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幕末カタナ・ガール  作者: 子父澤 緊
約束之章
170/404

約束 其之参

その頃、

山南は押し黙ったまま、前川邸の自室へ引き上げていた。

その後ろには、やはり無言の琴が続く。


「…もうこういう悪ふざけはやめにしませんか」

玄関の前で立ち止まった山南は、前を見たままため息をついた。


「…まだ怒ってる」

琴は少し悪戯いたずらっぽい上目遣うわめづかいでつぶやいた。

「怒ってない」

山南は乱暴に草履(ぞうり)をぬぐと、(かまち)の上から琴を見下ろした。


「…これ」

琴は指先で自分のまゆまゆのあいだを(たて)になぞってみせる。

山南が自らの眉間(みけん)のしわに軽く触れたとき、琴は唐突とうとつに切り出した。


「あの、ありがとうございました。寺田屋まで来て頂いたんでしょう?」


山南は苦笑して、少し表情をやわらげた。

「やはり、バレましたか。ものすごい剣幕(けんまく)で追い返されましたよ。が、おかげでひとまず無事(ぶじ)が知れた。あの女将(おかみ)はあなたを親身(しんみ)になって守ってくれているようで安心しました」

あえて中村半次郎のことには触れず、山南は琴を部屋に招き入れた。

「とにかく、どうぞ」


二人の間には話さなければならないことが山ほどあったが、差し向かいに座ったとたん、それらは霧散むさんして、互いになにから話して良いのか分からなくなってしまった。


「明日、上覧試合じょうらんじあいがあるとか?」

やがて琴が手近な話題を持ち出して、沈黙を破った。

「誰から聞いたんです?」

「…」

「そう、つまり浪士組はある程度軌道(きどう)に乗ったんです。もうあなたが心配する必要はない」

浪士組の行末ゆくすえ懸念けねんする琴に、山南は見え見えの強がりを言って、ぎこちなく微笑んだ。


またしても気まずい沈黙が流れたあと、琴が口を開いた。

「脱いで下さい」

「え?」

「だって、明日は本陣ほんじんに行くんでしょう?(そで)に穴が開いたままじゃ格好がつかないわ。(つくろ)います」

「案外、目ざとい」

山南は困った顔で、着古した(あわせ)そでを見つめた。

琴はふところから裁縫さいほう道具を出してみせた。

「ほら、女らしいところもあるでしょ?」

「いやしかし、そこまでさせるわけには…向こうで道着どうぎに着替えますから」

「それでも駄目(ダメ)です。だって、浪士組にとっては初めての晴れ舞台じゃないですか。その副長がみすぼらしい格好で金戒光明寺こんかいこうみょうじの門をくぐるなんて」


山南は渋々(しぶしぶ)服を脱ぎ、申し訳なさそうに頭を()いた。

「…すみません」

「いえ、今も弟の着物を(つくろ)っているので、別に苦になりませんから」

琴の声からも、ようやく少し固さが取れていた。


「お琴さん、それでもやはり、私はあなたを独りにしておくのは心配だ」

山南は琴の細い指が流れるように動くのを思案しあんげに目で追いながら、浴衣ゆかた羽織はおった。

「この都がどういったところか、私だってある程度理解してるつもりです」

琴は手を動かしたまま、その言葉をさらりと交わす。

「清河さんから都についてどれだけのことを聞いたのか知らないが、彼がいた頃とはまた事情が違ってきている」

「どういう意味ですか」

「上手く説明できないが…吉村(寅太郎)の(うわさ)を聞いてからというもの、私には何かこう、攘夷派のタガが外れたように感じられるんだ。少なくとも武市瑞山(たけちずいざん)は、殺す相手を選んだ」


幕府の思惑(おもわく)をよそに、武力による列強との決別への期待は日を追うごとに高まるばかりだ。

山南は()い物を待つ間、無粋(ぶすい)を知りつつ時勢(じせい)を語った。


「このあいだ、斎藤くんが見たという僧侶の一件だって、吉村の入京と無関係ではない気がする」

二人の僧侶が三条河原で惨殺(ざんさつ)された事件はもちろん琴も耳にしている。

「…と、いうと?」

「いや、直接的な関連はないのかもしれんが、そのやり口が吉村の過激さに通じるというか…」

尊皇攘夷派そんのうじょういはにある種の共感を持つ山南は、自分の言葉を認めたくないように言葉を(にご)した。


「彼らのやり口なんて、前から一緒です」

琴の辛辣(しんらつ)な意見を、山南は苦々しい想いで受け止めた。

「この国はいま、『攘夷』という熱病に浮かされている。彼らはただ闇雲(やみくも)に、(こと)なる思想をもつ人々を排除(はいじょ)すべしという妄執(もうしゅう)に取り()かれて、そもそもそれが同胞を護るためであったという根本を忘れているんだ」


偏執(へんしつ)的な攘夷思想に取り()かれていたのは、なにも市井(しせい)の人々だけではなかった。

むしろ、もっとも客観的な視野を持たねばならないはずの支配者層の妄信(もうしん)(むやみに信じること)こそが、その元凶だったと言える。


この日、朝廷では二人の若き指導者、三条実美さんじょうさねとみ姉小路公知あねこうじきんともが、長州や水戸といった抗戦(こうせん)派の雄藩(ゆうはん)に対して、実際的な戦術を諮問(しもん)している。

そして、都の外に目を向ければ、政治総裁(そうさい)職を()した松平春獄まつだいらしゅんがくも、独自に(きた)るべき攘夷に備えていた。

摂海(せっかい)(現在の大阪湾)に外国船が侵入(しんにゅう)した事態を想定して、加賀(ちなみに仏生寺弥助はこの藩の出身だった)、小浜に使者を送り、有事(ゆうじ)には(とも)に兵を挙げて京を(まも)るべしと協力を申し出たのだ。


「それでも私は攘夷派のすべてがそうだとは思わない。だが、だんだん見境みさかいがなくなって来ているのも確かです。このところの天誅てんちゅう騒ぎは、どこか狂気をはらんでいる」

琴は静かな、しかし確信に満ちた声で山南の希望的観測(きぼうてきかんそく)に反証を挙げた。

「ある雑掌(ざっしょう)(貴族に仕える雑役)は、幼いわが子の目の前で斬り殺されたと聞きました。そんなことをする人間が振りかざす大義(たいぎ)なんて、わたしは信じない」

その瞳に宿やどる強い意思に、山南はたじろいだ。

「もの言えばくちびる寒しという。例えそうであっても、それを人前で口にすることは賢明(けんめい)とはいえない」

琴は苦笑した。

「山南さんの言ってること、わたしには半分以上ちんぷんかんぷんです」

「そんなはずないでしょう。じゃあ清河さんとはどんな話をしていたのです」

「あの人は、ただ、一方的に自分のしゃべりたいことを押し付けるだけで」

「でもあなたは彼の語る理想に共鳴(きょうめい)した」

「そんなのじゃありません。あれは…私たちの間にあったのは、ただの契約(けいやく)です」

琴は針の先に視線を落としたまま、どこか寂しげに応えた。


「失礼します」

そのとき、障子しょうじの向こうから女の声がした。

女中のゆうである。

山南は慌てて浴衣(ゆかた)の帯を締めて、

「どうぞ」

と、返事をした。


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