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幕末カタナ・ガール  作者: 子父澤 緊
約束之章
160/404

筆頭局長 vs. 虎

さて、そんなわけで禁裏きんりの南、烏丸からすま通り松原。


俗に因幡薬師いなばやくしとして知られる平等寺びょうどうじは、本来、千年の歳月を経て伝わる薬師如来(やくしにょらい)像を本尊(ほんぞん)とする由緒ゆいしょある寺院だが、この日は何やら妙な活気に満ちていた。

境内けいだいのあちこちに立てられた赤や黄色のノボリには、いかがわしい(あお)り文句が踊っている。

もちろん、あぐりの叔父プロデュースによる珍獣の見世物(ショー)だ。


威勢いせいのいい呼子よびこが、声を張り上げて口上こうじょうを述べている。

「寄ってらっしゃい!お代は見てのお帰り!緞帳(どんちょう)の向こうにいるのは、なんと!あの加藤清正かとうきよまさや、水滸伝すいこでん武松ぶしょうをも戦慄(せんりつ)させた支那(しな)の猛獣、トラだよ!本邦初ほんぽうはつのお目見え!」


当時の人々は虎など屏風絵(びょうぶえ)でしか見たことがない。

美の巨匠、円山応挙(まるやまおうきょ)の描いた虎ですら、今見れば猫にしか見えないのは、彼もまた実物を知らずに描いたからである。


「“たったの”64文だって!」

入口に立てかけられた看板を見た沖田は、本物かどうかも怪しい虎には高すぎる木戸銭(きどせん)だとまゆひそめた。


「ハ!ボリやがって。ま、いいや。拝見はいけんするとしようぜ」

芹沢筆頭局長(ひっとうきょくちょう)は、引き連れた子分どもの見物料を気前よく前払いすると、なにやら悪巧わるだくみを胸に秘めた様子で、大股おおまたに戸口をくぐった。


ツアーの一行がぞろぞろと小屋に入って行くと、狭くて薄暗い小屋の中は、物見高ものみだかい京スズメたちがひしめいていた。

ちょうどその時、緞帳どんちょうが上がって物々しい鉄格子てつごうし(おり)が姿を現した。

薄暗いやみにまだ目の慣れない芹沢たちが目をらすと、その中央には、彼らにとってほとんど空想上の獣"トラ"が寝そべっている。


「すごい!本物の虎や!局長!虎や虎や!」

子供たちは大はしゃぎだ。

「あ〜あ、これだからガキは単純なんだよ。忘れたのか?俺たちは確かめに来たんだぜ?いいか、てめえら、こんなもん中に人が入ってるに決まってんだよ。見とけ!」

芹沢は、(ふところ)からお気に入りの大鉄扇だいてっせんを取り出すと、頑丈がんじょうそうなおりにはめられた鉄格子てつごうしをカンカンと叩いた。

「おい!てめえ、俺はだまされねえぞ!そん中は、さぞ蒸し暑かろーな。え?おい!ご苦労なこった。口を開けてみろよ!ツラを見せやがれ!インチキ野郎!」


「お、お、お客さん!危ないですよ!」

香具師やしらしき男が泡を食った様子で現れて、芹沢を押しとどめた。


「うーるせんだよ!もったいぶんな!」

芹沢はその男を突き飛ばして、なおも甲高かんだかい金属音を響かせた。

「もしもーし‼︎聴こえてんだろ!おい!中のひと‼︎おーい!」


芹沢がとうとう足の裏で格子こうしをガンガンり始めると、虎はムクリと立ち上がった。

そして、芹沢の前に鼻先を突き出すと、生臭なまぐさい息を吐いて大音声だいおんじょうえた。


子供たちは、思わず悲鳴をあげて飛び退く。

いや、周囲の大人たちのほとんども、同じ反応を示した。


芹沢は目を丸くして身を引くと、ゆっくり振り返り、決まり悪そうに頭をいた。

「間違いねえや…ハハ…こりゃ本物だな…」


「…バカだなあ」

沖田が思わずつぶやくと、梅がクスリと笑った。

「ふん、まるで子供やな」

ゆうが、ふんと鼻を鳴らす。


「よおし、次だ。つぎ、つぎ」

芹沢はいっこうにりた様子もなく、小さな子分たちを(あお)ると、さっさときびすを返して小屋を出ていく。

子供達は、後ろ髪をかれる様子でおりを振り返りながらも、その後に続いた。


それを見た香具師やし、つまりあぐりの叔父は、心配になったのだろう。

後を追うように、小屋を出て跡をつけていった。


「これなるは南海なんかいよりたる色鮮やかな珍鳥ちんちょうにござい」

隣の小さなテント小屋から、また別の呼子の口上こうじょうが聴こえると、現金な子供たちは我さきに駆けていく。


芹沢や沖田たちが子供達に続いて入ってみると、薄暗い小屋の中には、また人だかりができていて、その中央に大きめの鳥かごが置かれていた。

極楽鳥ごくらくちょうや!」

「ちがう、アレがオウムや」


「ちっ!くっだらねえ」

芹沢はついて来た香具師やしの肩を捕まえてグイと引き寄せ、すごんだ。

「色を塗ってるんだよ、でっかい板に血を塗ってさ、『大イタチでござい』のたぐいだ、なあ?そうだろ?」

興行師は、またかといやな顔をして否定した。

「イヤイヤ!これは、長崎に着いたオランダの船から仕入れた南蛮なんばんの鳥で、正真正銘しょうしんしょうめい、ホンマもんです」

「はあん…」

芹沢はしばらくの間、鉄扇てっせんで自分の肩をコツコツ叩きながら考える風を見せていたが、やがて鉄扇てっせんの先を佐々木に突きつけた。

「おい、愛次郎。おまえ、おけに水入れて持ってこい、水!」


佐々木は端正たんせいな顔を曇らせた。

「水、ですか?そんなもの、どうするんです?」

「決まってんだろ、このケバケバしいトリにぶっ掛けんだよ。どうせ、ニワトリかなんかの親戚にちがいねえ」

それを聞いた香具師やしはまた蒼い顔をした。

「ちょ、ちょっと、ちょっと!おさむらいはん!」

「ああ?さっきから、なんだてめえは!ウザってえな!」


鳥かごの前で芹沢が香具師やしみあうのを見て、 騒いでいた子供たちも静まり返った。

沖田は、手をつないでいた雪の小さな指に、ぎゅっと力が入るのを感じた。

やれやれとため息をつき、沖田が止めに入ろうと足を踏み出した、そのとき。


「失礼ですが、局長、少々酔っておられるのではありませんか」

先に制止したのは、新入りの佐々木愛次郎だった。


「…なんだと?」

思いも掛けない相手からたしなめられて、芹沢は急に不機嫌ふきげんになった。


梅が、沖田の肩にそっと手をおいて、耳元にささやいた。

「…あれ、不味まずいわ」

沖田は、梅が佐々木の身を案じているのを意外な面持ちで見つめた。

「なにぼーっとしとるん?沖田せんせ!」

背中を押された沖田は、我に返って二人のあいだに割って入ろうとしたが、佐々木は落ち着いた様子で手のひらを突き出した。


「やめましょう。子供達も怖がってる」


芹沢は、佐々木のあごをくいと持ち上げ、鼻先を突きつけた。

「ほう、俺に意見か」

「意見ではなく、お願いです」

佐々木は、あくまで芹沢の眼をまっすぐ見返す。

下手(したて)に出るも、引く気配はみせなかった。


「おいおい、怖くないのか、俺が」

「まさか。足が震えてますよ」

佐々木はそう言って笑った。

芹沢にしてみれば、いつもの他愛たあいない悪ふざけのつもりだったかも知れないが、佐々木にさとされて、これ以上、子供達の前でことを荒立てるのは大人気(おとなげ)ないと悟ったらしい。

「ケッ!」

彼は手を離すと、面白くなさそうに顔をそむけ、ぷいと小屋を出ていった。


「あ、ありがとうございます。助かりました」

香具師やしは、何度も何度も佐々木に頭をさげた。


梅と沖田は、意外な結末に顔を見合わせた。

「ハラハラさせるわ」

「だね」

が、なぜかゆうだけは険しい形相ぎょうそうで、芹沢の出ていった戸口をにらんでいる。

雪は大人たちの様子を見て、また沖田の後ろに隠れてしまった。


こうして、浪士組の見世物見物は終わった。



その、同じ日。

すでに蒸し暑さを感じる都の夜。

壬生、前川邸。


「フフ、あの優男ヤサおとこ、なかなか腹がすわってますよ」

副長土方歳三の個室を訪れた沖田は、障子しょうじを開け放ち、縁側えんがわのへりに腰掛けて脚をブラブラさせながら昼間の出来事を語った。


「そんなこと、いちいち報告に来んなよ。そこ、閉めていけ」

書き物をしていた土方は、迷惑そうに沖田の背中をチラリと見て、無愛想ぶあいそうに答えた。


「はいはい。せっかく、面白い話をもってきてやったのにさ」

沖田はねたように口をとがらせると、そう言い捨て、来た時と同じようにブラブラと八木邸に戻って行った。


「まったく、閉めろと言ったろ…」

土方は面倒くさそうにボヤいて、立ち上がった。


もっとも、沖田の話にまったく興味を示さなかったかというと、そうでもないらしい。

今は手入れをする者もいなくなって、雑草の伸びた前川邸の庭を見ながら、土方はニヤリと笑った。


「取りました都の庭も、しばらく放っときゃあ、こうして本来の姿を見せはじめる。芹沢にしても、とうとう本性を現しはじめやがったんだ。ただ、それだけのことさ」

彼は、静かに障子しょうじを閉めた。


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