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幕末カタナ・ガール  作者: 子父澤 緊
約束之章
141/404

島原大門 其之弐

そして、ちょうどそのころ。

壬生村からほど近い花街はなまち、島原の大門を千鳥足ちどりあしで出てきた男たちがいた。

も高いうちから、浴びるほど酒を飲んだ仏生寺弥助とその一味である。


当時の島原は、遊興ゆうきょうの地であると同時に大衆芸術の発信地であり、集積しゅうせき地でもあった。

島原の揚屋あげやといえば、多くの歌人や俳人はいじんが互いに刺激を与えあう場所で、例えるなら、十九世紀の印象派が愛したモンマルトルのムーラン・ド・ギャレットやムーラン・ルージュのようなものだろうか。

もちろん、女をはべらせ、飲み食いすることだけが目的の仏生寺たちにそんな高尚こうしょうな趣味はない。

例によってただで飲み食いしたあげく、強引に店を出るばかりだ。


そして、仏生寺の姿があるところには、かならず身をひそめてその動向に目を光らせる中沢琴の影があった。

さすがに格式かくしきの高い揚屋あげやに連日出入りするような資金はなかったから、琴は島原のメインストリート花屋町通りを行ったり来たりしながら時間をつぶしていた。

ただ、貧乏浪人に身をやつしていても、当時の女性としては長身の琴は、端正たんせいな顔立ちのせいもあって、こういう場所ではひどく目をいた。

「小常ちゃん見てみ。いまのお侍さん、かっこええわあ」

道ゆく二人づれの舞妓(まいこ)がふりかえってヒソヒソささやき合うのを耳にして、琴は口をへの字に曲げて顔をしかめる。

島原大門のまえで足をもつれさせ、地べたにヘタり込む仏生寺弥助に気づいたのはそんなときだった。



「今日はここで散会さんかいとしよう」

仏生寺は座ったまま充血した眼で取り巻きを見上げて言った。

「おや、仏生寺さん、もう飲まないんですか?」


仏生寺はゆらりと立ち上がって、子分のひとり三戸谷一馬みとやかずまの肩をつかんだ。

「ああ、これから祇園ぎおんの吉田屋で人と会うんでね。悪いが、あとは勝手に楽しんでくれ」

大門のかげからそれを聞いた琴は、ついにチャンスが巡ってきたと思った。

自堕落じだらくな生活にべったり張り付いていたおかげで、ロビー活動(私的な政治活動)とは縁のない仏生寺が、これといった人脈を持たないことをすでに知っていたからだ。

つまり、江戸から出てきたばかりの彼が京で会う人間といえば、神道無念流しんとうむねんりゅうの縁でつながる長州藩士くらいしかいないということだ。

いよいよ、お目当ての過激派と接触できる。

ただひとつ、琴の気がかりは、この場所が浪士組の本拠地、壬生村に近すぎるということだけだった。


そして、その心配は的中した。


「…それにほら、またうるさいのが来たからさ」

仏生寺が指差した方向から、威風辺いふうあたりを払う勢いで歩いてきたのは、佐伯又三郎ひきいる浪士組の一隊だ。


またしても浪士組と鉢合はちあわせしたのは、運の悪い偶然とばかりも言えない。

たしかにちまたは不逞浪士であふれかえるご時世だが、わざわざ浪士組屯所の近辺で羽目を外すような酔狂すいきょうを好むのは、仏生寺弥助くらいのものだからだ。

佐伯たちが最初に仏生寺に行き当たったのは、当然といえば当然だった。



見るからに怪しげな風体ふうていの仏生寺一派が、島原の入り口でたむろしているのを見て、新米隊士の家木将監いえきしょうげんが大声で叫んだ。

「われらは会津中将あいづちゅうじょうお預りの浪士組だ!きさまら、そこでなにをしているか!」

「やばい!」

つい最近、藤堂平助にさんざん痛い目にあわされた仏生寺の取り巻きは「浪士組」と聞いただけでクモの子を散らすように逃げていった。

そして、逃げられれば追うのが“壬生狼みぶろ”とよばれる男たちの習性だ。


「あわてるな。囲い込め」

斎藤の指示のもと、抜刀した家木らは扇形おおぎがたにひろがって不逞浪士ふていろうしたちを袋小路ふくろこうじへ追いつめていく。


中沢琴は、少々困った立場に追い込まれた。

ここで仏生寺がつかまれば、吉田屋でまっているという長州の男の正体をつきとめることが出来なくなってしまう。

しかし、逃走を手伝おうにも、相手は(元?)恋人、山南敬介が副長をつとめる壬生浪士組なのだ。

以前、井上源三郎に言われたことばが脳裏のうりをよぎった。


― もしあんたが、あたしたちに敵対する勢力にくみするようなことがあれば、我々はあなたを斬らなきゃならん ―


とはいえ、かれこれ二十日もかけて尾行した苦労がようやく実を結ぼうとしているのだ。

なんとしてもこの機会を逃したくない琴は、偶然通りかかった風を装って、逃げる仏生寺と追う浪士組のあいだに立ちふさがった。


邪魔じゃまだ!そこをどけ!」

新米隊士の家木がうわずった声で叫ぶ。

「お前たちこそ、いきなりぶつかって来てどういうつもりだ」

琴はわざとモタついて、彼らの行く手をはばんだ。


そのスキに乗じて、仏生寺弥助がスルリと浪士組の囲みをすり抜けた。

「チッ!しまった!」

家木が舌打ちする。


さしあたっての目的は達したと琴が安心したのもつかの間だった。


「あっちは任せろ」

斎藤一が獲物を追う狼のように俊敏しゅんびんな動きで仏生寺との距離をつめる。

花街はなまちへ逃げ込んだ仏生寺は、揚屋町あげやちょうとよばれる通りを曲がったところで息を切らし、斎藤に追いつかれた。


「…ちょっと待ってもらおう。昼間からご機嫌きげんのようだが、少々詮議せんぎしたいことがある」

斎藤は立ち止まったなで肩の男の後姿うしろすがたに声をかけた。

仏生寺が荒い息でゆっくりとふりかえる。

「あ、あ~、話し相手になってやりたいんだが、これから約束があってね」

「気の毒だが、その約束は反故ほごにしてもらう」

斎藤は仏生寺の顔を見るや、いきなり刀を抜いた。

獰猛どうもうな野獣同士のかんといったものが働いたのか。


「そんな物騒ぶっそうなもんは仕舞っといた方がいい。たしかに、わたしは酔ってるがね、それでもやり合えば、あんたが死ぬよ」

「…おもしろい」

斎藤は斜に構えるとこれ見よがしに刀を寝かせ、切っ先を前へ向けた。

この後、長きにわたって京の攘夷派を震え上がらせる左突きの構えだ。


もはや、斎藤一には相手を生け捕りにする気などなかった。

この男に中途半端な手加減をすれば、死ぬのは自分だと見抜いていたからだ。

仏生寺は薄笑うすわらいを浮かべたまま、無造作むぞうさに刀を抜いた。


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