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幕末カタナ・ガール  作者: 子父澤 緊
変遷之章
173/404

上覧試合 其之壱

「とうとう幕府の頭越あたまごしにそのような話を。それは本当に帝の(おぼ)()しなのでしょうか?」

壬生浪士組局長、近藤勇は例の大きな口を引き結んで(うな)った。


「さて…」

そう答えたきり(まゆ)を曇らせたのは、(さき)の会津藩主にして京都守護職きょうとしゅごしょく(つかさど)松平容保まつだいらかたもりその人である。


(よわい)27歳、時の天皇から(たまわ)ったという陣羽織(じんばおり)姿の写真が今も残るこの美しい青年の双肩そうけんに、都の命運が重くのしかかっていようなど、一見して信じがたい。



文久3年4月16日


会津藩が本陣ほんじんを敷く黒谷、金戒光明寺こんかいこうみょうじ、御影堂。

紅白の幕がかすかにたなびいている。


この日、近藤勇ら壬生浪士組は、松平容保の御前ごぜんで試合を披露(ひろう)した。

見物席に着座ちゃくざした容保は、冒頭(ぼうとう)ふと思い出したように、脇に(ひか)える芹沢鴨、新見錦、そして近藤の顔を見わたして、つい昨日朝廷で起こったという出来事を語りきかせた。

「…朝廷を牛耳(ぎゅうじ)る三条実美(さねとみ)卿・姉小路公知あねこうじきんとも卿が、備前岡山藩主池田茂政(もちまさ)公、水戸の昭訓あきくに公(藩主徳川慶篤(よしあつ)の弟)といった面々を学習院まで呼びつけ、なにごとかお尋ねになられたらしい」

この面々が顔をつき合わせて(はかりごと)(めぐ)らすとなれば、それは攘夷実行の策略に他ならず、すなわち、この京に遠からず嵐が吹き荒れることを意味している。


水戸の名が挙がったとたん、新見錦が含み笑いをもらした。

「クックック、近習きんじゅにかしずかれてヌクヌクと育った公卿(くぎょう)(ぎょ)するなど、容易たやすかろう。…なにを入れ知恵ぢえしたのやら」

聞こえよがしの独り言に、芹沢もニヤリと微笑ほほえみ返す。

「自分たちの方があやつられているとも知らず、盟主(めいしゅ)気取りのお公家くげさんたちも(あわ)れなもんさ。今ごろはさだめし…鼻息も荒かろうぜ」

曲がりなりにも「学問の都」水戸出身の二人は、雲の上で行われたこの諮問(しもん)会議が、やがて自身の運命に直結することを知っている。

が、二人の胸中きょうちゅうには、それぞれ故郷に対する複雑な想いが渦巻うずまいているように見えた。


一方、近藤は、言葉を切ったままいつまでも口を開こうとしない容保に()れていた。

「…我らは、いずれそうした朝臣ちょうしんをも敵に回すことになるのでしょうか?」



松平容保は、物憂(ものう)げに(あご)をさすり、つぶやくように応えた。

「わからんが、おそらく、幕府へのあてつけの意図いともあろう。しかし、芹沢の申すとおり、かの若き二卿(三条、姉小路)を操っているのは、真木和泉(まきいずみ)や長州の桂小五郎だといううわさもあってな…」

そう言うと、容保はまた押し黙って、宙空ちゅうくうの一点を見つめた。


実直じっちょくな近藤には、会津のおちいったジレンマが、どうにも理不尽りふじんに思えてならなかった。

「納得がいきませぬ。殿はみかどから直々(じきじき)に都の守護しゅご(おお)せつかったのでしょう?」


「ふむ。しかし…やはり分からん…」


近藤は容保の漏らした言葉に耳を疑って、思わず腰を浮かした。

「お待ちください!殿があえて火中(かちゅう)くりひろうご覚悟であれば、我ら身命しんめい()して付き従いましょう。しかし、分からぬとは如何(いか)に?」

「…ん」

少しうわずった近藤の声で、容保は我に返ったように(おもて)を上げた。

無言のままマジマジと見返された近藤は、居心地いごこちの悪さにモゾモゾ身をよじる。

「あ、いや、ですから」


「…あの、右側の男の流派はなにか?」

出し抜けの質問に、近藤はしばらくキョトンとしたのち、

容保が目の前の試合を指して、流派が“わからん”と言ったのだとようやく理解した。

「右?あ、ああ」


「あれは、わが天然理心流てんねんりしんりゅうの構えです」

れ幕で仕切られた前庭の中央で構える副長、土方歳三を見て答える。


その土方が、近藤を横目でにらみつけた。

『しっかりしろよ、()み合ってねえだろが』

『うるせ!おまえは黙ってろ』

二人はアイコンタクトと口の動きで互いを牽制けんせいする。


「ふん」

近藤の隣に座る新見錦が、小馬鹿こばかにしたように鼻を鳴らす。


左手を腰においた土方は、不敵な笑みを浮かべて器用にクルリと竹刀しないを回した。

殿との、御尊顔(そんがん)はいし、恐悦至極(きょうえつしごく)にございます。…んじゃま、天然理心流てんねんりしんりゅう真髄(しんずい)ってやつをごらんいれましょうかね」


近藤は、またしても腰を浮かせた。

「なに言ってやがる!調子ちょーしん乗んな、万年目録まんねんもくろくが!…あ、いや、これは失敬」


いやだねえ、なにも極意ごくいをご覧入らんいれようって訳じゃねえ。俺はな、真髄しんずいつったんだよ。小さな町道場なりの剣法ってやつをご披露(ひろう)しましょうってな?」

土方は小さな声でつぶやいて、

いきなり荒っぽく竹刀を構えなおした。


容保はまたあごをさすりながら、愉快ゆかいそうにつぶやいた。

「天然理心流。なるほど見たことのないかただ」

「でしょうな。なにせあんな型などありませんから!」

容保は少しびっくりしたように、近藤を(かえり)みた。

「あ、いや、如何(いか)せんあの男の剣は我流(がりゅう)でして。汗顔(かんがん)の至りにございます」

思わず口をすべらした近藤は、苦い顔で言い訳した。


「やれやれ、うちの若先生の過ぎたご謙遜(けんそん)にも困ったもんだね」

土方は不敵に笑い、対戦相手の藤堂平助に向けて、人差し指をクイと手前に曲げてみせた。

「来な。北辰一刀流ほくしんいっとうりゅう

頭に血の上りやすい藤堂は、この見えいた挑発に、いとも容易(たやす)くのせられた。


「この…めんなよ!」


(さきがけ)先生”と綽名あだなされる突進力で、

一気に土方との間を詰める。

そこへ土方の切っ先(きっさき)が、

ヒョイと突き出された。

危うく(わな)に突っ込みそうになった藤堂は、

急ブレーキをかけて、

その切っ先を(はじ)いた。

「あ、あっぶね!だがなあ、そんな子供(だま)しに引っかかるかよ!」

「そこまで甘いとは思っちゃいねえさ」

土方はそう言って、

体勢たいせいくずした藤堂におそいかかった。

しかし藤堂も、一流の剣客けんかくであることに変わりはない。

左から右から叩きつける嵐のような打撃を、

持ち前のスピードで次々といなす。

「どうした副長さん、それで終わりか?」

初夏の日差しが、二人のひたいにじんわりと汗をにじませた。


「どうも、口の悪いやつらで…」

天をあおぎしどろもどろの近藤を後目しりめに、芹沢鴨が肩を震わせて(わら)いをこらえる。

その様子を少し離れた席から見ていた会津藩の公用方(こうようがた)秋月悌次郎あきづきていじろうは、同僚どうりょうの広沢富次郎の耳元で何やらささやいた。

どうやら彼らは、二人の浪士組局長の間に横たわる溝を、すでに気取(けど)っているようだ。


しかし松平容保は、次々と繰り出される攻撃をすべて()らしてゆく藤堂のしなやかな剣さばきに、夢中で目をらしている。

「は、これは見事な」


一方の土方はといえば、一見、あたり構わずメチャクチャに刀を振り回すばかり。

「ほらほら、休んでるひまぁねえぞ、魁先生さきがけせんせい!」


「なんなんだチクショウ!なにかたくらんでやがるようだが、クソ!これじゃ考えるヒマもねえ!」

藤堂は素早い足運あしはこびでその動きについていきながらも、攻撃に転じるタイミングをつかめず、あせりを見せ始めた。


二人の竹刀しないが激しくぶつかりあう音が、なおも御影堂みかげどうの前庭に響きわたる。


その、左右の動きに、

藤堂の目がすっかり慣らされた頃合ころあいだった。


土方はスッと身体を引くと、

ふたたび、藤堂のどうめがけて、

切っ先を突き出した。


その突きは、

実に軽く、

さりげなかった。


さりげなかったという表現が適当かどうかはさておき、

少なくとも観衆の目には、

さほど強い力を加えたように映らなかったことは確かだ。


が、いずれにせよ、

藤堂は両足を宙に投げ出した格好かっこうで、

見事なほどストンと地面に尻を着いた。


その効果は絶大だった。



「一本!」


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