縁側の評定
さて、入れ違うように八木家へ帰ってきたのは、市中の巡察を終えた井上源三郎、沖田総司、佐々木愛次郎らである。
離れに戻る途中で庭を通りかかった三人は、縁側に胡坐をかく芹沢と、それを取り巻くようにたむろする子供たちに遭遇した。
芹沢は、例のごとく昼間から酒を飲んでご機嫌の様子で、その隣には、なぜか借金取りの梅が寄り添っている。
そして子供たちは、必死な様子で芹沢に何ごとか訴えていた。
「なんだか、賑やかじゃないか?」
井上がその様子を眺めて言った。
そのとき、
「あ、沖田はん!」
子供たちの輪の中にいた小さな少女が叫んで、沖田に駆け寄った。
祐から勝手場を追い出された、石井雪だった。
沖田は、飛びついてきた雪を空中でキャッチして抱え上げた。
異邦人の彼にとって、雪とその母石井秩は、この都で気を許せる数少ない相手になっていた。
最近、雪との小さな約束を破ってしまった沖田は、気まずい関係に陥った彼女の信頼を取り戻すべく、ここのところほとんどの余暇を一緒に過ごしている。
待ちくたびれた雪の様子を見るかぎり、涙ぐましい努力がようやく実を結ぼうとしていた。
「ただいま」
自分のことを信頼しきった目を見て、沖田はまた先日のほろ苦い失敗を思い出したのか、いきなり頬を寄せた。
「お雪ちゃんは、ほんとに沖田さんが好きだなあ」
微笑ましい光景に佐々木愛次郎は一瞬頬を緩めたが、また芹沢の方に視線をもどす。
他の子供達は、こちらには目もくれず芹沢に群がっている。
「まるでお白洲(奉行所の裁きの場、江戸時代の法廷)だな」
沖田は、その様子を指してクスクス笑った。
その例えがあまりにピッタリだったので、井上源三郎は吹き出してしまった。
沖田は雪の顔をのぞき込んでたずねた。
「なんなの?」
「しらん」
「ふうん…」
興味を抑えきれない沖田は、吸い寄せられるように子供たちへ近づいていく。
「あ、総司!こら!」
井上が声をかけたが、好奇心の強いこの若者の脚を止めることは出来なかった。
さて、頬を紅潮させて芹沢に力説しているのは、この家の次男、為三郎だった。
「ほんまや!赤とか緑とか黄色とかな!すごいいっぱい色がついてるねん!ほんでなあ、言葉しゃべるんやで?」
そこへ、いかにもガキ大将といった年長の少年が異を唱えた。
「アホやなあ。見世物小屋なんか、みんなインチキや。それ、ウチのお父はんが大坂で観た言うとった。あの鳥は絵の具で色塗ってるて噂や。虎かて中に人が入ってるに決まっとる」
どうやら、為三郎は見世物小屋を観た感想を述べているらしい。
皮肉なことに、叔父を見限ったあぐりが手伝いをすっぽかしたこの日、入れ違いに珍獣たちが到着して、興行はついに開幕したのだった。
そして、京における記念すべき初日の観衆に、この八木為三郎も含まれていた。
「そんなことあらへん!そんなん見たらわかるわ!アレは本物や!なあ、局長、そうやろ?なあ?」
興奮冷めやらぬ様子で、為三郎は主張した。
ガキ大将がコマしゃくれた口調で、また口を挟んだ。
「アホウ、大人はそんなんに騙されへん!局長かて、信じてへんわ!なあ局長?」
二人に熱い視線をそそがれた芹沢は、仰々しく腕組みをして唸った。
「う~む…。そりゃあ、難しい問題だな。沖田くん、きみはどう思う」
いきなり話を振られた沖田は、ゲンナリしてため息をついた。
「てか、子供にまで局長って呼ばせてるんですか」
為三郎は、心強い味方を得たと沖田の腰にすがった。
「なあなあ、沖田はんはどう思うん?」
「だから、なんの話だよ?」
沖田は雪を地面に下ろしながら、胡乱げに為三郎を見やった。
「因幡薬師の見世物小屋や。あっちにも見廻りに行ってるやろ?四条通をずーっと行って、烏丸通を下がったとこ!」
「じゃ、堀川のまだ向こうってことだろ?子供が遊びに行くには、ずいぶん遠くないか」
「父上と行って来たんや!」
「あ、そ。あいにく、わたしはそんなに暇じゃなくてね」
「ウソや、いっつもヒマそうにしとるやんか!」
ガキ大将が揚げ足をとった。
「う、うるさいぞ!」
沖田は生意気な子供のこめかみに、指の節をグリグリ押しつけた。
「まあまあ、沖田くん」
ムキになる沖田を芹沢がなだめると、ガキ大将は笠に着て突っかかった。
「局長がヤメろ言うとるやろ!放さんかい!下っぱ!」
「こん〜のガキ〜…どうしてくれようか」
沖田がガキ大将の首根っこを押さえつけたとき、
女中の祐が、二人の間に身体を割りこませてきて、
「はいどーぞ!お茶です!」
と、湯呑みが割れそうな勢いで縁側に置いた。
それまで、ずっと黙っていた菱屋の梅が、
「あれ、おおきに」
と、湯呑みに手を伸ばす。
梅はすました顔でそれを口元に運ぶと、嫌味たっぷりに感想を述べた。
「おお、苦…」
祐と沖田は、なぜか肩を並べて歯ぎしりする格好になった。
「なあ、沖田さんはホンマや思うやろう?」
為三郎は、大人げない二人を見て逆に覚めたのか、いくぶん落ち着きを取り戻して、また問い直した。
沖田は、拗ねたように、ソッポを向いた。
「さあね。局長に聞けば?下っぱのわたしじゃ、局長の意見には逆らえないからね」
芹沢は、二人のやりとりを愉快そうに聴いていたが、少し身を乗り出すと、
「しかし沖田くん。これは捨て置けんな。今から確かめに行くか」
と、おもむろに裁定を下した。
子供たちはそれを聴いて、一斉に騒ぎ出した。
「ほんま?ほんまに連れてってくれるん?」
芹沢はすっかり調子にのって、片手を突き上げた。
「よっしゃ、野郎ども!ついて来やがれ!」
子供たちからワッと歓声があがった。
「ちょっと、先生!そんなお金があるんやったら、サッサとウチに払とくれやす!」
菱屋の梅は一瞬声を荒げたが、子供たちの喜びようを見るうち、諦めたように肩を落として、
「…ほな、うちも行こかしらん」
と、悪戯っぽい眼で笑った。
話がまとまると、この珍妙な一団は、時をおかず行動に移った。
こぞって芹沢に付き従う子供たちは、さながら小さな隊士のようだ。
そしてただ一人、石井雪だけがポツンと縁側に取り残された。
「お雪ちゃんは行かないの?」
見かねた沖田がたずねると、雪は口を真一文字に引き結んでかぶりを振った。
「虎、怖いもん」
「ただのでっかい猫さ」
「そうなん?」
「いや、わたしも見たことないけど、きっとそうだろ」
沖田が片目をつぶってニッコリ微笑むと、雪はその手を握った。
「沖田はんが行くんやったら行く」
「よし、じゃ、追っかけよう」
沖田は、また雪をヒョイと担ぎ上げて肩車をした。
「きゃあ!」
雪は鈴の鳴るような嬌声をあげて、沖田の頭にしがみついた。
呆気に取られていた祐も、沖田までが釣られてついて行くのを見ると、慌てて前掛けを外して駆け出した。
「それやったら、うちも行く!」
飽きれた顔でことの成り行きを見守っていた井上源三郎が、佐々木に声をかけた。
「愛次郎」
「はい」
「お前もついて行ってやれ」
「は…は?」
「あいつらが何か騒ぎを起こしそうになったら、お前が止めるんだ。いいから行け!」
「は、はい」
井上にドンと背中を押された佐々木は、戸惑いながらも後を追った。




