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幕末カタナ・ガール  作者: 子父澤 緊
約束之章
171/404

約束 其之肆

ゆうは琴のひざの上にある着物をジロジロ眺めながら湯呑みをすすめた。

粗茶(そちゃ)ですが」

「お構いなく」

琴はうっすらと笑みを浮かべ会釈(えしゃく)した。

「ほな、ごゆるりと」

ゆうが山南に意味ありげな目配せを送って出てゆくと、山南は手のひらで(ひたい)を抑えた。

「どうにも、こまっしゃくれた娘で」

「そうかしら」

琴は目を伏せたまま応えた。


「…お琴さん」

「はい」

「なにかあったんですか?」

「どうしてそんなことを聞くんです」

「少し様子が変だ」

琴は顔を上げて山南に微笑(ほほえ)みかけた。

「江戸にいた頃、こうしてよく山南さんの道着(どうぎ)(つくろ)ったでしょ」

山南は縁台(えんだい)に置かれた湯呑みを口元に運び、琴の真意(しんい)を探るようにまっすぐその目を見返した。

「昔の話だ。今は何をしてるんです」

その問いが琴の顔から感情をかき消した。

「…昨日の夜、初めて半丁博打と言うのをやりました」

突然の告白に、山南は思わず茶を()き出した。

「もう!」

琴は盆の上の布巾を引っつかんで床をゴシゴシとこすった。

そして、畳を見つめたまま、つぶやいた。

「…仏生寺弥助を追っていました」

その告白を、山南は驚くほど冷静に受け()れた。

「殿内のつぎは、神道無念流の生ける伝説"不敗の上段"ですか。それも例の吉村寅太郎と何か関係がある話なんですね」

「あの男も長州とつながっています。けど、今はそんなことはいいんです」

「よくない」

「いいから聞いて!わたしは仏生寺が誰かと話してるのを聞いたんです。この屯所(とんしょ)に長州の間者(かんじゃ)(まぎ)れ込んでいると」

山南は目を見開いた。

「…それは誰です」

「そこまでは分かりません」

「いくら貴女(あなた)でも、我々の身内に(いわ)れのない汚名(おめい)を着せることは許さない」

山南は毅然(きぜん)としてつっぱねた。


「仏生寺は清河八郎をつけ狙ってた。その手引きをしていた人間がこの村のどこかにいるのは確かです」

「清河は攘夷派の筆頭(ひっとう)じゃないですか。なぜ彼が長州から狙われねばならん…」

「それは、今だから言えることです」

琴の言葉に、自身がまったく反対の勢力から清河の暗殺を依頼されて戸惑ったことを思い出し、山南はふと考え込んだ。

たしかに、あの頃の清河は、ひどく危なっかしい(つな)渡りをしていたのだ。


琴はその心の動きを見透かしたように続けた。

「そう。誰が敵で、誰が味方か、本当に分かっている人なんていない。山南さんは人が良すぎます。仏生寺自身、近ごろでは芹沢に接近している。知ってるでしょ?芹沢だって元をただせば、攘夷派の急先鋒(きゅうせんぽう)水戸の出身なんですよ」

「ご忠告は心にとどめておきましょう。けれど、これ以上危険な事に首を突っ込むのはやめてください」

琴は、山南が聞く耳を持たないことに苛立(いらだ)ちを(つの)らせた。

「私もあなたに同じことを言ったつもりです」


「情報を持ってきてくれるのはありがたいが、もういいんだ。あなたがそこまでする必要はない」

山南は姿勢をただすと、あらためて帰郷をうながした。


「子供扱いはやめてください。初めてお会いしたとき、わたしは19でした。けど、いつまでもあの頃のままというわけにはいかないんです」

「そうだな。では私も今日こそ正直になろう。これは、お父上や良之助くんのために言ってるんじゃない。私がそうしてほしいんです」


「…どうして…」

そう言って唇を()んだ琴の眼は、山南の言葉に込められた意味を察して(うる)んでいた。

山南はただ静かに、涙を見せまいとうつむく琴の返事を待った。


「…ほんと言うとわたしも、こんなところで、こんな格好をしてなにをやってるんだろうって思うことはあります」

琴はそう言ったきり、また、黙って針を動かしはじめた。

山南はその華奢(きゃしゃ)な肩を見るうち、愛情と憐憫(れんびん)の入り混じったような感情に押し流されて、いきなり琴を抱きすくめた。

「いつまでも心配させて」


琴は身を固くして、か細い声で告白した。

「…バカみたい。わたし、貴方(あなた)にあんな(ひど)いことを言っておいて、まだ都合よくドキドキしています…」


二人はしばらくじっと抱き合っていた。

「…どうして?」

琴はまた、同じ問いを繰り返した。

「え?」

「怒ってないんですか」

山南の口元がゆるむ。

「急にいなくなってしまったから?」

「ええ」

「…なんとなく、そんな気はしていた。あなたはずっと私の(かたわら)にいるような人ではないという気が。考えてみれば、わたしはあなたのことを何も知らない」

「そんな…」

「あの人があなたを京に残したのは、たぶん巻き込みたくなかったからですよ…」

「あのひと?」

琴はそう聞いてから、山南が清河のことを言っているのだと気がついた。

「わたしは、あなたと清河さんの関係に嫉妬していたのかもしれない」

山南は緊張した琴の全身から力が抜けていくのを感じた。

「そんな」

「あのころとは、何もかもが違うのは分かっています。たしかに、あなたはもう子どもじゃない。だが、大津で再会してからというものドタバタ騒ぎが続いてあなたとこうしてゆっくり話す機会もなかった。あれから、どうしていたのですか」

「それは江戸で…別れてからという意味ですか」

山南は無言でうなずいた。


しかし、顔を上げた琴はいつもの毅然とした表情に戻っていた。

「そんなこと、きっとどうでもいい話です。それより今、私はもう少しここにいたい」

「やめましょう。もうその話はなしだ。すればまたケンカになる」

「…そうですね」

琴は目をそらして、また、繕い物を始めた。



虫の声だけが響く。



やがて、山南は立ち上がって、窓辺に立った。

「…だが、こうして黙っているのも気詰まりですね。では、何かほかのことを話してくれませんか」

「何かって?」

「例えば、あなた自身のことを。今更(いまさら)かもしれないが、私はあなたのことをもう少し知りたい」


「でも、何を話せばいいの」

「例えば、故郷の想い出を聞かせてください」


「まだ小さい頃に里を出たのであまり…」

「なんでもいい。思いつくままに」

勇気づけるような山南の眼に背中を押されて、琴はポツポツと語りはじめた。


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