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幕末カタナ・ガール  作者: 子父澤 緊
約束之章
169/404

約束 其之弐

一方、朝の巡察の出鼻をくじかれた沖田は、押し付けられた荷物(ネコ)のやり場に困って八木家の台所に顔を出した。

「うわあ、なにそれ?可愛い」

八木家の女中、ゆうが駆け寄って沖田の腕のなかをのぞきこんだ。


浪士組入京以来、殺風景この上ない屋敷で、若い女性であるゆうが子猫に引きつけられるのは無理もなかった。

「触ってもええ?」

「ご自由に」

沖田は仏頂面で”それ”を差し出した。

が、

「痛!」

ゆうはサッと手を引っ込めた。

「…ひっ()かれてもた」

「こいつ、人を見る目があるんだな」

「なんやて…!」

例によってゆうがまくし立てようとしたとき、

「おゆうちゃん!」

それを遮ったのは、先ほど琴と別れた二人連れ、杉山腰司と山田春隆だった。



「なあ知ってた?サンナンさんてホントの名前じゃないんだってよ」

二人に限らず、若い隊士たちは、競うようにゆうと話すきっかけをうかがっていたから、彼らがこのちょっとしたトピックを見逃すはずはなかった。

しかし当のゆうには、マドンナとしての自覚はまるでなく、彼らを後輩と見なしている。

「あんたら、ウチにタメ口は百年早いんとちゃうか」


そこへ、勝手口から顔を出した藤堂平助が、親指で外を指してどなった。

「よう、新入りども!寺で夕方の調練(ちょうれん)が始まる時間だぜ!」

藤堂は言うが早いか、すでに歩き始めている。

二人の新米は大股で歩く藤堂の後ろに張り付くようにして注進(ちゅうしん)した。

「藤堂さん、藤堂さん、さっきね、サンナンさんにね、綺麗な女の人が訪ねて来てましたよ」


「マジで?!…つーか、ダレ?サンナンサンって」

藤堂は振り向きもせず歩きながらこたえた。

なぜか女中であるはずのゆうが、さらにその後ろへ早足で続く。

「あ、それな、うちがな、付けた渾名(あだな)。ほら、山南はん、い〜っつもニコニコしとるし、真面目すぎて面白みのないとこがあるやろ?」

ゆうがそこまで言い終えたとき、彼らはすでに調練が行われる壬生寺に足を踏み入れていた。

そこにはすでに局長新見錦以下、小隊に別れた隊士たちが整列している。

もっとも軍事調練(ちょうれん)には相変わらず消極的な副長助勤、原田左之助だけは拝殿(はいでん)の軒下に頬杖(ほおづえ)をついて横になっていたが。


「おも…」

隊列に向き合い腕を組んでいた山南敬介は絶句した。

しかしゆうは、それに気づいているのかいないのか、構わず先を続けた。

「そやからな、なんか愛称みたいなんがあったら(した)しみを持ちやすいんちゃうかなおもて、いろいろ考えたんや」

同じく山南の隣に立つもうひとりの副長、土方歳三があきれ顔で天を仰いだ。

「また、余計なことを」


原田もそれを聞いて片目を開けた。

「…色々考えた割には、パッとしねえな」

ゆうはキッと原田をにらみ、

「言われんでも分かってるわ!…ぶっちゃけな、途中で面倒くさなってきてん」

とサラリと言ってのけた。

「あはははは!」

腹を抱えて笑う原田に、隊士のひとりが恐る恐る近づく。

「原田さん、サンナンさんが並べって言ってます」


原田は隊士に食ってかかった。

「俺ぁ兵隊ゴッコにゃ興味ねえんだよ!んなもな、やりたい奴らだけでやっとけ!」

「けど、サンナンさんが」

「サンナンナ…サンナンさんがどう言おうが関係ねえ!しょせん戦場(いくさば)じゃ男は独りだ!たとえサンナンな…言いにくいわ!!」


綽名あだななのに、言いにくいってどうゆうことさ」

それを聞いた藤堂がゆうをジロリとにらんで肩を小突くと、ゆうは小さく諸手(もろて)を挙げた。

「分かった!認めるわ。失敗作やった。けど、もう定着しつつあるし、ええやんかサンナンさんで」

「おまえが決めることじゃねえだろ」



さて、当然原田のわがままが通るわけもなく、巨漢きょかんの島田魁が嫌がる彼を隊列に引きずって行ったところで調練はつつがなく開始された。

江戸にいたころ私塾で兵法をかじった藤堂が号令をかけるや、隊士たちはぎこちない動きで指示に従う。


小一時間も経ったころ、辺りには夕闇ゆうやみがせまってきた。

「よし!今日はここまで!解散!!…あ…」

藤堂が不意に何かに気を取られた様子に気づいて、調練を見守っていた幹部たちとゆうはその視線の先を追った。


パラパラと散って行く隊士たちのなか、クヌギのたもとに神妙な顔をした中沢琴が立っている。

彼女も調練の様子を見学していたらしい。

山南敬介は目を見開いて、その姿を眺めた。

「お琴さん…」


「こんばんは」


もうひとりの副長、土方歳三が舌打ちする。

「ち…こんばんはだと?どのツラ下げて来やがった」

進み出た沖田総司が、

「よしなよ」

と、間髪かんぱつ入れずなだめるも、土方の毒舌は止まらない。

「うるせえ。この女はなあ…」


「あんたや永倉のいさみ足を止めてくれた恩人、だろ?」

(ふところ)で腕を組んだ原田が、さらに割って入った。

「ぬかせ。そんな簡単に足が付くようなヘマをするかよ。この女が邪魔しなきゃな、今ごろ俺は清河の墓石に腰掛けて酒でも飲んでるころだ」

土方は、それが既成きせいの事実であるかのように言い放った。


前にも述べたとおり、このとき清河はすでにこの世を去っていたが、遠く江戸の出来事が彼らの耳に入るのはもう少し先のことだった。


「だれ?だれ?」

ゆうが琴の方を見ながら、精一杯(せいいっぱい)背伸びして藤堂の肩に自分の肩をぶつけた。

藤堂は訳知り顔でゆうを見て、親指を立てた。

「ん?ああ、山南さんのコレ」

「…あんなあ、言いたいことは解るけど、指が(ちゃ)う」

「おっと!」

藤堂は口を曲げて親指を引っ込めた。

「めっちゃ綺麗なひとやな」

「まあな、けど、おゆうちゃんだって、なかなかいい線いってるぜ?」

「ああ、そ。おおきに」

藤堂の調子の良さにゲンナリして、ゆうは顔をそむけた。



土方が、藤堂とゆうの肩に両手を置いて、グイと引き寄せた。

「ほら!そろそろ飯の時間だろ。いつまで隊士を待たせとく気だ。行くぞ!」

「え?」

二人が振り向くと、

土方は、例の気難(きむずか)しい顔で琴を(にら)んでいる。

「…今日のとこは二人にさせてやる。ただし、頼むから俺の部屋の隣で妙な声を出すようなマネはつつしんでくれよ」

いつものように憎まれ口をたたくと、土方は(きびす)を返した。



坊城通りを八木家の方に折れながら、土方がボソリとつぶやいた。

「あの女、清河と一緒に帰ったはずじゃねえのか?」

まっすぐな気性の藤堂は、うそが苦手だ。

「ほんと、意外…」

目を泳がせながら、そっぽを向いた。


山南、井上、沖田、永倉、藤堂と、ほとんどの人間は中沢琴がまだ都に残っていることを知っていたので、気まずい沈黙が流れた。


ゆうだけは、場違(ばちが)いな陽気さで(あご)に手をやって小首を(かし)げた。

「サンナンさんも(すみ)に置けんな。これも渾名(あだな)のご利益やろか。土方はんにも、なんかええ名前考えたるわ。そやな、ええっと…」

パチン!

間髪入れず、土方がゆう(ひたい)を平手で叩いた。

「な、な、何すんねん!」

土方はニヤリと笑って、手のひらを広げてみせた。

「ほら。な?」

よく見ると、そこには小さながペシャンコになって死んでいる。

「なにが、ほらなや!」

「やれやれ、江戸じゃ蚊の出る季節にはちと早いがなあ」

「江戸の蚊は、そない思いっきり叩かな死なんのか!」

土方は、ゆうの皮肉を無視して赤くなった(ひたい)に人差し指を突きつけた。

「いいか?余計なことはするな。ぜっ・たい・にだ」

「え〜?なんでえ?」

土方にもう一度ギロリと睨みつけられたゆうは、藤堂に肩を寄せ耳打ちした。

「…つまらん人やなあ?」


藤堂は、ただ苦笑いを返すのが精一杯だった。


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