Tumbling Dice Pt.3
当の仙吉は、涼しい顔で混み合う鉄火場に上がり込んできた。
「どうもどうも、狭いとこすんませんな。ちょっと、通してもらえまっか。後ろ、失礼しまっせ」
阿部は背後をすり抜ける仙吉の後ろ襟をつかんで耳打ちした。
「おまえ、どういうつもりだ。面が割れてたらどうする気だ」
仙吉は、目立たないように、しかし明らかに煩わしげに小さく手を払った。
「おや、旦那。また妙なところで…ちゅーか、あんたこそ懲りへんなあ」
「てめえに言われたかねえんだよ!」
「そりゃそうと、おとなり、よろしいか?先生!芹沢先生!ここ!ここ!空いてまっせ!どうぞ!」
仙吉は、阿部の質問を無視すると、座布団をバンバン叩いて、仏生寺と阿部の間の席を促した。
こうして、偶然と必然が絡み合った末に、都の北、岩倉村にある小さな屋根の下に役者が揃った。
盆ゴザの前には、中沢琴、阿部慎蔵、芹沢鴨、そして仏生寺弥助が横並びに座っている。
「よっこらせっと」
子分として潜り込んでいる仙吉は、阿部の後ろに胡座をかいて陣取った。
「あ〜あ、後ろから見られてると、どうにも気が散っていけねえ」
阿部は聞こえよがしに嫌味を言った。
「旦那、全部聴こえとるんやけど?」
「聞こえるように言ってんだよ!」
中沢琴は覚めた目で二人を一瞥したあと、あらためて賭場の情景を見渡した。
どうした天の配剤か、勝負の流れは完全に仏生寺に来ているように見える。
客たちはみな、血走った眼をして壺振りの手元を凝視していた。
その空気にアテられた阿部も、いつしか目的を忘れて勝負にのめり込んでいる。
そして。
仏生寺とは対照的に大負けをしている中年男がひとり。
ゴツゴツとした顔にギョロリとした目が妙に目立つ。
その異相は、こんな場所でなくとも人目を引かずにおかなかった。
「岩吉さん、寺銭が切れたんやったら、こんなとこでクダ巻いてんと、帰ったらどないや」
ヤクザ者が飽きれた様子でギョロ眼の男に忠告した。
「アホ抜かすな。勝負はこれからや」
どうやら常連らしく、ヤクザ連中とも気心が知れた様子だ。
一瞬、木札を弄んでいた琴の指が止まった。
”岩吉”。
それは、桂の愛人幾松が口にした名だったからだ。
「ここまでつぎ込んだ投資を無駄にせえちゅうんかい」
岩吉と呼ばれた男は、根を張ったようにその場を動かない。
「せやけど、もう手持ちあらへんのやろ?」
「おまえなあ、今までわしがいくらカネ落としたった思とるんや?ツケとかんかい!」
「しゃあないなあ。これが最後やで」
中盆が諦めて賭けを再開した。
「ちっ、タヌキめ」
仙吉が聞き取れないほどの声で毒づいた。
「なに?」
阿部が訝しげに振り返る。
「アホらしい茶番や。まあ、見といてみ。隣の二人、じきにハメられるで」
「二人」とは、無論、仏生寺と芹沢のことである。
その仏生寺はといえば、
「つぎは、そうだな、半」
すっかり勢いに乗って、手持ちの木札のじつに半分を無造作に突き出した。
「…おいおい旦那」
その思い切りの良さには、さすがの芹沢でさえ気後れしている。
そしてー
その場にいた皆が固唾を飲む中、壺振りが披露したサイコロには1の目が二つ並んでいた。
「ピンゾロの丁!」
芹沢の青白い顔にうっすらと血の気がさす。
「今の中断で流れが変わったんじゃねえのか?つーか、まてよ…今のでいくら敗けたんだ?」
が、仏生寺は気にも留めない。
無精髭の生えたアゴをさすりながら芹沢に肩を寄せ、岩吉のどんよりと沈んだ顔へ目配せした。
「こんなこともあるさ。それより、見なよ、あの男、よほどツキに見離されてるらしい」
岩吉もまた、同じ目に賭けていたようだ。
「ちぇ、他人のことを笑ってる余裕なんざねえだろ」
「だが、あいつの逆をいくってのはどうだい。悪くない手だろ?」
「なあるほど」
逆転を狙う仏生寺は、ツキのない岩吉という男の反目に賭けることで運を呼び込もうという魂胆らしい。
そのとき、仙吉がこっそり阿部の背中をつついた。
「恩返しにええこと教えたる。次はあの岩吉とかいう男とおんなじ目に賭けてみ」
「けどあいつ、どう見ても博打狂いの負け犬だぜ?」
「ふん、あのおっさん、客のふりをしとるが、実んとこ、ここの元締めなんや」
阿部はしばし絶句したのち、怒りをあらわにした。
「…道理でイケ好かねえ野郎だ。俺の身ぐるみを剥ぎやがった張本人てわけか」
また大負けした夜のことが脳裏をよぎったらしい。
「まあな。ありゃ、食わせもんや。ただし、あんたの場合は八百長のせいとちゃうで。博才がないだけや」
「な、な、なんだとぉ!」
「ほらほら、始まるがな」
仙吉は、 つっかかる阿部の顔を前に向けさせた。
「半か丁か、半か丁か⁈」
中盆が威勢のいい声で問いかける。
「半だ、半!」
岩吉は、またしてもありったけの木札を賭けた。
「お、俺とこいつも半に賭けるぞ!」
負けの混んできた阿部は、慌てて自分と琴の木札を引っつかんで叫ぶ。
中盆は部屋を見渡して、再びダミ声をはりあげた。
「丁ないか、丁方、ないか」
芹沢は仏生寺と目配せを交わしてニヤリと笑うと、残りの木札を鷲づかみにしてヌッと差し出した。
「…俺たちゃ丁に全部だ」
小さなどよめきが起きた。
「勝負」
壺振りがツボを持ち上げる。
「四三の半」
「あ痛〜ぁ!カモにされるとは、このこったな」
芹沢が、額に手をやっておどけてみせた。
この男には、こうした退廃的な雰囲気自体が、楽しくてしょうがないらしい。
だが、仏生寺の様子は違っていた。
「ダメダメ、払えないよ」
と、さも困惑した風に、小さく首を横に振っている。
「いや、みなさん、気を悪くしたならごめんなさいよ。でも、だって、なあ?今の、イカサマじゃないか」
いきなり話を振られた芹沢は、戸惑って肩をすくめるしかなかった。




