継承者たち 其之壱
同日、丸太町三本木の料亭、吉田屋。
中沢琴たちがドタバタ劇を演じたしばらく後、その吉田屋に仏生寺弥助が到着した。
軒先の行灯にはすでに火が灯っている。
「おや?わたしは桂先生に呼ばれたはずですが」
迎えに出た背の高い男をみて、仏生寺は意外な顔をした。
「あいにく、桂は危急の用事で江戸へ下っております。僕は留守を預かっている久坂と申します」
若くして右筆にまで登りつめ、京都留守居役を任された桂小五郎は、この四月、伊藤俊輔(後の初代内閣総理大臣、伊藤博文)とともに江戸に入り、京を離れていた。
同じ月には、かの高杉晋作が学習院御用掛を仰せつかり、入れ替わるように上京していたが、仏生寺を迎え入れたのは、その高杉と並び称される俊才にして「松下村塾四天王」のひとり、久坂玄瑞-クサカゲンズイ-である。
いまや、都には四天王のうち三人までが集結し、時代はまさに風雲急を告げようとしていた。
わけてもこの久坂は、幕末期を代表する思想家、吉田松陰からもっとも愛されたと言われる男である。
「先生、目が赤いが、どこかお加減でも?」
仏生寺の頬はこけ、落ちくぼんだ目の周辺は青黒く隈取られている。
あきらかに病的なその面相を、久坂が訝しむのも無理はなかった。
「いやいや。お気遣いは無用。ただの寝不足です」
「ならよろしいが」
賓客を気遣う言葉とは裏腹に、久坂は無表情のまま仏生寺を招き入れた。
その眼にはどこか見下したところが見て取れたが、仏生寺は相変わらず飄然と座敷に足を踏み入れた。
「イグサ(畳の材料)の香りがするお座敷なんて久しぶりだ。桂先生のお招きでないとしたら、これはいったい、どうした風の吹き回しかな」
「そう身構えないで下さい。桂の用件をことづかったのは本当です。それに、僕自身、あの桂がわざわざ名指しでお招きしたという剣客に是非一度お目にかかりたかった。都くんだりまで来てくださった貴殿をもてなすのがそんなに変でしょうか?」
「そんなご大層なものじゃありませんよ。実際んとこ、道場の連中からおいてけぼりを喰らったので、勝手に後からついてきたくらいだ」
仏生寺は自嘲的にそう打ちあけたが、
久坂は本気にしなかった。
「ご謙遜を」
事実、長州にとって彼のような人材は貴重だった。
なぜならこの雄藩には、松下村塾四天王を筆頭に、英才や俊才とよばれる人材は掃いて捨てるほどいたが、音に聞こえた剣客といえば桂小五郎か来島又兵衛の名前くらいしか見あたらない。
それは彼らが中沢琴に手もなくひねられたのを見ても明らかだ。
刀や弓は、すでに銃砲などの火器に戦いの主役を譲ろうとしていたものの、精神性を重んじる武士社会では、人物を測るうえでやはり剣の腕がモノを言う。
だからこそ桂小五郎は来るべき攘夷決行にそなえ、古巣の練兵館に手紙を書き送って人をかき集め、当主斉藤弥九郎には特に仏生寺弥助の上京を強く乞うたのである。
だが長州の応援に馳せ参じた斉藤新太郎(二代目斉藤弥九郎)とその門徒たちは、素行に問題のあるこの天才を同志には相応しくないと見限って、切り捨てたようだ。
若干23歳にして少々才気が勝ちすぎるところのある久坂もまた、教養というものを持たない人間をあからさまに蔑すんでいた。
しかし彼には、仏生寺を罰しようとした入江九一とは別の思惑があるようだ。
「それはひどい話ですね」
形ばかり同情を示したものの、その声には相変わらず何の感情のこもっていない。
しかし、こうした扱いに慣れている仏生寺は、失礼な態度にも動じなかった。
「私は文盲(文字がよめない人)でして。黙ってりゃ手紙の内容など分からないと見くびられたんでしょう。けど、そんなこた皆の様子を見ていれば嫌でも分かることです」
「なるほど、さもあらん」
久坂は適当に調子を合わせながら事務的に仏生寺へ上座を勧めると、いかにも天下の俊才らしく単刀直入に切り出した。
「先生は馬関海峡(現在の関門海峡)で攘夷に加わるおつもりなのでしょう?実は、下関へ向かう道すがら、護衛をお願いしたい御仁がいます」
このころ、久坂玄瑞は朋友入江九一とともに、侍従中山忠光を京から連れ出し、自らが率いる光明寺党の党首に据えようと画策していた。
中山忠光はのちの明治天皇の叔父にあたる公卿だが、攘夷思想に傾倒しており、長州の過激派と気脈を通じていた。
ほんの一刻ほど前も、彼らは同じ部屋でその段取りを打ち合わせていたばかりだ。
しかし、この日に限って予期せぬ事態が発生した。
同志のひとりが、庭でこの密議を盗み聴きしている怪しい小男を見つけたのだ。
その間諜とは、言うまでもなく阿部慎蔵が助けた頬傷の男、仙吉である。
そして、まさにこの瞬間も入江九一や杉山松吉らが、その間諜を追跡しているはずだった。
だが、それについてはひとまず置いておこう。
久坂はあえて核心に触れず、遠回しに中山卿の警護を依頼したのだった。
「ははあ。そりゃあ誰です?」
仏生寺は当然の疑問を口にした。
「今はまだ、さるやんごとなき身分のお方と言っておきましょう。出立の日、あなたが来てくだされば、そのとき正体を明かします」
「それは興味をそそられる趣向ですね。だがあいにく、わたしは長州の人間じゃない。桂先生のおっしゃることなら一も二もなく引き受けるが、勝手にこのような話を受けるわけにはいきません。今回の件は聞かなかったことにしておきしょう」
久坂は完全に見下していた相手にあっさり袖にされて内心苦ったが、プライドの高い彼が、そこで感情を現すことはなかった。
そして、席を立とうとする仏生寺をすぐさま別の切り口で攻めた。
「しばし。ならば、なぜ長州の名を借りて金策をするのです」
本来、こうしたストレートな物言いこそ久坂玄瑞の本領だった。




