との決戦”は、まるで既定路線のごとく一人歩きを始めつつある」
「なーにが言いてえんだよ?」
「諸藩は、すでに戦に備え兵糧の備蓄に走っている。このところの米相場の高騰はそのせいだ」
「つまり何か?俺たちが奴らを一人ぶった斬るたびに米の値段が下がるとでも?くーっだらねえ戯言だ!」
「そうは言わん。ただ、この国に住む人間は、好むと好まざるとに関わらず、すでにみな攘夷騒動の渦中にあるということさ」
「チェ~ッ、どいつもこいつも勇ましいこった!この国にゃあ、身体を張って戦を止めようってぇ殊勝な殿様や目付はひとりもいないのかねえ?」
永倉は親藩の前当主でもある松平容保に気兼ねしてか、声を潜めて毒づいた。
汗を拭きながら席に戻って来た土方歳三が、
「ハ!いたとしてもだ。このご時勢、そんな奴らが、いつまでも生かしといてもらえるわきゃねえだろ」
と、さも愉快げに巷の天誅騒ぎを皮肉る。
ヒマを持て余す原田が、その意見にすかさず便乗した。
「やるかやられるか。分かり易くていいじゃねえか。どっちにしろ、いつまでも兵隊さんゴッコにチンタラ付き合うのは飽き飽きだぜ。この場を借りて、一丁おめえらにも命のやり取りってヤツを思い出させてやらあ!」
いつの時代も、外圧に弱腰の政治家に対して世間の風当たりは厳しい。
ましてや当事者意識のない国民が、無責任に「ヤレ、ヤレ」と囃し立てる現代とは訳が違う。
この時代の若者たちは、自ら切り込む覚悟でいるのだから、なおのことだ。
それはさておき、
上覧試合もいよいよ佳境に入った。
会津藩公用方秋月悌次郎も身を乗り出して、
「殿、ご覧あそばされませ。次に控える両名は、隊内屈指の使い手にございます」
と解説を加えた。
「第三試合。神道無念流免許、永倉新八、無外流、斎藤一。これへ」
しかし。
試衛館一の暴れ者、原田左之助は、もはや内なる衝動を抑えきれない様子で、
利き腕の拳を左の手のひらで包み込むようにして、指の骨をポキポキ鳴らした。
「おーいおい、俺の出番てなぁ、いつんなったら周ってくんだあ?あー腕が鳴る。あー、指も鳴っちゃってる!」
井上源三郎は、いつまた原田に掴みかかられるかと警戒しながら、組み合わせを書いた紙をチラリと見て、用心深く言葉を選んだ。
「あ、あ〜、いいかい?落ち着いて聞いてくれよ?つまりその、非常に言いにくいんだが、あ~、残念なことに、槍は、本日の予定に入ってないようなんだ」
すでに立ち上がっていた永倉新八が、井上の気遣いを踏みにじるように腹を抱えて笑いだした。
「ダーッハッハ!イーッヒッヒ!お生憎様だなあ、左之助ぇ?!そこでおとなしく座って見てろ!」
「ムキー!!てめえ、この野郎、殿様の前でこっぴどく負けて赤恥掻きやがれ!このバーカ!バーカ!」
原田は、髪をかきむしって悪態をついた。
永倉は涼しい顔でそれを受け流すと、斎藤一の肩をポンと叩いた。
「斎藤よう、んじゃま、俺たちも死なない程度に頑張るとしようぜ?」
それまで、まるで眠っているかのごとく微動だにしかなかった斎藤一が、薄く目を開き、無言で竹刀をつかんだ。
今や、原田左之助はすっかり不貞腐れている。
永倉と斎藤が構えに入るや、
さも退屈した風に、懐で胸板をボリボリ掻きながら、のっそり立ち上がった。
「おいおい、どこに行くんだい?」
井上が慌てて原田の袴の裾をつかむと、原田はシラけた顔で、手をヒラヒラ振ってみせた。
「小便だよ、しょーべん!永倉がカッコつけてるとこなんざ、アホらしくて見てられっかよ!斎藤に言っとけ、あんなドスケベ野郎に負けたら承知しねえってな!」




