筆頭局長 vs. 虎
さて、そんなわけで禁裏の南、烏丸通り松原。
俗に因幡薬師として知られる平等寺は、本来、千年の歳月を経て伝わる薬師如来像を本尊とする由緒ある寺院だが、この日は何やら妙な活気に満ちていた。
境内のあちこちに立てられた赤や黄色のノボリには、いかがわしい煽り文句が踊っている。
もちろん、あぐりの叔父プロデュースによる珍獣の見世物だ。
威勢のいい呼子が、声を張り上げて口上を述べている。
「寄ってらっしゃい!お代は見てのお帰り!緞帳の向こうにいるのは、なんと!あの加藤清正や、水滸伝の武松をも戦慄させた支那の猛獣、トラだよ!本邦初のお目見え!」
当時の人々は虎など屏風絵でしか見たことがない。
美の巨匠、円山応挙の描いた虎ですら、今見れば猫にしか見えないのは、彼もまた実物を知らずに描いたからである。
「“たったの”64文だって!」
入口に立てかけられた看板を見た沖田は、本物かどうかも怪しい虎には高すぎる木戸銭だと眉を潜めた。
「ハ!ボリやがって。ま、いいや。拝見するとしようぜ」
芹沢筆頭局長は、引き連れた子分どもの見物料を気前よく前払いすると、なにやら悪巧みを胸に秘めた様子で、大股に戸口をくぐった。
ツアーの一行がぞろぞろと小屋に入って行くと、狭くて薄暗い小屋の中は、物見高い京スズメたちがひしめいていた。
ちょうどその時、緞帳が上がって物々しい鉄格子の檻が姿を現した。
薄暗い闇にまだ目の慣れない芹沢たちが目を凝らすと、その中央には、彼らにとってほとんど空想上の獣"トラ"が寝そべっている。
「すごい!本物の虎や!局長!虎や虎や!」
子供たちは大はしゃぎだ。
「あ〜あ、これだからガキは単純なんだよ。忘れたのか?俺たちは確かめに来たんだぜ?いいか、てめえら、こんなもん中に人が入ってるに決まってんだよ。見とけ!」
芹沢は、懐からお気に入りの大鉄扇を取り出すと、頑丈そうな檻にはめられた鉄格子をカンカンと叩いた。
「おい!てめえ、俺は騙されねえぞ!そん中は、さぞ蒸し暑かろーな。え?おい!ご苦労なこった。口を開けてみろよ!ツラを見せやがれ!インチキ野郎!」
「お、お、お客さん!危ないですよ!」
香具師らしき男が泡を食った様子で現れて、芹沢を押しとどめた。
「うーるせんだよ!もったいぶんな!」
芹沢はその男を突き飛ばして、なおも甲高い金属音を響かせた。
「もしもーし‼︎聴こえてんだろ!おい!中のひと‼︎おーい!」
芹沢がとうとう足の裏で格子をガンガン蹴り始めると、虎はムクリと立ち上がった。
そして、芹沢の前に鼻先を突き出すと、生臭い息を吐いて大音声で吠えた。
子供たちは、思わず悲鳴をあげて飛び退く。
いや、周囲の大人たちのほとんども、同じ反応を示した。
芹沢は目を丸くして身を引くと、ゆっくり振り返り、決まり悪そうに頭を掻いた。
「間違いねえや…ハハ…こりゃ本物だな…」
「…バカだなあ」
沖田が思わずつぶやくと、梅がクスリと笑った。
「ふん、まるで子供やな」
祐が、ふんと鼻を鳴らす。
「よおし、次だ。つぎ、つぎ」
芹沢はいっこうに懲りた様子もなく、小さな子分たちを煽ると、さっさと踵を返して小屋を出ていく。
子供達は、後ろ髪を惹かれる様子で檻を振り返りながらも、その後に続いた。
それを見た香具師、つまりあぐりの叔父は、心配になったのだろう。
後を追うように、小屋を出て跡をつけていった。
「これなるは南海より来たる色鮮やかな珍鳥にござい」
隣の小さなテント小屋から、また別の呼子の口上が聴こえると、現金な子供たちは我さきに駆けていく。
芹沢や沖田たちが子供達に続いて入ってみると、薄暗い小屋の中には、また人だかりができていて、その中央に大きめの鳥かごが置かれていた。
「極楽鳥や!」
「ちがう、アレがオウムや」
「ちっ!くっだらねえ」
芹沢はついて来た香具師の肩を捕まえてグイと引き寄せ、すごんだ。
「色を塗ってるんだよ、でっかい板に血を塗ってさ、『大イタチでござい』の類だ、なあ?そうだろ?」
興行師は、またかと嫌な顔をして否定した。
「イヤイヤ!これは、長崎に着いたオランダの船から仕入れた南蛮の鳥で、正真正銘、ホンマもんです」
「はあん…」
芹沢はしばらくの間、鉄扇で自分の肩をコツコツ叩きながら考える風を見せていたが、やがて鉄扇の先を佐々木に突きつけた。
「おい、愛次郎。おまえ、桶に水入れて持ってこい、水!」
佐々木は端正な顔を曇らせた。
「水、ですか?そんなもの、どうするんです?」
「決まってんだろ、このケバケバしいトリにぶっ掛けんだよ。どうせ、ニワトリかなんかの親戚にちがいねえ」
それを聞いた香具師はまた蒼い顔をした。
「ちょ、ちょっと、ちょっと!お侍はん!」
「ああ?さっきから、なんだてめえは!ウザってえな!」
鳥かごの前で芹沢が香具師と揉みあうのを見て、 騒いでいた子供たちも静まり返った。
沖田は、手をつないでいた雪の小さな指に、ぎゅっと力が入るのを感じた。
やれやれとため息をつき、沖田が止めに入ろうと足を踏み出した、そのとき。
「失礼ですが、局長、少々酔っておられるのではありませんか」
先に制止したのは、新入りの佐々木愛次郎だった。
「…なんだと?」
思いも掛けない相手からたしなめられて、芹沢は急に不機嫌になった。
梅が、沖田の肩にそっと手をおいて、耳元に囁いた。
「…あれ、不味いわ」
沖田は、梅が佐々木の身を案じているのを意外な面持ちで見つめた。
「なにぼーっとしとるん?沖田せんせ!」
背中を押された沖田は、我に返って二人のあいだに割って入ろうとしたが、佐々木は落ち着いた様子で手のひらを突き出した。
「やめましょう。子供達も怖がってる」
芹沢は、佐々木の顎をくいと持ち上げ、鼻先を突きつけた。
「ほう、俺に意見か」
「意見ではなく、お願いです」
佐々木は、あくまで芹沢の眼をまっすぐ見返す。
下手に出るも、引く気配はみせなかった。
「おいおい、怖くないのか、俺が」
「まさか。足が震えてますよ」
佐々木はそう言って笑った。
芹沢にしてみれば、いつもの他愛ない悪ふざけのつもりだったかも知れないが、佐々木に諭されて、これ以上、子供達の前でことを荒立てるのは大人気ないと悟ったらしい。
「ケッ!」
彼は手を離すと、面白くなさそうに顔を背け、ぷいと小屋を出ていった。
「あ、ありがとうございます。助かりました」
香具師は、何度も何度も佐々木に頭をさげた。
梅と沖田は、意外な結末に顔を見合わせた。
「ハラハラさせるわ」
「だね」
が、なぜか祐だけは険しい形相で、芹沢の出ていった戸口を睨んでいる。
雪は大人たちの様子を見て、また沖田の後ろに隠れてしまった。
こうして、浪士組の見世物見物は終わった。
その、同じ日。
すでに蒸し暑さを感じる都の夜。
壬生、前川邸。
「フフ、あの優男、なかなか腹がすわってますよ」
副長土方歳三の個室を訪れた沖田は、障子を開け放ち、縁側のへりに腰掛けて脚をブラブラさせながら昼間の出来事を語った。
「そんなこと、いちいち報告に来んなよ。そこ、閉めていけ」
書き物をしていた土方は、迷惑そうに沖田の背中をチラリと見て、無愛想に答えた。
「はいはい。せっかく、面白い話をもってきてやったのにさ」
沖田は拗ねたように口を尖らせると、そう言い捨て、来た時と同じようにブラブラと八木邸に戻って行った。
「まったく、閉めろと言ったろ…」
土方は面倒くさそうにボヤいて、立ち上がった。
もっとも、沖田の話にまったく興味を示さなかったかというと、そうでもないらしい。
今は手入れをする者もいなくなって、雑草の伸びた前川邸の庭を見ながら、土方はニヤリと笑った。
「取り澄ました都の庭も、しばらく放っときゃあ、こうして本来の姿を見せはじめる。芹沢にしても、とうとう本性を現しはじめやがったんだ。ただ、それだけのことさ」
彼は、静かに障子を閉めた。




