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幕末カタナ・ガール  作者: 子父澤 緊
約束之章
146/404

アベシンゾウの冒険 其之壱

斎藤一と仏生寺弥助が島原大門で鉢合(はちあ)わせした日の夕刻。

男装の女剣士 中沢琴は、禁裏(きんり)の東、鴨川ベリにある三本木「吉田屋」の前にいた。


この料理屋は、琴が投宿とうしゅくする伏見の寺田屋とおなじく、のちに倒幕派とうばくはの隠れ家としてその名を()せることになるが、これには理由がある。


当時、三本木にある置屋(おきや)瀧中たきなか」に幾松(いくまつ)という人気の芸妓(げいぎ)がいた。

彼女は吉田屋の座敷に呼ばれることも多かったが、この店の馴染みのひとりが若き長州の右筆(ゆうひつ)、桂小五郎だった。

いつしか二人は恋仲になり、以来、吉田屋は桂と幾松が(しの)び会う場所となった。

ちなみにこの幾松が、明治維新ののちに木戸孝允(桂小五郎)夫人となる木戸松子である。

こうした縁から、桂につき従う長州藩士たちをはじめ、攘夷派の面々もこの店を贔屓(ひいき)にするようになった。

やがて吉田屋の座敷は、もっぱら密議みつぎの舞台となり、ときに幕府の捕吏(ほり)や浪士組から身を隠す場所として使われるようになったのだ。


このため、当時すでに吉田屋は素性(すじょう)の知れない者にはガードが固かった。

そうでなくとも京の揚屋(あげや)というのは一見(いちげん)の客には敷居が高い。

つまり、貧乏浪人に身をやつした琴などは論外だった。

入口でいきなりドレスコードに引っ掛かって、はじかれてしまったのである。

「お気を悪うせんといて下さいなあ」

ツンとすました女将に、いかにも慇懃無礼(いんぎんぶれい)な京言葉でやんわり断られると、琴もスゴスゴ引き下がるしかなかった。


「お高くとまってる」

ほとんど本物の貧乏浪人同然に、独り悪態をついてはみたものの、今さら着替えを取りに戻るわけにもいかない。

裏手の路地で途方にくれていると、吉田屋の勝手口から下男らしき小柄な青年が飛び出してきた。

「なにボーッと突っ立っとるんじゃボケ!」

頬に傷のあるその男は琴を突き飛ばして丸太町通方面へ走り去っていった。


続いて、勝手口から数人の男たちがゾロゾロと姿を現した。

「どこへ行った⁈」

口々に叫ぶ男たちの手には木刀が握られている。

琴は、そのうちの一人に見覚えがあった。


そう、あれは京に着いた日のこと。

高瀬川に架かる橋の上で、刀を交えた長州藩士だ。


その長州藩士がふと琴に目を止めた。

「お前はあのときの!」

叫んだのは若き攘夷志士じょういしし、杉山松助だった。

杉山は、何度も悪夢にみた琴の顔を指差した。


「…何処(どこ)かで会ったかな」

琴は上目遣うわめづかいで人差し指をこめかみにあてて見せた。

「本当に忘れているのか、それともただそらトボけているだけか」

杉山は探るような眼で琴をうかがっていたが、ハタと思い当たったように、

「そうか…なるほど、仏生寺弥助というのはおまえのことか」

と、なにやら勝手に納得してしまった。


今度は琴が戸惑う番だった。

なぜ自分が仏生寺と間違われたのだろう。

だが、彼ら長州人が仏生寺をここへ呼び出したことだけはこれでハッキリしたわけだ。

どうやら仏生寺に目をつけていたのは間違いではなかったらしい。

琴の頭には様々な推論(すいろん)や仮説が駆け巡っていたが、それが表情に現れることはない。


相手の反応をみていた杉山も、ついにしびれを切らした。

「ずいぶんあちこちで長州の名を(けが)してくれたようだな。桂先生の口利きらしいから命までは取らんが、少々お灸をすえてやる」

琴は伏し目がちに笑った。

「今の男を追いかけなくていいのか」

「いいさ…下男に化けてもぐり込んでいたネズミ野郎だ。まったく、幕府も相変わらず姑息(こそく)な真似をするもんだ。だが、我々の仲間のフリをして放蕩(ほうとう)をつくしているお前よりはマシかもな」

いわれのない罵倒(ばとう)を浴びるうち、琴には仏生寺を取り巻く状況が少し読めてきた。

長州の名を借りた数々の悪行が、ついに露見したらしい。

杉山たちは仏生寺を待ち伏せて、制裁をくわえるつもりだったのだ。


もっとも、琴からすればそんな事情は(あず)かり知らぬことで、おかしな巻き込まれ方をしたばかりだったが。


他の長州藩士たちは小男の逃げて行った方向と琴のあいだで右往左往している。

杉山は戸惑う仲間たちに指示した。

「このさい雑魚(ざこ)は放っておけ。まずはこの面汚しを仕留(しと)める」


長州藩士たちから一斉に取り囲まれた琴は刀の柄に手をかけて腰を落とした。

「こいつは飛び斬りを使う!猫みたいに身が軽いから気をつけろ!」


琴の実力を身をもって知る杉山は、聞かされていた仏生寺の風体(ふうてい)や年齢と食い違うことに気づきながらも、「稀代(きだい)の天才剣士」という風評と目の前にいる浪人を結びつけずにはいられなかった。

強引な結論に飛びついたのは、前回の雪辱(せつじょく)を晴らしたいという邪念もあったかもしれない。


しかし。

吉田屋の勝手口の方から横槍(よこやり)が入った。

「あんたら、たった一人を相手にその人数で恥ずかしくないのか」


杉山を含めた長州藩士たちが水を差す声に振り返ると、そこには得体の知れない浪人が立っていた。

その男は妙に人懐(ひとなつ)っこい眼でまっすぐ琴を見て言った。

「よう、また会ったな。お困りかい?」


琴はまた記憶の糸を手繰(たぐ)った。



途中から読まれた方には馴染(なじ)みがないかもしれないが、彼はこの物語において重要な登場人物のひとり、後の新選組隊士、阿部慎蔵(十郎)である。


「下男風情(ふぜい)が、生意気な!」

杉山は一喝してから、ふとまゆを寄せた。

「おまえ…何処どこかで見覚えがあると思っていたが、いま思い出したぞ…あの時の役に立たない相棒か」

まるで琴の窮地(きゅうち)を救うかのごとく颯爽(さっそう)と現れた阿部だが、さほど腕が立つわけでもない。

しかも、そのことは琴と杉山もよく知っている。

杉山がバカにしたように鼻を鳴らすと、中沢琴もため息をついた。

「やれやれ。こんなところで、また雁首がんくび(そろ)えるとは」


が、皆の緊張が途切れたその一瞬を琴は見逃していなかった。

杉山との距離をつめると、

その切っ先を蹴り上げ、

高々と舞った木刀を中空でつかんだ。


その、驚くべき跳躍(ちょうやく)力に、長州藩士たちは言葉を失った。


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