美女と美男 其之弐
というわけで、壬生寺の境内に目を移す。
「総司はまだか?」
局長近藤勇と副長山南敬介は、いつまでも姿を現さない沖田総司にしびれを切らしていた。
そのかたわらには斎藤一や原田左之助といった幹部たちも顔を揃えている。
「はあ」
間の抜けた返事をしたのは、巨漢の隊士、島田魁だ。
「もういい!最初の者を呼べ!」
胸を反らせて腕組みをした近藤が、前を睨みすえたまま怒鳴った。
「佐々木愛次郎、摂津の国、大坂の浪人です」
島田が身上書を開いて男の素性を読みあげる。
進み出たのは、またしても線の細い美青年だった。
近藤は島田を振り返って渋い顔をした。
「あの手のは、二人も三人も要らんぞ?」
先ごろ入隊した馬詰柳太郎のことを言っているのだ。
馬詰もこの男に劣らず容姿端麗だが、剣士としてはお世辞にも優秀とは言えなかった。
山南が佐々木と名乗る浪士を見ながら口をはさんだ。
「細身ですが、あの筋肉のつき方はそれなりの鍛錬を積んでいると見ます」
「…なるほど、確かに。よし、誰か相手してやれ」
近藤は居並ぶ隊士たちを見渡した。
「なんなら俺が相手したりますわ」
自称大坂浪人で現在は浪士組幹部のひとり、佐伯又三郎が名乗りを上げた。
先日の不手際を挽回しようとでもいうのか、竹刀を握る手にも妙に力が入っている。
「得意は柔術なんですが…」
佐々木愛次郎が戸惑いがちに申告すると、島田が手元の身上書に目を落とした。
「なるほど、そう書いてあります」
しかし、近藤は取り合わない。
「まずは、太刀筋をみる」
この際、佐伯の腕前も見定めてやろうというつもりだ。
しかし、「はじめ」の声がかかると、佐々木は鋭い気合いを発して突進した。
その姿は先ほどまでの頼りなげな雰囲気を微塵も感じさせない。
立て続けに放たれた面撃ちを、佐伯は何とか凌いだものの、思わず後退した。
「佐伯の奴、相手の実力を軽く見積もったな」
近藤がニヤリとして島田を顧みる。
そこへようやく沖田総司が姿を現して、他人事のように呑気な声で言った。
「なんだ、もう始まってるじゃん」
近藤がジロリと沖田をにらんだ。
一緒に戻ってきた土方歳三は、組み合わせを見て、近藤に尋ねた。
「ほう、佐伯か。こいつは面白いな。どんな具合だ?」
近藤はムッツリと押し黙ったまま勝負の行方に目を凝らしている。
「佐伯が押されてます」
島田魁が代わって答えた。
土方は、以前斎藤一が口にした言葉を思い出して、ちょうどそこに居合わせた斎藤の腕に軽く肘鉄を入れた。
「佐伯が弱い“ふり”をしてるだと?チッ、おまえの見る目も大したことねえな」
斎藤は意味ありげに土方を見返すと無言で目を伏せた。
「…いや、あの優男、見た目は華奢だが本当に強いですよ。ただ、佐伯さんは…」
口を添えた沖田も、佐伯又三郎の力量を測りかねているのか、その先は言葉をにごした。
だがそうするうちにも、佐々木愛次郎は、矢継ぎ早に鋭い太刀を浴びせる。
とうとう佐伯の顔色が変わった。
「遊びは終わりや」
五分の力で佐々木を打ち負かせると踏んでいた佐伯も、ようやく相手の真価を認めて仮面を脱ぐ気になったようだ。
これまでは、己れの爪を隠すため手心を加えていたらしい。
「ここからだ…」
斎藤がボソリと呟く。
その言葉を裏づけるかのごとく、佐伯はまるで蛇のようにしなやかな剣さばきで、四方八方から佐々木を責めたてた。
一転、佐々木は防戦にまわる。
そしてついに、佐伯は横から突き上げるように佐々木の刀を弾き飛ばした。
「タヌキめ」
斎藤が薄く嗤った。
しかし佐々木愛次郎はまだ「参った」をしない。
「往生際の悪いやっちゃな!」
佐伯又三郎が竹刀を大上段に振りかぶった時、
佐々木は徒手のままガラ空きの胸元に飛び込んで身体をひねった。
虚を突かれた佐伯は、成す術もなく右腕をとられ、気がついたときには右脇から佐々木の肩に担がれていた。
「双手背負い…か」
近藤が小さな驚きの声をもらす。
柔術の技だった。
佐伯の両脚がグルンと弧を描いて、地面に叩きつけられた。
「…一本だ」
近藤が大きな口の端を吊り上げた。
「ちょ、まて!おかしいやないか!これは剣術の立会いやろ?!」
佐伯は痛みに顔を歪めながら、片膝をついて抗議した。
「佐伯くん、油断したな」
近藤の表情が、勝敗は決したと断じている。
「そんな!納得できん!」
佐伯は詰め寄ったが、近藤は目を閉じて首を横に振った。
「あいにく俺の専門は武道全般でな。うちの道場では最後に立っていたものが勝ち名乗りを受ける」
佐々木が肩で息をしながらたずねた。
「では、合格ですか?」
近藤は少し考えてから、沖田を振り返った。
「そうだな…もう少し腕前をみせてもらおうか」
沖田は、近藤がなにも言わないうちから首を横に振った。
「わたしはもうヤですよ。また怪我をさせたらたまらん」
なにせ相手は馬詰柳太郎に劣らぬ美青年だ。
土方には沖田の考えていることが手に取るように分かった。
「あはは、怖いのか?」
「なんとでも言ってくださいよ」
「じゃあ斎藤、おまえが相手してやれ」
近藤が言うと、斎藤一はのそりと立ち上がった。
「おいまてよ。せっかく面白いところなのに」
土方歳三が止めた時にはすでに二人は構えに入っていた。
勝負が始まると同時に佐々木愛次郎が間合いに踏み込む。
その大胆さが気に入ったか、斎藤は一瞬口元を緩めたが、
一合、剣先を合わせると、
いきなりするどい突きを放って、
佐々木を一間ほど先にあるクヌギの根元までふっ飛ばしてしまった。
二人を取り囲んでいた受験者からため息が漏れる。
「あっけねえな」
土方の言葉が皆の気持ちを代弁していた。
だが、天才沖田総司は、別の感想を持ったようだ。
「…けど今の斎藤さん、本気だったよ」
佐々木は何が起こったのか解らないまま、呆然とクヌギの木を背に座っている。
やがて頭を振りながら、ようやく
「参りました」
と呻いた。
斎藤は、近藤たちの方を見て小さくうなずいて見せた。
「この男は使える」という意味だ。
そして、無言のまま人の輪の中心から退いた。
「よう、腕の方は訛ってねえようじゃねえか。めずらしくムキになったんで照れちゃってんのか?」
立会いを見物していた原田左之助が、ニヤニヤと冷やかしたが、斎藤は、すれ違いざまに口元を少しゆがめただけで行ってしまった。
「ちっ、愛想の悪さも変わらねえときてやがる」
原田は隣にいた山南敬介に肩をすくめてみせた。
山南は原田の軽口を黙殺すると、引き上げてきた佐々木愛次郎に歩み寄った。
「いつからこっちに来れる?」
佐々木は、その言葉で自分が合格したことを知って、表情を明るくした。
「今日からでも」
見かけによらず豪胆な青年らしく、幹部にも気後れしない。
「よし、じゃあ離れへ案内するから、好きな時にそこへ身の回りのものを持って行きたまえ」
余談ながら、同じ日には、これもなかなか腕の立つ男で、大坂方面の探索に手腕を発揮する佐々木蔵之介という浪士が入隊した。
このため、佐々木は「愛次郎」と下の名前で呼ばれることになった。
いずれにせよ、この一件が佐々木愛次郎と佐伯又三郎との間にある種の因縁を残したことは書きとどめておきたい。
※作中の近藤の台詞は実際の天然理心流とは関係ありません




