数が合わない! 其之弐
前にも述べたとおり、浪士組は、つまるところならず者の集まりだった。
芹沢のような前科をもつ者は、他にも多勢いる。
ただ、決定的な違いは、芹沢鴨と仲間の浪士たちが、まがりなりにも(本当のところは不明だが)武家の出身であり、なにより御三家の一つ水戸藩というバックボーンを持っていたことである。
水戸藩は、尊王攘夷の盟主としても知られていたから、彼らの暴力には、つねに「勤王」というバイアスがかかり、ある種、美化された。
対して、近藤たち試衛館一門は、ならず者の中にあってこそ、かなりまともな部類に入ったものの、彼らの半分は農家の次男、三男で、近藤自身の出自も似たようなものであった。
つまり、いわゆる雑種にすぎない試衛館の面々は、揃いの紋付羽織を着た、このイケ好かないサラブレッド集団と、徹頭徹尾、馬があわなかったのだ。
実は、江戸を出立した当初、これら二つの勢力は、近藤をのぞいてみな三番組に顔をそろえていた。
ところが、案の定というべきか、試衛館の一部と水戸一派の間では、いさかいが絶えなかったのである。
後世に名高い新選組の母体は、この近藤勇率いる試衛館のメンバーと水戸浪士・芹沢鴨の一派が中核となっていくが、後の熾烈な主導権争いの火種はこの頃からくすぶっていたことになる。
ともかく、浪士組を取り仕切っていた山岡鉄太郎ら幹部が、これを見兼ねて、彼らを引き離したのだ。
「その件についちゃ、もう謝ったろ。だがなあ、何度も言うが、先にケンカを吹っかけてくんのはいつも向こうだ」
土方が、ふてくされたように顔を背ける。
「ウソつけ!うちの道場の左之助や平助が、奴らにからんでいるのを見た者がいると聞いたぞ」
近藤が、旅籠の奥をチラとのぞくような素振りを見せた。
おそらく、今ごろ呑気に部屋で酒でも飲んでいる原田左之助を思い浮かべたに違いない。
「…ま、そんなことがあったかも知れん。しかし、あいつらはバカなんだからしょうがねえだろ」
「そんな言い訳があるか」
土方は、探るような目で近藤の方に向き直った。
「もう過ぎたことだろ!怪しいな…今さらまたそんな話を蒸し返す理由はなんだ?」
近藤は、なにか重大な秘密でも告白するように神妙な面持ちで声を落とした。
「…妙なんだ」
「なにが?」
「膳の数が合わん」
「なんだと?」
土方は、突然何を言い出すのかという風に聴き返した。
「いいか?江戸を出たとき、おまえ達が今いる六番組と、前にいた三番組は、どっちも30人ずついたんだ」
「ちっ、だからなんの話だ?」
土方のもっともな疑問は黙殺された。
「で、四日前、揉め事ばかし起こすおまえらにウンザリした山岡様が、美濃の中津川宿で、組替えをした」
「てめえ、くどいぞ。なんだ?俺とケンカしてえなら、回りくどい言い方をしねえでそう言え」
近藤は、つめよる土方を人差し指で制した。
「聞けよ。ここからが肝心のとこだ。その時、おまえら10人は、芹沢一派がいる三番組を追い出されて、六番組の10人と入れ替わったんだよな?」
「ああ、そうだよ!いちいちカンに障る言い方しやがって。だからどうした」
土方も、とうとう逆らうのを諦めたらしい。
「で、昨日だ。今度は、おまえ達10人の小頭を務めてた芹沢さんが降ろされて、『浪士組取締役付き』のお役目に移動になった。
これで、めでたくおまえたち試衛館のハネ返り組と、水戸一派の分離は成功ってわけだ」
「俺たちと引き離すためだけに、またご立派な役職を用意したもんだ。お偉いさんがたは、そんなに奴が恐いのかね」
皮肉屋の土方は、おどけた表情で口を曲げてみせた。
近藤は、いつものことと取り合わない。
「だが、昨日飯を食ったとき、宿の女将が俺のとこに来ていうんだ。『お膳が一人分、手つかずで残ってますけど、どうしますか?』ってな。膳の数は30、前の日と同じだ」
「10人ずつ入れ替わって、そのあと芹沢が一人抜けたんだから数は合うだろ」
「俺もそう思ってた」
「は?じゃあ、何が不満なんだ?」
「まだ分かんねえか?」
近藤は眉根を寄せ、土方の顔をみつめた。
「『俺』が、女将に言われたんだよ。昨日はその中に、俺もいたんだ!急に芹沢さんの代理をやれと言われて、お前達と一緒の宿に泊って、飯も一緒に食ったろう?」
近藤は、芹沢が小頭を降ろされたその日、一日だけ小頭代理を務め、宿割りと掛け持ちをさせられたのである。
仕事に追われていた近藤は、そそくさと食事を済ませて行ってしまい、遅くに宿へ戻ってきたから、土方もすっかり忘れていた。
「ああ、そっか」
「じゃあ何故、メシが一人分余る?」
「ややこしくなった話って、それのことかよ。くっだらねえ!」
土方はあきれたようにそっぽを向いた。
「飯の数の問題じゃねえ!人が一人、どっかに消えちまったって話だ」
剣の腕を磨くことにのみ腐心してきた近藤勇にとって、そもそもこうした役目はもっとも苦手な種類の仕事だった。
そこへ持ってきて、急に小頭の代役という余計な仕事が入ってきたために、宿割りに忙殺されていた彼の頭は、すっかり混乱していたのだ。
一方商人上がりの土方は、効率的に物事をとり仕切る術に長け、こうした采配に適していた。
この能力は、のちに彼が新選組を指揮するうえで絶大な効果を発揮することになるが、近藤と同じく武士になることを夢見ていたこの頃の土方は、自分の才能を、まださほど重要とは捉えていなかった。
とにかく近藤は、自分の弟弟子であり、旧友でもある土方歳三に相談を持ちかけるのが良いと判断したらしい。
なにより土方は、今回のイザコザを引き起こした当事者の一人でもあり、近藤からすれば、自分に協力するのは当然だった。
しかし、土方には真剣にとりあう気などサラサラなかった。
「知らねえよ。誰か、食わなかった奴がいるんだろ」
「いや、宿の人間に確認したら、布団も一組余ったそうだ」
「…つまり、一人減ってる、ってことか?」
土方は、元来こうしたことに異常なほど気のまわる性質だったが、この一件に関しては、まるで興味を示さなかった。
「真面目に考えろ。歳、おまえ、誰がいなくなったか、心当たりは?」
「さあ?道中はてんでバラバラに歩いてっから、一人いなくなっても分かんねえだろうなあ。頭数の確認なんてのは小頭の仕事だが、芹沢はそういう細かいことをいちいち気にする奴じゃねえし、他の小頭連中だって、似たりよったりだろ」
「飯のときは?」
「飯もみんな好きなときに食うから、全員が顔を揃えることはなかったな。ただ、さすがに誰も気づかないってのは不自然だから…」
土方は、記憶の糸を手繰り寄せるように、あごに手をやって、端正な顔をしかめた。
「なんだよ、言えよ!」
近藤の声には、期待がこもっている。
「いや…ひょっとしたら、その六番組の誰かは、江戸を出てすぐ、姿を消してたんじゃねえのか?」
「じゃあ、道中ずっと一人足りなかったって言うのか?」
近藤は、がっくりと肩を落とし、嘆息した。
それを見た土方が、意地の悪い笑みを浮かべる。
「ま、いつからかは知らんが、俺たちが互いの顔を覚える前には、もう居なくなってたんだ。あり得ねえ話じゃねえだろ?ことによると、芹沢たちが殺っちまったのかもしれねえがな」
「ちぇ、縁起でもねえこと言うな。バカ」
近藤は苦り切った顔で舌打ちした。




