数が合わない! 其之壱
ここで少し近藤たちを取り巻く当時の状況について説明を加えておきたい。
土方歳三の体調はひとまず置くとして、彼の予言は正しかった。
年が明けても京の町に立ち込める暗雲は、いっこう晴れる気配もない。
阿部慎蔵が、大坂であの岡田以蔵と鉢合わせした事件の二日後、
池内大学の両耳が、脅迫状を添えられて公武合体派の公家、三条実愛と中山忠能の邸宅に投げ込まれた。
もはや、過激派の勢いは止まるところを知らない。
しかし、その混乱を収束させるべく派遣されたはずの「浪士組」を実質的に取り仕切っていたのは、極めつけのトラブルメーカーだったのである。
清河八郎 ―キヨカワハチロウ―
血なまぐさい経歴に彩られた革命家。
幕末胎動期のダークヒーロー。
攘夷過激派のフィクサーとでも呼ぶべきこの男は、
黒船来航以来、列国の専横に対する幕府のおよび腰に業を煮やし、
「回天の志」、すなわち革命の決意を持つに至った。
昨年のこと、
彼は、自らの手で「攘夷」を断行するため一計を案じた。
安政の大獄当時、これを指揮した旧体制を象徴する二つのアイコン、
関白九条尚忠と、京都所司代酒井忠義の暗殺である。
寺田屋事件の端緒が、この企みであったことは先にも述べた通りだ。
ところが、頼みにしていた薩摩藩内部の調整が難航していることを知ると、清河は早々に見切りをつけ、手を引いてしまう。
そして、謀略好きの清河八郎が考えた次なる一手こそ、
この「浪士組」の結成であった。
「血の気の多い浪人たちを集めて、都で荒れ狂う同じ浪人どもにぶつければいい」
「浪士組」結成の発端は、このなんとも乱暴な着想から始まっている。
応募資格らしきものといえば「文武に優れ、国に報いる気概をもつ者すべてに門戸を開く」などと曖昧なボーダーラインが引かれているだけである。
もちろん清河の発案だが、こんなものが幕府に献案されてすんなり通ってしまうあたり、すでに一国を統べる政府としては、末期の状況を思わせる。
意地悪な見方をすれば、ぬくぬくと育ってきた幕府や親藩のサムライたちは、もはや自分たちが矢面に立って国を守る気概など持ち合わせていないと白状しているに等しいだろう。
しかも、この浪士組に入れば、過去の罪が帳消しにされるという特典付きである。
これも清河の入れ知恵で、飽きれたことに、この恩赦を適用された最初のケースが、お尋ね者の清河八郎本人という周到さである。
そんなわけで、当然集まってきたのは怪しげな連中ばかりである。
彼らの江戸出立を見送った人が語り残したところによれば、
隊列には、坊主頭の者、鎖かたびらを着こみ、筋金入りのはちまきを巻いた者、金ムクの大小を帯びる者、トラやシカの皮を羽織る者なども混じっていたといい、彼らが如何に雑多な人種から構成されていたかが知れる。
なかには半天に股引姿というヤクザまるだしの者まで目撃されており、要するに、傍目には得体のしれない烏合の衆だった。
この顔ぶれを見るかぎり、入隊条件の「武」の方はともかく、「文」については、いったいどれだけの人間が満たしていたのか、はなはだ疑わしい。
とはいえ、荒れる都の治安を回復し、まもなく上洛する将軍を警護をするためというのが結成の建前である。
幕府の呼びかけに応じた浪士たちは、この表向きの理由しか聞かされていなかったから、素性はどうあれ、彼らは徳川将軍家に自分の命と釣り合うだけの価値を認めていたと言えなくもない。
つまり、この頃までは「葵のご紋」の効力も、まだまだ捨てたものではなかった。
もちろん、「浪士組」結成には、清河の隠された意図があった。
そして今、その秘策を胸にした彼は、ついに京洛への帰還を果たそうとしていた。
話を近藤勇と土方歳三に戻そう。
その清河が、物憂げにキセルを燻らせつつ、武佐の宿場町をゆるゆる散策する様子を、土方歳三は不機嫌な面持ちで眺めていた。
彼は、旅籠の外壁に寄りかかって腕組みをしながら、通りの向こうにいる清河を顎でしゃくった。
「野郎、いい気なもんだ」
近藤は、土方が指した方を振り返ろうともしない。
「なにが?」
「清河だよ。優雅に物見遊山と洒落こんでるぜ。さすがに一軍の将ともなれば…」
「逆だよ。閑職に追いやられて、暇を持て余してるんだろうさ」
「どういう意味だ?」
「浪士組の要職は、ぜんぶ幕臣で占められてる。清河さんの『世話役』ってのは、いわば名誉職みたいなもんで、なんの権限もねえ」
「なるほど。幕府の連中もまるっきりバカじゃねえってこった」
土方は、口元を歪めて笑った。
近藤は、こうした権力抗争に鼻が効きすぎる土方を、まるで気の毒がるようにため息をついた。
「清河さんが嫌いらしいな」
「ふん、ありゃ牙を隠した狼さ。見りゃ判る」
「あのひとの思惑がどうあれ、浪士組が幕府直属の部隊であることに変わりはない。妥当な人事だ」
「本気で言ってんのかよ?ありゃ、どう考えてもご公儀のために身命を投げ打つってタマじゃねえだろ。何か裏があるにきまってる。幹部連中もそいつが分からないほど能ナシじゃなかったってだけさ」
土方の言うとおり、浪士組創設にかかわった幕臣たちも、ただ清河にされるがまま、手を拱いていた訳ではなかった。
彼を「世話役」というオブザーバー的な立場に追いやったのは、
浪士組の指揮権を掌握されることを警戒して先手を打ったのだ。
だが、それすら清河が画策した計略には折り込み済みの事態だった。
清河の背中を目で追いながら、土方が言った。
「それより、いいのかよ?こんなとこで油売ってて」
「なにが?」
「宿割りのお役目があるんだろ。清河の旦那も、こっちを睨んでたぜ?」
「いいんだよ。あの人は本隊と別行動で勝手に動いてっから、関係ねえ。それよっか…」
花冷えの寒さが気になるのか、近藤もふところで腕を組むと、土方に肩をよせて声を落とした。
「お前たちが、芹沢さんとこの連中とケンカばかりするんで、話がややこしくなってる」
近藤が口にした芹沢という名は、隊内で「取締役付」という役職を任されている水戸浪士のことだ。
芹沢鴨 ―セリザワカモ―
のちの、新選組筆頭局長である。
水戸天狗党という急進的な政治組織に名を連ねたこともあるこの男は、同郷の凄腕たちを引きつれ、浪士組に参加していた。
乱暴者で知られ、天狗党時代に意見の食い違いから、同僚三人の首を刎ねて投獄されていたが、恩赦により死罪を免れたという、曰く付きの男である。




