野辺送り 其之壱
阿比留鋭三郎が死んでから二日が経つ。
しかしこの日、浪士組の屯所で行われた葬儀で喪主を務めていたのは、他ならぬこの屋敷の主、八木源之丞だった。
なぜなら祭壇の小さな棺に納められていたのは、年端もいかない彼の愛娘だったからである。
病弱だった少女の容態が急変し、医師の治療もむなしくそのまま息をひきとったのは、奇しくも阿比留の通夜が行われたその夜だった。
そう。
死は何人にも平等に訪れる。
ましてや、この時代は「七歳までは神のうち」と言われるほどに子どもの死亡率が高かったのだ。
だからと言って、幼いわが子を失う理不尽さに対して、この時代の親たちが現代よりも寛容であったはずなど断じてない。
八木夫妻は気丈にふるまって葬儀を取り仕切っていたものの、胸も張り裂けんばかりの哀しみを押し殺しているのは、誰の眼にもあきらかだった。
それにしても意外なのは、あの芹沢鴨が見ているのも気の毒なほど落ち込んでしまったことだ。
阿比留の死を知っても平然と酒を飲んでいたこの男が、ほとんど茫然自失の態でまともに喋ることすら出来ないのだから、彼の精神構造は不可思議というほかない。
そして、八木家と近しかった原田左之助もまた、少女の死を悼み、残された家族の喪失感を察して心を痛めていた一人だった。
しかし。
浪士組局長近藤勇は、原田が八木家の人々によりそうことを許さなかった。
同じ日に行われる阿比留鋭三郎の密葬に立ち会うことを命じたのである。
「えーっ!!なんで俺が参列できねえんだよ!」
八木家の門前で、原田は声を荒げて抗議した。
「阿比留にも送ってやる人間が必要だからだ。聞き分けろ」
「そうかもしんねえが、俺はいつも八木さんに世話になってんだ!あんただってよく知ってるだろ?」
人情家の原田は、あくまで感情を優先するが、近藤はそれを聞き入れなかった。
「ああ、知りすぎるほど知ってる。だが、阿比留も命をかけて大樹公を護り抜こうと誓いあった同志だ。違うのか?」
「ちがう!いや、ちがわねえが、それとこれとは別だろ。俺は義理を果たしたいだけなんだぜ?」
理屈で言いこめられても、我の強い原田は納得しない。
しかし近藤も頑として譲らなかった。
「いいか?これは局長である俺の命令だ。逆らうことは許さん」
命令することに慣れないせいか、必要以上に尊大に振る舞う近藤に、このところは一部の隊士から不満の声も漏れ聴こえてくる。
そこには近藤なりの信条もあったが、原田のような性格では引くに引けなくなってしまう。
むやみに高圧的な物言いが、誤解と軋轢を生んでいることに、近藤自身はまだ気付いていない。
「まぁたケンカしてるよ。飽きないねえ」
沖田総司は、玄関脇に弔問客が記帳するための床几を据えながら、坊城通りで言い争う二人を見て独りごちた。
「今回ばかりは、いつもの戯れあいってわけじゃあるまい」
耳元で不意に返事があって、沖田はおもわず首をすくめた。
見れば、紋付を着た土方歳三が眉間にしわを寄せている。
さらに、身支度を済ませた井上源三郎が遅れて肩をならべた。
沖田は、不満げに二人をにらみつけた。
「…なにもこんな日に出かけなくても」
土方と井上源三郎は、同郷の井上松五郎(源三郎の兄)に会うため御幸町にある八王子千人同心の宿舎を訪ねることになっていた。
沖田や他の隊士たちは、朝から阿比留の密葬と八木家の葬儀をそれぞれ手分けして手伝っていたが、凶事も二つ重なってはドタバタの有り様で、とてもしめやかな雰囲気というわけにいかない。
「しょうがねえだろ?こんなことになる以前から約束があったんだ。相手は八王子千人同心井上松五郎殿だぜ?今日を逃せば、次はいつお目通りが叶うやら」
土方は茶化したが、さすがの沖田も今日は表情を変えなかった。
「そういうヤッカミ半分の皮肉は、笑えない」
井上源三郎は、なだめるような仕草で、
「心苦しいんだが、いろいろ相談しなきゃならんこともあってな。密葬の段取りは山南さんにお願いしてあるから、悪いがこっちはおまえに任せたぞ」
と頼みこむと、近藤たちの方を心配そうに見やった。
つまり、「いろいろ」には近藤のことも含まれるらしい。
やがて土方が意を決したように井上の背中をポンと叩いた。
「いつまでも心配そうに見ていたって始まらん。行くぞ、源さん」
「チェ、生真面目なことで。お勤めご苦労さん」
沖田は小さく毒づくと、また黙々と準備を再開した。
しかし、土方歳三はどんなときも艶気を忘れるような無粋者ではなかった。
二人とすれ違い門をくぐって行った美しい喪服の女性を振り返って、井上の肩を小突いた。
「今の見たか、源さん?まったく、この壬生って村はどうなってる?まるで桃源郷だぜ」
「…こないだ、永倉から同じような台詞を聞いたよ」
井上が呆れてみせると、土方は自己嫌悪に苦い顔をして、角を曲がっていった。
さて、その喪服を着た女性とは、浜崎診療所の助手石井秩だった。
沖田はその姿を認めるや、近づいていって声をかけた。
「お秩さんもお手伝いですか?」
「ええ。浜崎先生から『何かと大変だろうから行っておあげなさい』とお許しをいただいたので」
八木家は土地の名士だけあって、いつもなら冠婚葬祭で人手を欠くことなどなかったが、このときに限っては、浪士たちに恐れをなして、村の人々もなかなか屋敷に近づこうとしなかった。
だが、頼みの浪士組にしても、山南、土方、井上と、こういうとき頼りになる三人が誰もいない。
不調法な隊士たちがいくら束になったところで、あまり役に立つとは言えなかった。
家人は次々とやってくる弔問客の相手に追われるばかりだ。
つまり、秩の加入は、たいへんな戦力と言えた。
「お雅さんも、娘さんの傍についていてあげたいだろうし、助かりますよ」
「ええ、がんばりましょう」
秩はそう言って、さっそく供物の準備や花の飾りつけ、弔問客の対応と、テキパキ用事をこなしていく。
沖田は心底ホッとして、少し肩の荷が軽くなった気がした。




