野辺送り 其之参
棺を送り出した八木家では、娘を荼毘に臥した家族らを迎える準備に、石井秩が忙しく動きまわっていた。
「それにしても、お秩さんは気が回りますね」
沖田は、感心するというよりも、むしろ呆れたようにその様子を眺めている。
秩は仏壇の傍らに中陰壇(お骨や位牌を祭る台)の支度をしながら、少しはにかむように微笑んだ。
「主人の葬儀からまだ間もないので、要領を得ているだけです」
「ちょっと休んだらどうです?お秩さんがあまり働き過ぎるから、手伝いの女の子が肩身の狭い思いをしてる」
「す、すみません。動いてないと、なにか落ちつかなくて…」
秩は恐縮して中陰壇のまえで正座したまま畏まった。
沖田は、そのままいつまでも動こうとしない秩の横顔をのぞきこんだ。
「…お秩さん?」
「…身内を亡くす辛さは身に染みて分かっているつもりでしたけど、小さな娘さんを失う悲しみは、わたしには想像もつきません」
秩は葬列に混じってうつむく雅を思い出しているのか、切れ長の目にうっすらと涙をためている。
「…お秩さんはわたしと年も違わないのに、ずいぶん苦労されたみたいですね」
沖田は秩の表情をみて素直に思ったことを口にした。
秩は小さく首をふる。
「そんなことはありません。幼い娘を抱えて大坂から出てきたわたしに、浜崎先生や八木家の方々はたいそう親切に接してくれましたから。私はみなさんにご恩があるんです」
「どういう経緯があったのか、聞いてもいいですか」
沖田が居住まいを糺してたずねると、秩はしばらくその顔をじっと見つめたのち、ぽつぽつと語りだした。
「あのころ、主人が大坂で開業して半年と経たず他界して、私は途方に暮れていました。娘をつれて実家のある山城の乙訓(現在の京都府長岡京市と向日市あたり)にもどってきたのですけど、貧しい百姓の家にわたしたちの居場所はありません。仕方なく都に働き口を求めていたとき、主人のお師匠様にあたるこちらの浜崎先生が『うちの手伝いをしないか』と声をかけてくださったんです。おかげで私たち母娘は路頭に迷わず済みました」
沖田は、他所者の自分たちに対して、秩があくまで公正な立場を貫こうとする理由が解った気がした。
「だから、こんなときくらい役に立たないと」
秩は悲しみをふり払うように中陰壇にかぶせられた白い布を勢いよくなでて、しわを伸ばした。
一方、阿比留鋭三郎の火葬を終えた浪士組一行は、坊城通りで八木家の葬列とすれ違った。
原田左之助は、むこうから歩いてくる八木雅と目が合って、思わず顔をゆがませた。
雅は悲しみを押さえ込み、そんな原田に優しくうなずいてみせる。
そのはかなげな微笑が、原田にどうしようもなく己の無力さを思い知らせた。
小さな農村に住む、平凡な主婦の、なんと気高いことだろう。
彼には、葬列が通り過ぎるまで立ち止まって深々とお辞儀をすることしかできなかった。
やがて頭をあげた原田は、最後尾を見ながら独りごちた。
「…立派な葬式行列だな。こうなってみてやっと阿比留が気の毒に思えてきたぜ。どうやら俺にも仲間意識ってヤツがちっとは残ってたとみえる」
それを耳に挟んだ藤堂平助が、かたわらに立ち止まった。
「阿比留なんてヤな奴だったのにさ。オレも何だが動揺してるんすよ。これだけ毎日残酷なものを見聞きしていても、人が死ぬことにはちっとも慣れないんだから自分が情けない」
原田は責めるように藤堂をにらんだ。
「バカ言え!それはお前の頭がまだマトモだって証拠だ。人の死に目に慣れていいことなんかあるもんか」
その口ぶりはどこか自嘲的な響きを帯びている。
藤堂は怪訝な顔をした。
「原田さんは違うんスか」
「どうかね。ある頃から、悲しいって感情がどういうもんだったか、さっぱり思い出せねえんだ。おっかしいだろ?涙が出ねんだよ。そんなの、腹が減るのとおんなじくらい普通のことなのにさ…」
険しい表情で宙を睨むと、やがて原田はひとり納得したようにうなずいた。
「…そっか、だから近藤さんは俺をあっちに行かせなかったんだな」
藤堂はなぜかクスリと笑った。
「逆でしょ」
「あん?」
「気づいてないみたいだけど、原田さん、朝からずっと泣きそうな顔してるぜ」
原田が目を丸くして自分の顔を撫でるのを、藤堂はため息をついてながめた。
「だって、何も手についてないじゃん。このクソ忙しいときに、親族を差し置いてヘコんでるのは、あのでっかい筆頭局長だけで充分だよ。近藤さんもきっとそう思ったのさ」
原田は藤堂の胸板を軽く手の甲で叩いた。
「…こんな辛気くせえ話はヤメだ。俺たちだって京が終の棲家になるとも限らねえんだからな」
そして、気を取り直したように胸を張った。
こうして、死者を送る儀式は終わった。
人々は我が家へ、明日からの日常へ帰っていく。
そして。
近藤勇が相変わらず役に立たない芹沢鴨と香典の帳簿を整理をしているところへ、八木源之丞がまっすぐ歩いてきた。
「ごくろうさんどした」
葬列の作法で揉めた件などなかったかのように、穏やかな顔をしている。
「おおきに。阿比留はんのこともあって、お二人ともお忙しいやろに、色々世話してもろてほんまに助かりました」
「いえ。さほどお役に立てなくて…」
近藤が手をふって謙遜するのを源之丞は遮った。
「そんなことあれへん。おかげでうちら家族は、心置きなく娘を偲んでやることが出来ましたわ」
「そりゃ良かったな」
芹沢はさっきの勢いも失せて、また元気をなくしている。
近藤は源之丞の袖をひいて、前庭のほうまで連れて行った。
「大切な娘さんの弔いにケチをつけてしまって申し訳なく思っています」
「気にしてまへんよってに」
源之丞は、呆けている芹沢をチラリと振り返ってから微笑んだ。
たしかに、娘のことをこれだけ悼んでくれる男に、悪い感情を持ち続けるのは無理というものだ。
もう一つの葬儀を終え、門をくぐってきた原田と藤堂が、源之丞の姿に気づいてお悔やみをのべた。
「このたびはご愁傷様でございます」
原田の目は少し潤んでいるようにも見える。
「…お帰りやす」
源之丞はただそう応えて、小さく返礼した。
「左之助はこちらの式に出たがっていたのですが…」
離れに引き揚げていく二人をじっと見つめて近藤は言葉をにごした。
源之丞は「わかっている」という風に首を振ってみせる。
「…しかし、近藤はんとこの道場におらはった九人は、ほんまに仲がよろしなあ」
「そうですかねえ」
「老婆心かもしれんけど、若い頃に出来た友人ゆうのは、一生もんや。なにがあっても大切にせなあきまへんで。これからお互い、命を預けなあかんのやから、なおさらや」
八木家の人々の前ではいつも柔和な表情を崩さない近藤も、このときは大きな口を引き結んで頭を垂れた。
「はい。しかと肝に命じておきます」
源之丞はあわてて手を振って、微笑んだ。
「おおげさやなあ。こんなんサッと聞き流してくれな、照れますがな」
この温厚な壬生郷士も、やはり信念を持って幕末を生きた男の一人だったのだ。
※自分なりに読み返してみて、ひとこと書き加えておくことにしました。
お話の中とはいえ、小さな子どもが死ぬという部分にたいへん不快な思いをされた方もいらっしゃるかも知れません。
今回の筋書きは子母澤寛著「新選組遺聞」収録「壬生屋敷」の章を下敷きにしていますが、もちろん、ほとんどは私の創作です。
いたずらに煽情的な表現は控えたつもりですが、せっかく読んでくださった方に嫌な思いをさせたとしたら、本当に申し訳なく思います。




