継承者たち 其之弐
「なんのことでしょう?」
仏生寺は、白々しく開き直った。
「実は先日、大文字屋の手代、弥右衛門という男が訪ねてきまして」
「ほう」
「あなたがあの店で長州の名を騙り300両を脅し取って行ったと言うのです」
「とんでもない言い掛かりだ。あれは、攘夷という大義のために資金を融通してくれとお願いしただけです。それに、私は長州からの招きに応じて京に上ってきたとは言ったが、長州に金を貸せとはひとことも言ってない。なにか、誤解があったようだなあ」
仏生寺は、あくまでシラを切り通す気だ。
もちろん、彼のやらかした乱行の数々は、久坂の耳にも入っていたから、そんな言い訳が受け入れられるはずもなかった。
「問題は、そこじゃありません。大文字屋は奉行所にまで訴え出て、わが藩は非常に面倒なことになっています」
「なるほど。ご迷惑をおかけしましたな。で、私をどうします?」
仏生寺は形ばかり詫びて、素早く廊下の方に視線を走らせた。
部屋の外に人の気配を感じて警戒したようだ。
久坂はここで仏生寺を手討ちにする気など毛頭ないと安心させるように、柔らかい笑みを見せた。
「今のところ、どうする気もありません。武具を揃えるのに金が必要なのは当然だ。ましてや、あなたを呼んだのは他ならぬ桂小五郎先生であることだし、金は長州が立て替えます。しかし…」
仏生寺は、まだ警戒を解いていなかった。
と、襖が開き、もうひとりの四天王、入江九一が入って来た。
後ろには、杉山松助も頸の後ろを擦りながら立っている。
「久坂、すまんが…」
入江は言いかけて、仏生寺の存在に気づいた。
「おっと失敬、お客様とは知らず」
「仏生寺先生だ」
久坂が無愛想に紹介した男を見て、杉山は顔色を変えた。
この男が仏生寺だとするなら、さっきの浪人は何者なのだろう。
「どうした杉山くん。顔色が悪いようだが」
久坂玄瑞が茶碗に口をつけながら眉をひそめた。
「い、いやなに。高名な先生にお目にかかれて柄にもなく緊張しているだけです」
中沢琴に不覚をとったことを悟られたくないのだろう。
杉山は複雑な表情で取り繕った。
久坂は、なぜか小さく笑うと、何事もなかったように二人を紹介した。
「先生、同志の入江九一君と杉山松助君です」
入江は憎悪に燃えた眼で仏生寺を睨みつけていた。
「…先生のお噂は、藩邸にも響き渡っておりますよ」
仏生寺は、抜け抜けとその皮肉を受け流した。
「どうも、どうも。そりゃあ光栄ですな」
久坂は、険悪な雰囲気など気づかぬ態で入江に向き直った。
「先生に"例のお方"の露払いをお願いしていたところだ。君からも口添えしてくれないかい?」
鋭敏な入江は、話し合いが上手くいっていないことを嗅ぎ取ったが、かと言って面談に加わる気は毛頭なかった。
なぜなら、この計画に仏生寺を噛ませるなど、彼にはとうてい受け入れ難いことだったからだ。
「いや、そうしてえのは山々だが、例のネズミ騒ぎで少しバタバタしていてなあ」
苦し紛れに出た、退席の口実だった。
しかし、それを聞きとがめた久坂の眉がピクリと動くのを見て、入江は余計なことを口走ったと苦い顔をした。
「いや…なに、どうってことはないんだ」
仏生寺が面白がるように、部屋を見渡した。
「こんな小綺麗な料理屋にもネズミが出ますか」
その口ぶりに入江はムッとした。
「例の大獄以来、人心が荒廃したことと何某か因果関係でもあんのか、近頃じゃあ都にもネズミが増えたようで。だが最近のネズミは、ものを食い散らかすだけが能じゃねえから始末が悪い」
その言葉に込められた辛辣な含みを無視して、仏生寺は訳知り顔でうなずいた。
「人家に巣くうネズミとは得てして利口なもんですよ。奴らは人間との知恵比べを制して生き抜いてきたんだから。斉藤(弥九郎)先生から聞いた話じゃあ、壬生みたいな辺鄙な村も、ネズミにやられているらしいですよ」
「?なんの話をしている」
入江が怪訝な顔をすると、久坂が淡々と説明を加えた。
「浪士組に紛れ込ませた間者のことだよ」
仏生寺は早くも足をくずして、
「そのネズミ殿に、いつぞやの清河の一件では気を揉ませて申し訳なかったとお伝えください」
と、世間話でもするように暗殺未遂の一件を持ち出した。
暗殺計画の出どころは、無論長州藩だ。
“お前たちにも後ろ暗いところがあるだろう”という仏生寺の反撃だった。
だが久坂は、ポーカーフェイスで応じてみせる。
「そう申し伝えておきましょう。“話の分かる”ネズミならよろしいが」
「ハハ、なるほど。その余裕は、浪士組など最早恐るるに足らずといったところですか。だが、油断は禁物ですな」
仏生寺は、そう忠告して、天井の隅を見つめた。
その脳裏には、斎藤一の姿が蘇っていた。
「ネズミが言うには、彼奴等は会津からも半ば忘れられた存在らしい。気を揉むには及ばんでしょう」
久坂は、仏生寺の懸念を杞憂と断じて、
「ときに、斉藤先生といえば最近お姿を見ないが、ご健勝でいらっしゃいますか。たしか仏生寺先生にとってもお師匠筋でしょう?」
天才・仏生寺弥助を輩出した神道無念流宗家(斉藤弥九郎)の名をチラつかせて、巧みに話題を変えた。
練兵館現当主、二代目斉藤弥九郎は、長州の攘夷思想にドップリ浸かっており、攘夷決行の日には下関で長州藩士たちと共に軍艦に乗り込んで、アメリカ商船を撃沈する企てに加担するほどの入れ込みようだった。
中沢琴が居酒屋で仏生寺と一緒にいるところを見た、あの面長の男である。
「はて、仰っているのが若先生のことなら、あれを私の師と呼ぶにはちと無理がある。彼の名前を出して情に訴えるなんてのは無駄ですよ」
久坂としては、桂小五郎が親しくしている仏生寺に最後のチャンスを与えたつもりだったが、話し合いは遂にもの別れに終わってしまった。
もっとも、弁の立つ久坂玄瑞であれば、さらに説得を重ねることも出来たはずだ。
だが、彼はそれ以上深追いはしなかった。
「…せっかくご足労いただいたのに残念です」
「お役にたてず申し訳ない」
仏生寺は相変わらず媚びるような笑みを浮かべている。
久坂は、額に青筋を立てて仏生寺を睨みつけている入江九一にチラリと目をやってから警告した。
「しかし、くれぐれも用心なさいませ。うちの連中は、少々頭デッカチのきらいがある。あなたが長州の顔に泥を塗ったと息巻く者も多い」
公平を期すために断っておけば、この時代、押し借りの尻拭いはなにも長州に限ったことではなかった。
例えば浪士組が「ツケ」で買った品々も、のちに京都守護職(会津藩)が用立てている。
仏生寺はやれやれと首を横に振った。
「もし、そんな風に思った人間がいたとして、私に刃を向ける気でいるなら、あなたが身を案じねばならんのは、彼の方ですよ」
「そうかもしれないし、そうでないかもしれません…とにかく、せっかくご足労頂いたのだから、一献付き合って頂けませんか?それくらいのわがままは聞いていただけるでしょう?」
「もちろん、酒には目がなくてね」
仏生寺がうなずくと、久坂は無表情に手を打った。




