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幕末カタナ・ガール  作者: 子父澤 緊
約束之章
158/404

ショータイム

四月(なか)ば、

とある朝の壬生村。


「あれ、あぐりちゃん。久しぶりやし」

壬生郷士みぶごうし八木源之丞(げんのじょう)宅の厨房(ちゅうぼう)で、この屋敷の主婦(マサ)は、振り返りざま声をはずませた。


「すみません、奥さん。ご不幸があったのも存じ上げてたんですけど、お悔やみも言えんまんま御無沙汰ごぶさたしてしもて。ほんまに、ご愁傷(しゅうしょう)様でした」

あぐりと呼ばれた物売りの娘は、神妙しみょうに頭を下げた。

マサは軽く手を振った。

「ええんや。見ての通りうちは大所帯おおじょたいやさかい、いつまでもメソメソしてるヒマなんかあれへん」

「…こんな時に大変でしたね」

あぐりは棚屋町にある「八百藤やおふじ」という八百屋の娘で、少し前まで足繁あししげく壬生へ行商に訪れていたから、八木家の置かれた状況にもある程度通じている。

「気がまぎれて、いっそ救われるわ」

マサは、どこか達観たっかんしたように笑い飛ばした。

あぐりはどういう顔をしていいものか分からず、曖昧(あいまい)に微笑み返すしかない。


彼女の足が壬生村から遠のいていた間、この家に根を下ろした浪士組の規模はますます(ふく)れあがり、彼らの胃袋を満たす八木家の厨房は戦争のような騒ぎだ。

あぐりは忙しく行き来する使用人に混じって、ちょこまか走り回る少女を見て小首をかしげた。

年の頃は、ちょうど亡くなったこの家の末娘と同じくらいだろうか。


「あの子は?」

「浜崎先生(せんせ)とこの子や」

浜崎とは、壬生界隈みぶかいわいの住人が掛かりつけの医家(いか)である。

浜崎の診療所にも商いに行ったことのあるあぐりは、主人の新三郎とも面識(めんしき)があったから、目を丸くして雪をながめた。

「せんせには、こない小さな娘さんがいやはったんですか」

「ちがうちがう。せんせの養女(むすめ)さんの子や」


少女は手伝いをしているつもりなのか、急須(きゅうす)に湯をそそぐ女中に湯呑茶碗(ゆのみぢゃわん)を捧げて差し出していた。

「こっちは火も使つこてるし、刃物もあるさかい、来たらあかんゆうたやろ!」

気の強そうな女中が、すこしきつい口調でしかりつけると、少女はマサに駆け寄ってきて脚にしがみついた。

「お姉ちゃんに怒られたんか?」

マサは笑って、少女の頭に手を置くと、その女中に向き直り、

「おゆうちゃん、えらいご機嫌ナナメやなあ。こないちっちゃな子に当たったらあかんえ」

と軽くたしなめた。

「危ないから、危ないうただけです!」

マサは、ゆうの強情さに呆れてため息をつくと、少女の前にひざを折った。

「お雪ちゃんは、おばちゃんが寂しそうにしとるさかい、心配して顔出してくれたんやなあ?」

雪はマサの肩にすがり、着物に顔をうずめたままうなずいた。


女中のゆうは、観念したように雪の小さな肩に手をおいて謝った。

「…悪かった。ごめん。お姉ちゃん、ちょっとイライラしてたんや」

マサも雪の顔をのぞきこむようにして、

「ほらな?お姉ちゃんも謝ってはるわ。そやけど、ほんまに此処ここは危のおす。うちの子らがお庭におるさかい、そと行って一緒に遊んでき」

と言って聞かせると、少女の背中を軽く押した。

雪は小さくうなずくと、ゆうをにらんでから駆けていった。


「嫌われてしもたわ」

ゆうが気の抜けたように肩を落とした。

「なんぞあったんかいな?」

マサたずねると、ゆうは庭の方をにらんで声を荒げた。

「あのアバズレの借金取りが、また来とるんです。芹沢が、あの女にお茶もって来たれとかうさかい、うちもう頭に来て…だいたい、なんでうちが!」

「これ!お侍さまを呼び捨てて、あんた…」

「そやかて…!」

ゆうは、なおも抗弁こうべんしようとしたが、途中で思いとどまると、荒々しく湯呑ゆのみを盆にせて台所を出ていった。

マサとあぐりは、顔を見合わせた。

「しばらく来んうちに、色々あったみたいですね」

「ほんまに、あの人らが来てからは嵐のような毎日で…」

マサは苦笑いした。

「長いことかおせんで、すみませんでした」

「そんなんは、かまへんのやけど、身体からだでもこわしたん違うかおもて心配してたんえ」

「実は、親戚の香具師(やし)(今で言う興行師)が、近くで興行こうぎょうを打つことになって、その準備を手伝わされてたんです」

あぐりは言い訳めいた口調で説明した。


もちろん、その話に嘘はなかったが、あぐりの足が遠のいたのには、別の理由があった。


あるとき、浪士組の永倉新八と藤堂平助が「八百藤やおふじ」の店先を訪ねたことがあった。

彼らを目にしたあぐりの母は、娘を壬生にやることが急に心配になったらしく、

その夜、急に叔父おじの手伝いなどを言いつけたのだった。

つまるところ、それはあぐりを壬生から遠ざけるための口実に過ぎない。

あぐりもそれには勘づいていたが、あえて母にそむく理由も見当たらなかった。


そんなわけで、気が進まないながらも、とにかく叔父がいるという因幡薬師(いなばやくし)まで行って見たところ、今回は長崎から入って来たという海外の鳥獣ちょうじゅうを売りに見世物みせもの小屋を出すという。


江戸時代、見世物を生業(なりわい)とする興行師たちは、手を変え品を変え人々の気を引く出し物を考案しては、日本各地の寺や神社の境内けいだいなどで見物料を集めていた。


あぐりの叔父も、南蛮渡来なんばんとらい珍獣ちんじゅうで、ひと山当てようと目論んだわけだが、これがまんまと図に当たった。


このショーは大坂の難波新地で大変な話題をさらい、勢いにのった叔父は都への進出を決意をするに至った。

そしてこの頃、一足先に京へ乗り込んで、受け入れの準備を万事ばんじ整え、大々的に宣伝を打っている最中だった。


しかし、好評を受けて大坂の興行がロングランになったせいで、肝心かんじんの珍獣たちは、いっこう京に到着する気配をみせない。

叔父は毎日のように「明日には来る」と言いながら、5日ほどが過ぎた。


その間、あぐりは何度も元の仕事に戻りたいと母に申し出ていた。

なにしろ、叔父の手伝いと言っても、差し当たり何もすることがないのだ。


彼女からすれば、香具師やしなどというヤクザな商売をしている親戚しんせきより、曲がりなりにもご公儀こうぎのために働く浪士たちの方が、まだマトモに思えたし、なにより彼らは近来(まれ)に見る大口の客だった。

なのに、母は相変わらず、

「あんたは何も分かっとらん」

と繰り返すばかりだった。


ただ、現実問題として、人を雇うほど余裕のない「八百藤」のこと、人手が足りないのは如何(いか)んともしがたい。

あぐりが行商でかせいでいた収入が途絶えると、売上は目に見えて落ちた。

しっかり者のあぐりは、このまま手をこまねいて大事な得意先を商売敵(しょうばいがたき)に奪われるつもりはなかった。

そしてこの日、とうとう母の制止を振り切って行商に出かけたというわけだ。


激動する時代のさなかでも、市井しせいの人々が抱える日々の悩みにそう変わりはない。

「母の心配性にも困ったもんですわ」

あぐりは苦笑いして言った。

「母親が娘の身を案ずるのは当たり前や」

我が子を失ったばかりのマサの一言には、ズッシリとした重みがあった。

「…そうですね」

あぐりは野菜を載せたザルを台所の上り(かまち)に置きながら小さくこたえた。


「どうぞ、またご贔屓(ひいき)に」

あぐりは精一杯愛想のいい笑顔でお辞儀じぎをすると、勝手口から出て行った。


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